バラ園の藁しき
今日は啓蟄。でも這い出た虫達も又引っ込むだろと思うほどの寒さだった。2.3日前から公園のバラの根元に藁が敷き詰められている。寒いときならいざ知らず、「今頃に何故?」もしかして、そろそろ虫が這い出すので、敷き藁で地面を暖かくして、「春だ!」と這い出してきたバラに対しての害虫を、藁の寝床に誘き寄せ、一網打尽にする魂胆か?・・・。
長い前文の後《ミスを重ねた「あたご」は、何故衝突を避けられなかったのかの究明は不可欠だ。しかし、「清徳丸は何故衝突がさけられなかったか」もやはり問われる》
この記事を読んだ時、今まで私が疑問に思っていた事だと思った。「清徳丸」の前後の船は「あたご」を回避しているのに、「何故、清徳丸だけが・・・」と言う疑問が私にもあった。しかし其れを口にする事は死者を鞭打つ事になるのか、と思った。でもその疑問を拭い去れなかった。
相手が自衛隊の「あたご」だから、一方的に言われるのだろうと言う思いもあった。これがもし民間の商船が相手なら違った問題が起こったのではないかと言う気もする。
海上衝突予防法では船が交差する場合、他船を右方向に見る船が右に避ける義務がある。「あたご」に回避義務があるから非難の的になっている。大きな船が方向を変えるのは時間が掛かる、小回りの利く小型漁船が何故すばやく回避できなかったのか、イザとなれば、どちらに回避義務があるなんていっておられないという意見だ。その様に感じたからこそ清徳丸の前と後を航行していた船は回避したのだろう。
清徳丸の親子が如何判断したかを語る事は無いだろう。後は周りが憶測で判断する事だけだろう。海陸を問わず、死亡事故に至れば加害者の結果責任が問われる。その状態が今の状態だと思う。一方が当時の状態を語れない限り、語れる方が攻撃の的になる。それでは全ては真実に届かないと私は思う。
其れと清徳丸の親子はライフジャケットを何故着けていなかったのか?との疑問が記されていたが、私もその疑問は持った。衝突のショックで瞬間的に気絶したにしても、ライフジャケットは親子を救ってくれたのではないだろうか。漁師さんだから泳ぎに自信があったからか?
ライフジャケットがどのような性能を持っているのかは知らないが、「浮く」という事は間違いないだろう。唯、暗い波間に人間が見えるだろうか?私は夏の夜の海に私に纏いついた夜光虫を思い出した。もしライフジャケットに蛍光塗料が編み込まれていたら、親子の存在を指し示しただろうな~、そうすれば助かったのではないか?私の頭の中ではその映像が繰り返し繰り返し浮かんでいた。
操舵室の一部が見つかったそうだ。衝突した海域も解っているのだが、流れと言うものもあり、人間や船の一部分等、大きな海からすれば、風に舞う木の葉の様なものではないか、発見は難しいかもしれないと思っていた。
そう思うには忘れられない事故を思い出したからだ。主人の勤務先は船会社だった。もう何十年も前のお正月前後だったと思う。主人に「船が行方不明」と言う連絡が入り、慌てて出社した事がある。もち船のタンカーだったかカーゴだったか忘れてしまったが、数十人の乗組員を乗せたまま海の藻屑と消えてしまった。何だか神隠しに遭ったような思いだが、大きな商船が忽然と没したままである。
それから考えれば、操舵室だけ見つけるのは難しいのではないかと思ったのだ。数十年前とでは捜査方法もレーダーなどの機器も雲泥の差に良いとは思うが、発見は難しいかなと思ったのだ。
今日は啓蟄。でも這い出た虫達も又引っ込むだろと思うほどの寒さだった。2.3日前から公園のバラの根元に藁が敷き詰められている。寒いときならいざ知らず、「今頃に何故?」もしかして、そろそろ虫が這い出すので、敷き藁で地面を暖かくして、「春だ!」と這い出してきたバラに対しての害虫を、藁の寝床に誘き寄せ、一網打尽にする魂胆か?・・・。
長い前文の後《ミスを重ねた「あたご」は、何故衝突を避けられなかったのかの究明は不可欠だ。しかし、「清徳丸は何故衝突がさけられなかったか」もやはり問われる》
この記事を読んだ時、今まで私が疑問に思っていた事だと思った。「清徳丸」の前後の船は「あたご」を回避しているのに、「何故、清徳丸だけが・・・」と言う疑問が私にもあった。しかし其れを口にする事は死者を鞭打つ事になるのか、と思った。でもその疑問を拭い去れなかった。
相手が自衛隊の「あたご」だから、一方的に言われるのだろうと言う思いもあった。これがもし民間の商船が相手なら違った問題が起こったのではないかと言う気もする。
海上衝突予防法では船が交差する場合、他船を右方向に見る船が右に避ける義務がある。「あたご」に回避義務があるから非難の的になっている。大きな船が方向を変えるのは時間が掛かる、小回りの利く小型漁船が何故すばやく回避できなかったのか、イザとなれば、どちらに回避義務があるなんていっておられないという意見だ。その様に感じたからこそ清徳丸の前と後を航行していた船は回避したのだろう。
清徳丸の親子が如何判断したかを語る事は無いだろう。後は周りが憶測で判断する事だけだろう。海陸を問わず、死亡事故に至れば加害者の結果責任が問われる。その状態が今の状態だと思う。一方が当時の状態を語れない限り、語れる方が攻撃の的になる。それでは全ては真実に届かないと私は思う。
其れと清徳丸の親子はライフジャケットを何故着けていなかったのか?との疑問が記されていたが、私もその疑問は持った。衝突のショックで瞬間的に気絶したにしても、ライフジャケットは親子を救ってくれたのではないだろうか。漁師さんだから泳ぎに自信があったからか?
ライフジャケットがどのような性能を持っているのかは知らないが、「浮く」という事は間違いないだろう。唯、暗い波間に人間が見えるだろうか?私は夏の夜の海に私に纏いついた夜光虫を思い出した。もしライフジャケットに蛍光塗料が編み込まれていたら、親子の存在を指し示しただろうな~、そうすれば助かったのではないか?私の頭の中ではその映像が繰り返し繰り返し浮かんでいた。
操舵室の一部が見つかったそうだ。衝突した海域も解っているのだが、流れと言うものもあり、人間や船の一部分等、大きな海からすれば、風に舞う木の葉の様なものではないか、発見は難しいかもしれないと思っていた。
そう思うには忘れられない事故を思い出したからだ。主人の勤務先は船会社だった。もう何十年も前のお正月前後だったと思う。主人に「船が行方不明」と言う連絡が入り、慌てて出社した事がある。もち船のタンカーだったかカーゴだったか忘れてしまったが、数十人の乗組員を乗せたまま海の藻屑と消えてしまった。何だか神隠しに遭ったような思いだが、大きな商船が忽然と没したままである。
それから考えれば、操舵室だけ見つけるのは難しいのではないかと思ったのだ。数十年前とでは捜査方法もレーダーなどの機器も雲泥の差に良いとは思うが、発見は難しいかなと思ったのだ。