ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

施餓鬼会

2008年03月23日 | 今日この頃
                 ベニバスモモ(近松公園)
            紅葉スモモと書けば直ぐ解りますね
            葉っぱが赤いからという事は一目瞭然           
今日はお寺さんの施餓鬼会に行ってきました。お店の墓花は緑、赤、黄、紫で白が入っていませんでしたので、今やっと咲き始めた白い水仙を組み合わせてみました。我家の水仙は例年は2月ごろ咲いていましたが、今年のようにお彼岸頃に咲いてくれると、お墓にお供えできて、ありがたいな~と思いました。  

施餓鬼会。お墓に塔婆をお供えするのですが、何となく「施餓鬼」と言う字が気になっていました。一寸調べてみました。

《 施餓鬼会(せがきえ):施餓鬼会の起こりは、お釈迦様の十阿難尊者(あなばそんじゃ)の体験に由来すると伝えられています。尊者がある夜瞑想していると、恐ろしい餓鬼(飢えて鬼のようになってしまった精霊)が現れ「お前の命は後3日だ。3日後には餓鬼の仲間に引き入れる」と告げました。尊者は早速お釈迦様に施しをする作法を授かり、食べ物を供え、ご真言を唱えて回向したところ、たいそう長生きしたというのです。このことから、施餓鬼会は春秋の彼岸やお盆と共に、大切な行事になりました。

私たちは、知らず知らずのうちに殺生をして毎日を過ごしています。それは、生き物の命をいただいて食事をすることで、私たちはつつがなく生きていくことができるということです。私たちはこのことに感謝し、供養をつくすこと、によって三界萬霊(さんがいばんれい:この世のあらゆる精霊)無縁仏への回向とし、また、この供養が巡って先祖に届くのです。》

なるほど、それで「施餓鬼」と言う不気味な言葉の意味がつかめました。今更何をと言う気もしますが、解ったつもりで解っていない事は沢山あるようです。 お寺さんで下記の言葉の書かれたチラシを頂きました。


     伏せた茶碗にゃ ご飯はつげぬ

     閉じた心じゃ 話にならぬ

     耳を塞がず 素直に聞けよ

     言われるうちが 花なんだ

     言われた言葉を かみしめて
     
     器の大きな 人になれ



 
          正しいことも 行わず

          幸せだけを ねがうなら

          其れは身勝手 得手勝手

          人には人の 道がある

          それが守れぬ ようならば

          天の助けも ありはせぬ

                       <地湧(じゆ)の声より>


如何でしょうか。とても解り易い言葉で、なるほど!と思う言葉ですね。凡人は解っているけれど、実行が難しいときもある。時々思い出しながら、これからは生きてゆこう。誰の為でもない。自分の為に・・・。
コメント (2)
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