ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

明日への遺言

2008年03月04日 | 一寸そこまで
            狆を連れた女官
          ふじたさんっちのお雛様
        古~い雛飾りには時々見られます
         このお家の内裏様は右に
       お雛様は左に京風で飾られています

昨日、神戸に「明日への遺言」を見に行きました。初めは大阪に行く予定でしたが、主人が「神戸に行こう」というので、その会館は初めてですし行くことにしました。

ところがです、シートは硬いし、椅子の位置に傾斜が無く平面でとても見難い会館でした。震災後に建てられたのですから、そんなに古いものではないのにと不思議でした。案の定傾斜が無いので、前に大きな男の人が座ると見えません。後ろにあいてる席がありましたので移動しました。その座席の人が来られて、案内の女の方に頼んで席を替えてもらい、やっと全体が見えるようになりました。もうこの劇場では見たくないと思いました。

映画自体はとてもいい映画でした。地味~な地味な、ほんとに地味な映画でした。
裁判場面とプリズンの生活場面だけなんです。色も地味で長女が初孫を抱いて現れた場面のみがほワッと色が見えたという感じでした。

主人は知っていたそうですが、私はこの映画の主人公、岡田資中将について、こんな人が居たという事すら知りませんでした。色々と前評判で書かれていましたが、あえて読みませんでした。映画を見て自分で感じたいと思ったからです。

戦争に関する映画は出きるだけ見る様にしています。戦前生まれといっても、本当に何も知らないんです。戦後も母が必死で私を守ってくれましたし、戦争によって、全ての財産を無くし、自分の人生が変わったという思いしかないのです。

B級戦犯岡田資中将が名古屋空襲で無差別爆撃を行った米軍搭乗員を処刑した罪に問われ、戦犯裁判に掛けられた。部下を守り全ての責任を1人で背負おうとしている彼の法廷闘争を家族が見守っていた。と言うお話なんです。

無差別に機銃掃射の話は、私より年上の方から聞いた事があります。女学校から工場に働きに行き、その帰り道、危機一髪の目に遭ったその人は、飛行機は兵隊がニヤニヤしながら撃ってくるその顔がはっきり見えるくらい低空飛行だったと言っておられました。

そんな場面もありました。そのとき私の頭の中に沖縄の人の「私達だけが、本土を守る為に犠牲になった」と言うのは間違いだという考えが浮かびました。沖縄の人には是非見ていただきたい。広島や長崎の原爆を受けた場面もあります。戦争で受けた被害は夫々違っています。

其れは私だって思います。家を焼かれて全てを失った人と、免れた人、その不公平さは小さいながら私にも解っていました。私が集団疎開から帰ってきた家は、戦争で家も失わず、焼け残った人たちの中でした。その差は歴然としていました。

沖縄にはその差はなかったのでしょうか? 全土焼失ですか? どうか沖縄だけがと言う思いは捨ててください。戦争とはいえ、やはり運、不運はあったのです。でも其れが戦争なんです。

もし「沖縄が一番不運」と言う思いがあるならば、プラス思考に切り替えて、前向きに「戦争は絶対いけない!」と平和に生きる為の運動の先頭に立っていただきたい。何時までも後ろを向いてマイナス思考で居ると、立派にお役目を果たしていった「ひめゆり部隊」が悲しみますよ。

小泉堯史監督と言う人も知らなかったが、黒澤明監督の下で育った方らしい。黒澤さんの長女和子さんが衣装担当だそうだ。当時の布地の感じを出すのに苦労があったらしい。
コメント (2)
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