ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

「渡嘉敷島の集団自決」の思わぬ結論

2008年03月28日 | 一寸そこまで
               我家の水仙
           今年は良く咲きましたので
           お墓に持って行きましたが
         今は仏壇でも良い香を放っております

「沖縄集団自決 大阪地裁判決」の日。外出していた事でもあり、「原告勝訴」を信じていた私は夕刊を見て「えっ!」と驚いたというより、我目を疑いました。「原告側の請求を棄却した?」「(命令の)事実については合理的資料や根拠がある」?私は読み違えているに違いないと一字一字丁寧に読みました。読み間違いであって欲しいと言う思いは無残に消されました。

朝日新聞の夕刊一面は笑顔の大江健三郎さんで飾られていたそうですね。2年前に、もう朝日は読みたくないと、他紙に変えてよかったと、つくづく思いました。
自分達に不利な事は一切書かないという「沖縄タイムス」「琉球新報」の明日の朝刊はわが意を得たりと大きな字が躍っていることでしょう。

テレビで大江氏が「裁判官は《沖縄ノート》をしっかりよんでくれた」とか「個人ではなく軍隊・・・」とか早口で捲し立てていた。ノーベル賞作家であれば、事実を、既製記事を引用しただけで、自分の足で調べる事無く書いた記事が認められて、真実を知ってもらいたいと裁判を起こした人の言葉は一顧だにされないのか。

原告・梅沢さんの発言は《原告らの主張に沿う、照屋昇雄の発言は、その経歴等に照らし、採用出来ず》という。

照屋氏は「戦傷病者戦没者遺族等援護法に適用する為、軍による命令という事にして自分達で証言した」と言っている。聞き取り調査をする事を委託する照屋氏に対する琉球政府の委託証も存在する。けれど其れは信じられないという。

私は思った。この証言を得て、遺族年金を貰い続けている人は、まだ居ると思うのですが、この裁判を如何思っているのだろうか?私は知りたい。

しかし人間はウソをつき続けていると、其れがウソであるという事を忘れて、ウソを真実と思ってしまう事がある。戦後60年もウソを付き続けて、遺族年金を貰い続けていると、いまや「軍命令」という事が真実であったかのように思いこんでいるのだろうか。

又、深見敏正裁判長とはどんな経歴の持ち主なのだろうと考えてしまう。少し調べただけだが、数例でも、その裁判例は「原告の請求破棄」とある。この人はこんな癖のある人かもしれない。原告の言い分を論破して、請求破棄・・・と言う。

裁判と言うのはどのように裁判員の手に渡るのか知らないが、何らかの方法で順番なのでしょうね。原告、被告が裁判官を選べるわけではないでしょうから。そうすると嫌な癖のある人に当ったのが不運である。

原告側は控訴手続きをとったそうですが、今度こそ、「沖縄ノート」だけではなく曽野綾子さんの著書「沖縄戦・渡嘉敷島《集団自決》の真実 日本軍の住民自決命令は無かった」もお読みいただき、他人の著書から書き写したものが正しいのか、自分の足で証言を集めて書いたものが正しいのか(素人でもわかる事を)を正しく判断していただきたい。曽野さんが証言してくださるような事は無いだろうか?


この裁判でも数年掛かっている。梅沢さんの赤松さんもご高齢であるのが心配です。どうかお二人に喜びの判決が下される日が来る事を切に切に願っています。
                          (670回)
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