「親鸞をかえせ!」とは、浄土真宗教団がかつてご門徒から突きつけられた叫びで、いま現在も教団がそれにどう応答しているのかを問い続けていることばです。
その叫びは、親鸞の仰せにないことを「仰せ」と称してきた教団に対してです。
その反省を踏まえてなお「充分ではない」という厳しい自己批判とともに、ご門徒から親鸞を奪ってきた歴史に学ぶ取り組みがされています。
しかしそこに神経を尖らせるがあまり、教団内外の多くのところで親鸞が語られる中で「それは親鸞じゃない!」と一蹴してしまうようなことがあるとすれば、また親鸞を教団組織の中に閉じ込めていくことになります。
教団内で語られる親鸞と、教団の外で語られる親鸞にはまだまだ埋められない溝があるようにも感じます。
言い換えれば、手の届かない遠い偉大な存在と現代の苦悩に寄り添う身近な存在といった感覚でしょうか。
また、教団組織における視点と、組織の外側の視点とも隔たりを感じます。
宗派の外郭団体の機関紙に親鸞聖人の木像の写真を掲載したところ印刷済の1000部がボツになりました。著作物に係る問題は覚悟していましたが、理由は御真影の扱いが軽いということでした。
「親鸞展」のチラシが世間に出まわる今日においてです。だからでしょうか?
http://www.shin.gr.jp/shinranten.html
http://www.shinranten.jp/
親鸞に注がれる「目線」は多様化してきています。
それは宗教的教主としての「宗祖親鸞聖人」としてだけではなく、思想的研究対象としての「人間親鸞」とでもいうのでしょうか。没後750年、教団の枠を超えて親鸞の思想の可能性を探求する取り組みやイベントが開催されています。
2月6日に六本木ヒルズで開催される「親鸞フォーラム」では、解剖学者である東京大学の養老孟司氏、青山学院大学の生物学者 福岡伸一氏と大谷大学の仏教学者 織田顕祐氏によるシンポジウム、東京大学の東洋文化研究所では経済学者である安冨歩氏を中心に「親鸞ルネサンス」が開かれています。
「親鸞をかえせ!」というご門徒の叫びとは質が異なるかもしれませんが、親鸞を教団に留めるのではなく、さまざまな分野に開かれるという観点では、その願いは通じるのかもしれません。ただしそれはあらゆる世界に、そしてすべての人類に対してということを前提としてです。
「親鸞ルネサンス」東洋文化研究所 http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/news/
「親鸞フォーラム」真宗大谷派 http://shinran-forum.jp/index.html
親鸞フォーラムはすでに550名の定員を満たしたそうです。
お寺の行事の参詣が減ったと悲観的な声がよく聞かれますが、人は寺を求めているのではなく教えを求めているんだとつくづく感じます。組織や寺の維持が目的になると寺は持たないのでしょう。
くどいようですが、慶応大学の経済学者 中島隆信氏は、現在76,000ある寺院は50年後に6,000にまで減少すると言います。たとえそうだとしても、もしかすると50年後の親鸞聖人800回御遠忌は、組織から解放されたところでもっと盛大にお勤まりになるのかもしれません。