遊煩悩林

住職のつぶやき

earth

2012年01月12日 | ブログ

数日前、三重県立美術館で開催されている「イケムラレイコ うつりゆくもの」http://www.bunka.pref.mie.という作品展を観てきました。
Photo 広い館内を、作品だけで9つの空間が構成されていています。
フライヤーにあるのは「Floating」というゾーンに配された「Face in Blue -青に浮かぶ顔-」という作品です。
このゾーンには、眠る表情を浮かべた顔がイメージされていますが、ガイドによると「彼らは単に熟睡しているわけではありません。眠りと覚醒、生と死、意識と無意識の中間で、次なる目覚めを待ちながら漂い浮かんでいるようです」とあります。
また、

Floating -うかびながら-

目をつぶれば
それだけで死者に会えます
なみだの空に浮かびながら

という作者のコメントが寄せられてあり、しばし問われました。
少なからず死者と向き合うご縁をいただく者として、亡き人々を仏として出遇いなおすということができているだろうか、と。果たして、諸仏の表情に思いを馳せることがあるのかと。

彼女の目線はヒロシマ・ナガサキにも向いていて、今ふたたび「まるで戦争の後のようにわれわれの大地はあらされた」、そして「私は信じることがありそれだからこそ、たましいをこめてつくったものをささげたいのです」と図録に記されています。

その視線に思いを馳せていると、数日前の県立図書館フォーラム「3.11から未来へ」遊煩悩林2012.1.10で、哲学者の鷲田清一氏が、被災地のボランティアについて、兵庫県のボランティアチームの活動を高く評価していたことをふと思い出しました。
被災地で生き残った方の玄関に「心のケアお断り」という貼り紙があったといいます。阪神淡路大震災を体験した兵庫県のボランティアスタッフは、その心境をよく熟知していたと。「頑張ってください」「お困りのことはありませんか」「大丈夫ですか」「私たちにできることはありませんか」といった被災者を追いつめ、苦しめていく言葉が飛び交う中で、黙々と無言で作業していたのが兵庫県のチームだった、というのです。そしてこのチームは、人員を一挙に動員するのではなくて必ず数班の体制で2泊3日で交代をし、必ず作業後には「飲み会」をやるのだ、と。
そこから、ある精神科医の「アースをつける」という流儀を紹介されます。
「アース」は電気のコンセントに併設されている、過剰な電力を逃す装置のことですが、重傷の患者の苦悩をまるまる受けとめるのが精神科医の勤めだが、受けとめっぱなしでは潰れてしまう、だからこの医師は「常にアースを挿してそれを流しているんだよ」と。つまり兵庫のボランティアチームもそれができていたというのです。

イケムラレイコさんの作品から、どうしてそんなことが不意に思い出されてきたのかはそれこそカウンセリングが必要かもしれませんが、何といいましょうか、アース(earth)は、人間が受けとめきれない事柄を大地へ逃す・・・逆にいえば、人間が受けとめきれない事柄を受けとめてくれる大地という感覚でしょうか。イケムラレイコさんのメッセージの中に

少女たちよ、大地に触れなさい
からだを横たえると
こちらの世界とあのよを
いききできるのです

Girls Toward Horizon -地平線へと向かう少女たち-

という響きに通じるものがあると思うのです。・・・「大地」と表現された事柄について、たびたび手を合わせて感じていきたいと思います。

http://www.leiko.info/

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