世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

朝帰り ヒグマの鼻くそ

2012年10月21日 12時45分13秒 | Weblog
昨日は久々に酔いつぶれた。
ウコンの力を飲んだのだが、ダメだった。
生理前で体調が今一つだったのが原因か。肝臓の老化が原因なのだろうか。
気合を入れる飲み会に限って酔いつぶれるって、どうなんだ…自分。



昨夜は合コン。
気合の巻き髪。




女子は私、O主任、工場の女子3人。
当社の工場は神秘のヴェールに包まれている神聖な場所。
私はそこへ毎日書類を届けに行く。副社長に稟議書を届けるためだ。
そのとき知り合ったのが工場のクミちゃん。まだ若い27歳。
杉田かおる似。
昨日は、クミちゃんの同僚の子(23歳)とバツイチ子持ちの職人姐さん(44歳)。
二人と飲むのは初めて。


男性陣は、
飲み仲間の他部署の先輩(まーすけ)、その友達Nさん。Nさんの部下2人、Nさんの友達である。

Nさんとは1年半前に合コンをし、今回の飲み会の幹事を二人でした。
彼は某格闘技の世界では有名な人らしい。名前を検索したら、出てくる出てくる。
ビデオまで出してる…。彼の腕をさり気なく見たら、すげーの。キン肉マン実写版、みたいな。
そんなNさんは私をドラと呼ぶ。ドラミちゃんに似ているからだという。


〆サバの炙り焼き。


いや~、これ美味しい。
日本酒が進むわ~と、琵琶のさざなみをグビグビ。
グビグビ、グビグビ、グビグビ。
二十歳で出産した姐さんの陣痛話を聞き入っていたのまでは覚えている。
「3時間でするっと出てきたのよ~がはは」
という姐さんの言葉までは…。

…気付いたら、ソファーで寝てた。トイレで散々吐いたらしく、口の中が胃酸で苦かった。

誰かに背負われて、どこかに搬入される。
到着後、誰かが私の額を優しく撫でている。姐さんだ。
昔、私が風邪で寝込んでいたとき、母にこうしてもらったのを思い出した。

目を開けたら、スナックだった。
「お、ドラちゃん、復活」
と称賛を浴びる。

「皆さん、ご迷惑をおかけしました」
と詫び、完全復活。吐くと元気になる。

前に座っているNさんの部下と話した。
彼は国立大の文学部を出ている。凄いな。お兄ちゃんが東大卒だって。この家庭はどんな教育方針を取ってたんだろう。
卒論は日本書紀と古事記だったそうだ。
出身が山梨県ということなので、やはり好きな林真理子先生の話をする。
古文が好きらしく、源氏物語の話に発展。
「紫の上はたまらね~。萌える」
という彼。
「いや、六条御息所でしょう」
という私。
「あの人、怖いよ」
と彼は顔をくしゃくしゃにして笑う。
「口語訳は谷崎潤一郎がおススメ。高校時代、読んだよ、俺」
「林真理子先生のも面白いですよ」
…場末のスナック。誰かが歌うカラオケが流れる中、テーブルの隅で雅な白熱トークを展開。



数人が帰り、数人がソファーで爆睡。数人はカラオケ。

スナックのマスターが尾崎豊の「I LOVE YOU」を歌ってくれた。
これが、すごく上手で。他人のカラオケで涙が出そうになるぐらい感動したのは初めてだ。

I LOVE YOU - Yutaka Ozaki



まーすけ先輩が「エロティカセブン」を熱唱。普段大人しい彼はマイクを持つと変貌する。余程ストレスが溜まってるんだろうな。
まーすけ先輩は先月、北海道に行った。
そのお土産をくれたので見てみたら…これですよ。

「ヒグマの鼻くそ」である。


鼻くそ。
アーモンドをチョコでコーティングしたものらしい。
美味しそう。
何より、私がクマ好きだと覚えてくれたことが凄く嬉しい。
「まあ、あの子はクマだったら何でもいいのだろう。…あ、これ、面白いなあ。これにしようかなあ。ふふふ」
と空港の土産物売り場でニヤニヤしながら選んだであろう彼の姿が目に浮かぶ。まーすけ先輩、ありがとうございます。


巡り巡って私の隣に来たN先輩の友達。
これがさ、もう超ウザくて霹靂してしまった。
思いついたことを口にしないと気が済まないタイプ。
カラオケの画面に見入る振りをして無視していたのだが、しつこかった。


4時の始発でクミちゃんと帰還。
クミちゃんもその同僚もO主任も楽しそうだったので、本当に良かった。


駅構内に鳩が!なにこれ。幻?



東の空がうっすらと明るくなっている。
明けの明星が煌々と輝いていた。



化粧を落としてバタンQ。
で、今に至る。

いや~、飲んだ。吐いた。笑った。歌った。楽しかった。


私の本棚

2012年10月21日 11時55分02秒 | Weblog
昨日、部屋掃除をした。

ちょっと掃除をしただけでごみ袋2袋分のごみが出る。

本棚に目を付ける。
震災前は作家順に並べていたのだが、震災で本棚から本が出てしまい、適当に収めて以来、そのまんま。

読みたいときに目当ての本を探し出せない苦しさは筆舌しがたい。
痒いところに手が届かない、みたいな。
でもこの作業、一日かかるんだよな…と思ったら、急にやる気がうせた。
またの機会にやろう…。


尼崎死体遺棄事件

2012年10月20日 13時06分40秒 | Weblog
尼崎死体遺棄事件の図解を眺めているのだが、よく分からない。
複雑すぎる…。
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上善如水という生き方

2012年10月19日 23時09分45秒 | Weblog
昨日読んでいた小説の中で、主人公が美味しそうに日本酒を飲むシーンが描かれていた。




 酒が強い。官僚の言ったとおり日本酒が好きなようで、なみなみとグラスに注がれた冷酒を嬉し気に眺める。
「ああ、こんなおいしいお酒は、ジュネーブではまず飲めません」
 江戸切子のグラスに唇をあて、そしてちゅっと吸った。酒飲みの女がするなまめかしい動作である。すぐに飲み干したので、小原が酌いでやった。
「まあ、ありがとうございます」
 二杯めもすぐに飲み干した。
「私、ジュネーブへのお土産に、よく紙パックの日本酒を頼むんですけど、やっぱり日本で飲むものとはまるで違うわ」
「今、佐伯先生のお飲みになったのは、日高見といって日本でも一、二を争うもんです。うまいのはあたり前かもしれませんね」
(林真理子「アスクレピオスの愛人」より)




このシーンを読んで、涎を垂らしながら「明日の晩は絶対に日本酒を飲もう」と決めた。
今日、仕事からの帰りにスーパーに寄り、日本酒コーナーを徘徊。
まさか「日高見」は売っていないだろう。
どれにしようかな。

ふと、ある瓶に目が止まった。
「上善如水」である。

大学時代、日本酒デビューしたのはこの酒でだった。
「フルーティだよ」
「女の子でもイケるんじゃないかな」
と先導者の言葉で、確か居酒屋・海峡でデビューした。
ちなみに海峡の唐揚げは凄い。お皿に大きな唐揚げが聳え立っているのである。テーブルの中心はいつもこいつだった。
たしか500円ぐらいだったと思う。
初めて見た時は、何かの間違いだと思った。




帰宅後、「上善如水」を久々に飲んだ。
嗚呼、これこれ。懐かしい。



あの頃、「合コン」はあったけれども、今ほど社会の垢にまみれていなく、幼いものだった。
「女子会」という言葉は無く、普通に「飲み」と称されていた。あとは教授を囲ってのゼミのコンパ・ゼミコン。
覚えたての酒を飲んで、ただひたすら笑っていたような気がする。


「上善如水」とは、2500年以上前の中国の思想家・老子の言葉で、「もっとも理想的な生き方(上善)は、水のようである」
という思想のことらしい。たしか大学の哲学の講義でも勉強した。


水のようにたおやかに。
透明で、優しい。
しかし、秘めたエネルギーは巨大。
たしかに理想的な生き方なのかもしれない。

海峡で、仲間たちとケタケタ笑っていたあの頃の自分。
流れ流れて、金曜日にアパートでクマと一人飲みをする今の私になった。
誰もが理想的な自分像っていうものを秘めていると思うが、私にしても然り。
一人で静かに家飲みをする時間が必要な人間っつーのが、たぶん、私のそれに該当するのだ。



開けっぱなしの窓の外からは、秋のひんやりとした空気が入ってくる。
それは火照った頬を掠め続けた。







雨の日の心療内科

2012年10月18日 23時32分17秒 | Weblog
心療内科デー。

今日の待ち時間は3時間。
林真理子先生の「アスクレピオスの愛人」を読み進めた。また、待合室の本棚にあった「婦人公論」の林真理子先生と「アスクレピオスの愛人」の志帆子のモデルとなった医師の進藤奈邦子の対談を読んだ。WHO本部グローバルインフルエンザプログラム・メディカルオフィサーとして新型インフルエンザの防止活動の中心として活躍している医師だ。
「仕事で得られる高揚感は、ときに恋愛を超える」という進藤さんの言葉に近づきたい。その高揚感を味わいたいと思った。

「アスクレピオスの愛人」の志帆子は、バリキャリでしかも色っぽさがあり、周囲の男性を台風のように巻きこんでいく。
最先端の女性を描いたらピカイチの林先生。今回も読みごたえがある。


さて、診察。
今日はここに記載出来ないぐらい生々しいことを話した。
クマ医師は精神分析を分かりやすく、紙に図式化してくれた。
「そんなような気が…しないでもないです」
と言ったら、
「信用してください。私、医師ですから」
と言われた。
信用してないわけではない。
ただ、肯定する自信がないのである。
34年間の人生で根付いたクセや考え方は20分の診察で一変しない。


前回処方された「アクアチムローション」
これ、すげー。
「入れ墨か!?」っつーぐらいの勢いで背中一面にできた吹き出物がだいぶ綺麗になった。
今回も処方してもらった。




右側のクマ。
母ヨーコたんがニューヨークで買ってきてくれたクマのマック。
クマ医師はマックに似ている…。



処方変更なし
パロキセチン、ゾルピデム酒石酸塩、防風通聖散、ラベプラゾール
アクアチムローション


帰りにサイゼリアで食事。
中学時代からの親友あやみちゃんからメール。
お母様と会話で私が小池栄子に似ているという見解が導き出されたそうだ。
だいぶ前、同僚にそう言われたことがある。


妹には小向美奈子に似ていると言われている。


また、他の人には山田まりやに似ていると。


顔立ちがはっきりしているからだろうか。

いずれも巨乳の人。

…私の場合、偽造してっから。
…偽造乳罪でつ。




あやみちゃんに返事をしながら、週末の合コンのメールをさばく。
今回の合コン。女子三人は20代。
その旨をあちら側の主催者に報告したら、怖気づいてしまった。
「俺たち40代、30代のおっさんだよ?」
と。
そんな彼を元気づけるため、
「大丈夫です。私なんてガラスの十代ですから。壊れそうなものばかり集めてしまいますから」
と返答。


本当、私の人生…壊れそうなものばかり集めてしまう。
思考も断捨離できればいいのに。
考え込んでも仕方がないこと、時間の無駄なこと、ポイって捨てられればいいんだが。


この世の秋がキタ

2012年10月17日 21時42分57秒 | Weblog
今朝、会社の最寄り駅構内を歩いている時。
「○○主任様!おはようございます」
と声を掛けられた。
先日、当社に新規制服の件でプレゼンに来た業者さんだった。
今日は研修があるので、この地に降り立ったそうだ。

朝の私は機嫌が悪い。
きっと眉間に皺を寄せながらカツカツと歩いていたのだと思う。
み、見られた…。気が抜けぬ…。


9月分の経費分析、ほぼ終了。
今日は眠かった。
数字いじっていると眠くなる。


昼過ぎ、他の建物まで歩く。
甘い香りが鼻腔をかすめた。
どうやら民家の軒下に静かに咲く金木犀から発せられているらしい。
秋だなあ。


自分にご褒美と、マキアージュのアイシャドーを購入した。
これが、なかなか良い仕事をする。


5色、それぞれが他の色と融合し、自然なハーモニーを瞼で奏でる。
上品に、しかもきちんと発色する優れ物。
雑誌の水瓶座の買い物運…「値が張っても必要なものだから大丈夫」という言葉を全面的に信用。



妹とも話しているのだが、秋はお洒落に目覚める季節。
夏場、汗で流れ落ちる化粧も、秋のひんやりとした空気の中では、冴え冴えと輝く。
髪もよくまとまる。もう少しして湿度が低くなったら、巻き髪にしよう。
首筋にエルメスのスカーフ巻いちゃって。で、黒のストッキングとパンプスで決めるのさ。

明日の朝、眉間に皺を寄せなくてもいいように、今夜は少し早目に寝よう。





梯子の上

2012年10月16日 23時30分42秒 | Weblog
日が低くなってきたからだろうか。夕方、西日が経営管理室の私や吉熊上司の席まで届くようになってきた。
西側の窓に掛るブラインドが壊れていたので、吉熊上司と補修にあたった。
しかし、余計に壊れてしまった。

仕方がなく、段ボールを切って、窓に添貼付した。
梯子に昇って作業をする吉熊上司。
下で梯子を支える私。
支えているだけではない。
吉熊上司の動きを見ながら、渡すべきガムテープやハサミを用意し、都度手渡すのである。
執刀医と看護師ばりに。

偶然通りかかった他部署の男子に「文化祭の準備みたいですね!」と言われた。
私もそれを言おうと思っていたのだが、汗を垂らしながら西日のなかで作業する吉熊上司の姿を見ていたら言えなかった。
いや、でも、本当、文化祭みたかった。
サラリーマンとOLが、梯子を使い、アクロバットな姿で窓ガラスに段ボールを貼付しているのである。
「経営管理室の出し物は、お化け屋敷!みんな来てね!」という雰囲気なのである。


今日は、午後イチで制服の業者さんが来社。
当社に新規参入を目論んでいる売り込みの営業マンである。

彼等は当社を誉めまくっていた。

そんな彼等に見せてあげたい。
梯子を使い、アクロバットな姿をしている経営管理室室長&主任を。


経費分析が終わらないので残業。その後、図書館へ。
今月から秘書検定1級の勉強をしているわけだが、かなり手強い。

今日は秘書の定型業務について。
海外出張に行く上司のサポートなど。

…窓ガラスの補修の補佐は、出題されないっぽい。


額から汗水を吹き出しながら、「汗が目にしみる!いてて!」と言いながら作業をする吉熊上司の姿を、梯子の下から仰ぎ見て、仕事とは、こういうことなのかと思った。

秘書検定のテキストにはない大切なことを学んだような気がした。


駆け抜けた一日

2012年10月15日 22時01分19秒 | Weblog
「なんなの!?」というような忙しさだった。

今日は制服の業者さんの対応1件。
来週、社長や他の社員に各社から出された提案を見せる。
そして選んでもらうので、比較できるようにまとめた。
特徴、価格など。ちゃんと説明できるように。


経費が締ったので、その加工。
経費分析は置いておいて、稟議書の処理。
溜まった伝票類の処理。

極めつけは、某店舗スタッフからのクレーム対応である。
「扶養控除御から抜けて、給料が少ないので制服をクリーニングに出せません。手洗いしたいんです」
というものである。
私だって、少ない給料から捻出し、仕事で着るスーツはクリーニングに出す。
店舗で販売員をやっていたときもそうだったし、他の社員だってそうだ。

ぶち切れしそうになったが、宥めすかし、その場はおさまったが、社長に報告させてもらった。
社長、ぶち切れ。

…ご愁傷様です…。


嗚呼、疲れた…。

喫茶店に立ち寄り、夕飯兼一服。
メールをチェックすると、週末の合コンの件にて先方より確認の件が届いていた。
ハンバーガーを齧りながら返信。
「楽しみにしています☆」って、ポチっとな。



ふ~。
やっと一息。

明日も頑張ろう!


「永山則夫 100時間の告白」~封印された精神鑑定の真実~

2012年10月15日 21時21分20秒 | Weblog
この気持ちは何なんだろう。そうだ。初めて映画「砂の器」を観たときと同じ類のものだ。
胸の奥でずしんと何かが響き、そして広がっていく。痛みを持って。

昨晩観たドキュメント。
「ETV特集「永山則夫 100時間の告白」~封印された精神鑑定の真実~」は重かった。

番組HPより
 1968年秋、全国で次々と4人が射殺される連続殺人事件が起きた。半年後に逮捕されたのは永山則夫、青森から集団就職で上京してきた19歳の少年だった。いわゆる永山事件は、永山の貧しい生い立ちから「貧困が生んだ事件」とも言われてきた。しかし、これまでの認識を再考させる貴重な資料が見つかった。
永山則夫自身が、みずからの生い立ちから事件に至るまでの心情を赤裸々に語りつくした、膨大な録音テープ。ひとりの医師によって保管されていた。医師は、278日間をかけて、患者の治療に使う「カウンセリング」の手法で、かたくなだった永山の心を開かせ、心の闇を浮き彫りにした。
100時間を超える永山の告白は、想像を絶する貧しさだけでなく、“家族”の在りようについて訴えかけている。それは、親子の関係、虐待の連鎖など、時代が変わり、物質的な豊かさに恵まれるようになった現代でもなお、人々が抱え続けている問題だった。
番組は録音テープの告白を元に、罪を犯した少年の心の軌跡をたどりながら、永山事件を改めて見つめ直す。そこから家族の問題や裁判のあり方など、現代に通じる諸問題について考察をめぐらす。



永山則夫について(Wikiより)
1949年6月27日、北海道網走市呼人(よびと)番外地に、8人兄弟の7番目の子(四男)として生まれる。父親は腕のよいリンゴの枝の剪定師だったが、稼ぎの大半を博打につぎ込み、家庭は崩壊状態。現在で言うところのネグレクトの犠牲者であった。母親代わりの長女は婚約破棄や堕胎から心を病み地元の精神科病院に4年間入院。 1954年(当時5歳)に、母親が青森県板柳町の実家に逃げ帰ってしまう。兄弟全ての電車賃が出せないため、則夫を含む4人を網走に残したままの家出だった(後に書いたノートで母は悔いている)。残された則夫を含む4人兄弟は、漁港で魚を拾ったり、ゴミ箱を漁ったりして極貧の生計を立てていたものの、年少の則夫は始終兄や姉たちから虐待を受けていた。しかし、1955年、近隣住民が福祉事務所に通報したのをきっかけに、4人は板柳の母親の元に引き取られた。その後、母親は行商で生計を立て、兄弟を育てた。
板柳中学時代に、函館と福島に家出した。
1965年3月、板柳から東京に集団就職する。渋谷の高級果物店・西村総本店に就職した彼は、北海道育ちのため「東北弁コンプレックス」も無く、接客を要領よくこなしていた。やがて新規店を任される話が持ち上がるほどの信用を勝ち得る。しかし、戸籍謄本の本籍が「網走無番地」だったため、「網走刑務所生まれ」だと誤解されてからかわれ、さらに過去の板柳での集団就職のための衣類の窃盗を店長が知り、店内での立場が微妙になり、結局、退職。その後も宇都宮市、守口市、川崎市など職や住所を転々とするものの、どこも長続きしなかった。それでも、新宿区の牛乳店で働きながら勉学し、1967年4月、明治大学附属中野高等学校の夜間部に入学。しかし同年7月に不祥事で除籍処分を受ける。永山が新宿区の喫茶店ヴィレッジヴァンガードで早番のボーイとして働いていた時、ビートたけしが遅番のボーイとして働いていた。その後、熱海市で定期便トラックをヒッチハイクして神戸に向かい、密航を企てるも失敗、横浜に戻る。杉並区の牛乳店で働きながら1968年4月、同校に再入学し、クラス委員長に選ばれる。その後、退学し故郷の板柳町に帰る。そして、陸上自衛隊試験に落ちた。
初めての検挙は、横須賀の米軍基地内での自販機荒らしで、この時は横浜少年鑑別所に収容され保護観察処分となっている。

横須賀市の米軍宿舎から盗んだ22口径の回転式6連発拳銃で、1968年10月から1969年4月にかけて、東京、京都、函館、名古屋で4人を射殺し、いわゆる「連続ピストル射殺事件」(広域重要指定108号事件)を引き起こす。永山は1965年に起こった少年ライフル魔事件の現場近くで働いていたためにこの事件を目撃しており、これに刺激された犯行ではないかという見方もある。
1969年4月(当時19歳10ヶ月)に東京で逮捕された。1979年に東京地方裁判所で死刑判決。1981年に東京高等裁判所で無期懲役に一旦は減刑されるが、1990年に最高裁判所で「同様の環境的負因を負う兄弟は、被告人のような軌跡をたどることなく、立派に成人している」という理由で死刑判決が確定する。
この判決では死刑を宣告する基準(永山基準)が示された。
1997年8月1日、東京拘置所において永山の死刑が執行された。48歳だった。全国新聞はいずれも当日の夕刊の第一面で報じた。





永山則夫の作品は『木橋』しか読んでないが、自身の少年時代を綴ったそれだけ読んでも、彼の悲惨な少年時代を垣間見ることができる。昨晩は、カセットテープに収められた永山自身の肉声と、彼の母親の肉声も聞ける貴重な番組だった。
永山則夫の話し方には特徴がある。語尾が「~なのね」なのである。これは私の推測だが、彼は幼少期に親に甘えられなかったから、幼児が母親にするように語尾がああなってしまったのではないだろうか。
母親の肉声は聞いていて腹が立つものだった。則夫の歩き方が憎んでいる夫のそれに似ているというだけで、則夫を殴ったり怒鳴ったりしたと、しゃあしゃあと語っているのである。しかも時々ヘラヘラと含み笑いをしながら。

私が子供を産まないのは、子供嫌いということが第一にあるが、産んだ子を虐待しない自信がないからだという思いも強い。私自身、虐待はされず、むしろ溺愛されて育った方だ。それをいまだに一人占めしたい、我が子にさえも分けたくないという自分勝手な幼さを自覚しているし、私は子供を嫉妬の対象で見てしまいそうなので、今、尼のような生活を送っている。「産んだら可愛いと思えるよ」という他人の意見を鵜呑みにはできない。「可愛く思えなかったら?」という疑問が、このような虐待を見ると絶えず心の中に芽生えてしまう。なので私の場合は虐待の連鎖ではなくて、私の根本的な性格の問題だ。

則夫の母親は産む前にそういうことを考えなかったのだろうか。時代が時代だったし、彼女自身、虐待されて育ったから「虐待の連鎖」という言葉でつい納得しそうになるが、…いやいや、でもこれはあまりにも酷いじゃないか。

野口英世の父親も相当だめオヤジだったが、母親シカさんが愛情を持って育てたので、則夫のように犯罪を犯さなかった。
家族の愛情のあり方など、昨日の放送は本当に考えさせられた。

結局、則夫は死刑でこの世を去る。

番組終了後、母から電話があった。
「永山則夫は生まれてきて幸せだったんだろうか」
「幸せと感じた瞬間ってあったのだろうか」
「…」
ということを話した。
あまりにも重い内容だったので、二人とも無言になってしまう。

「ALWAYS三丁目の夕日」のノスタルジックな高揚の裏に、則夫のような貧困もあった、あの時代。
今だってそうではないと言い切れない。

彼は数多くの作品を獄中で執筆した。
それらが、これからの社会で活かされることが彼の本望だと思う。
第二の永山則夫を出さぬために。


※再放送は2012年10月21日(日) 午前0時50分
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普段できないことをできたという充実感

2012年10月14日 19時29分03秒 | Weblog
今日は地元をブラブラ。
コシキブも先日見たときよりもだいぶ濃い紫色になっていた。
通勤時は一刻一秒を争っているので、撮りたくても撮れない。今日ようやく撮れた。



まず、愛用の腕時計の電池交換へ。
日曜日のショッピングセンターは激混み。

私の腕時計は高校三年生の時に買ってもらったアニエスbのもの。
よく時計をよく変える人は浮気症というが、16年間使用しているので、その説に準じるのであれば私は一途なのだろう。
一見ブレスレットにも見えるし、文字盤も見やすいので超愛用している。


本屋をプラプラ。
雑誌はあまり買わないのだが、今月の「日経WOMAN」は、くるもんがあった。
早速購入し、喫茶店で読みこんだ。



「おひとりさまのマネー計画」
これ、永遠のバイブルになりそうってなぐらい、目から鱗だった。
老後の為に今どれぐらい貯蓄しなければいけないか、目をそむけていたものと対峙する良いきっかけになった。

「『おひとりさま』で幸せに生きる7つの心得」など、コピーして壁に貼っておきたいぐらいである。
①60歳までとにかく働く
②収入の一定額を貯蓄し続ける
③自分から積極的にネットワークをつくる
④人頼みの生活プランは卒業
⑤運動、趣味…仕事以外の場所を見つける
⑥ひとり=不幸、という親世代の考えに負けない
⑦将来不安にとらわれすぎず今を充実させる

マンション購入における住宅ローンの組み方、頭金やその他諸費用についても書いてあり、なかなか濃い内容だった。
なるほど!亮子、目が覚めた。



また、「世界のおひとりさま、大集合!」という特集も素敵。
インドのディーバ・ミッタルさん(40歳 ビジネススクール英語教師)
年収:12万ルピー(18万)
月収:1万ルピー(1万5千円)
貯蓄額:100万ルピー(150万円)
何歳まで働く?:特に決めていない
将来の備えは?:特にしていない
プライオリティーは「健康」と「仕事」。真摯に働くことは、自身の「よいカルマ(行い)」のため。

が、気になった。

なんだ。世界に「おひとりさま」ってたくさんいるんじゃん!
仲間はたくさんいるのだと、なんだか急に嬉しくなった。



「人生が変わる!新★手帳術」
手帳は大学2年生の時にヴィトンのシステム手帳を買って、以来、ずっと使用している。

記入するのは仕事関係のことが中心で、心療内科と飲み会の予定、家族の誕生日。空白部分に、週末に行きたいイベントや美術館の開催日をメモしている。
本書で、その日あったことを手帳に記入して日記代わりにしている人がいた。
私の場合、このブログがそれに該当するのかもしれない。
2005年の2月から始めたブログ。
日々、生きている証拠。

久々に買って、その充実っぷりに驚いたぜ、「日経WOMAN」
モテ?何それ、うまいの?という硬派なところが好き。
変な付録も付いていないし。マブいぜ、俺たちの「日経WOMAN」


コンビニでシュウマイ&餃子弁当を購入。
高カロリーで、平日の夜のコンビニタイムにはなるべく見ないようにしていたこの弁当。
今日は一食しか食べていないから、まあいいかと購入。
うま~。



今日は、普段できないことをできたという充実感でいっぱい。
明日からまた仕事。
手帳を開くと、業者との打ち合わせ、経費分析、心療内科…という予定が。

さあ、これからマニキュア塗り直して、トリートメントで髪の手入れして、パックして…完全装備。
頑張ろう!!


22時からの「ETV特集 永山則夫 100時間の告白~封印された精神鑑定の真実~」が楽しみ。


マイノリティな女子会(笑)

2012年10月14日 00時04分08秒 | Weblog
夕方、飲み会に参加するべく、家を出た。
空には一面うろこ雲が広がっていた。秋だな~。


こうやって夕方に出掛けるとき、しかも秋ならば「Save Your Dream」を口ずさむ。

「ちょっとづつ You can find it
 太陽がかげる部屋で
 着替えをして everyday 街へ出よう everynight」

この歌を歌っていた華原朋美は当時22歳。
私ったらもう34歳になるのに、この歌の主人公と自分を重ねてしまう。


17時。
某駅で、経理部のO主任と小学校3年生の時からの親友わたと待ち合わせ。
今日は魅惑の女子会。
昨日の酒が若干残っていたのに、また飲むという。私ったら。
まあいいか。わたが「酒は命の水」って言ってるし。

今日は「女子らしく」というテーマのもと、ちゃらちゃらしたメニューをチョイスしようということになった。
ちょっとした悪ノリである。

何かに抱かれたい欲求が肉汁に滴っている「なんちゃら巻き」
瑞々しい私を食べてという欲求が溢れんばかりの「なんちゃらサラダ」
※ネーミング失念。てか、覚えられねーよ。


O主任の女子っぽいカクテル。


吉熊も連れてきた。
わたに「柄物と柄物の組み合わせってちょっとね」と指摘され、ショボーン。



我々が「女子」を口にするときは、大抵「スイーツ(笑)」同様の語句として使用する。
ぶりっこして男ウケばかりを考える、脳が下半身に支配されているような女子。
演歌ばりに尽くす女子もアレ。
昔から私とわたは、そんなぶりっこ女子を影でせせら笑っていた。
傍観し、「ああにはなれない、なりたくないよね」と。
この辺、25年経っても変わらない。


女子力が希薄な私は、つい、ししゃもなどをオーダーしてしまう。脱落。



親に写真を勝手に撮られて、見合いに使用されそうになったわたの友達の話を聞いて、ガクブル。
「あいつらに写真は撮らせるな」ということで意見が一致。こえーよ。
でも私なんて、写真には吉熊が映っているし、煙草とか咥えちゃっているし、無駄にアイドルポーズだから、先方よりお断りが来るだろう。「貴意に沿えず…」と。「沿われたくねーよ!」と鼻から煙を出す自分など容易に想像できる。


O主任は、そんな我々の鬼気迫るアンチ女子力に慄いていた。


でも、本当、不思議。
25年来の友達と会社の同僚と三人で飲むなんて。
酒飲んで煙吐いてどうでもいい話で笑えるのが一番の幸せ。


大人になるって素敵。

小学校時代、ジャージの素材が嫌いだと、私とわたはずっと体育の時間を半袖&ブルマで過ごしていた。雪が舞う冬でも。
「マイノリティは迫害される」ということが理解しあえる仲だから、わたとは25年も続けてこられたのだろう。
あの当時の我々が、25年後、こんな風に飲める仲に発展するとは想像もできなかった。
今、我々がいるのは「結婚」「女子らしさ」など、我々のマイノリティーが際立つ時代・世代。
でも負けないもんね!
酒がある限り。

今の自分が25年前とあまり変わらないことを再発見。
秋になったら華原朋美の「Save Your Dream」を聞く習性も今後、変らないことを強く実感。




某駅付近でわたと別れる時、SMAPの「Dear WOMAN」を某駅風に改造して、ジャイアンばりに熱唱。
WELCOME ようこそ○○へ~♪



嗚呼、楽しかった。
明日は休肝日。

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ご機嫌花金

2012年10月13日 00時10分19秒 | Weblog
今日、大きな地震があった。ちょうど別室にて、業者とのプレゼンの最中だった。思わず「ひぃぃ~!」と顔が引きつってしまうほどの大きな揺れ。長くねっとりとしたその揺れに、吉熊上司、業者さんと顔を見合わせた。

しかし、プレゼン続行。
アパレルのデザイナーという方たちと最近よく打ち合わせをするのだが、彼らのその特異な性質には驚かされるばかりである。今日は目の前でデザイン画を描いてもらったのだが、本当、さっさと筆を走らせて、感心してしまった。小さい頃に観た、堀ちえみのドラマ「花嫁衣裳は誰が着る」で、たしかこんなシーンがあった。私がこれから作るのは花嫁衣装ではなく、店舗用制服なのであるが。

肩から襟にかけての微妙なラインの作り方、スカートのラインの揺れ具合など、どの提案にも精緻な計算や技法が駆使されていて、吉熊上司と思わず唸ってしまった。
これは凄い。ただ単にデザインを起こすだけではなく、当社の特性や時代の流れなどに沿ったハイクオリティーな提案だった。


業者が帰った後、提案されたデザイン画を元に、その特徴をまとめた。


後輩女子Cちゃんと二人で残業中。
「今日うちの旦那さん、出張なんですよ」
とCちゃん。
彼女がそう発する時は
「一杯どうですか?」
という時である。
しかし、最近私がまた図書館通いをしていることを知っている彼女はなかなか言い出さないっぽい。

「じゃあ、行っとく?」
「いいですね!」

アコムの♪らららむじんくんのノリで会社近くのいつもの居酒屋へ。らららら。
ご利用は御計画的に。


「今日は話すこと、たくさんあるね~」
「まずは乾杯ですね」

かんぱーい!
一週間お疲れ~。
ぐびぐび。
うまいんだな、これが!!
今週は忙しかったので、酒が妙に美味しい。



東北復興メニューのひとつ。煎餅汁。
水分を含んだねちょねちょした煎餅、うまー。


話題は最近の社内クーデターの件。
どうなることやら…。

あと吉熊上司の下で働ける我々のラッキーな身の上。
吉熊上司は、凄く仕事ができる。親鳥が運んでくるその餌(仕事)を、我々ひな鳥は口を大きく開けて待ち、そして精いっぱい咀嚼する。三人でピーチクパーチク。いつも笑いが絶えない。
「34年生きていて今が一番楽しいし幸せ」と満更嘘でもないことが、酔った勢いで口から出た。
「私もです!」と、Cちゃん。その言葉で一層幸せになった。

その他…当社の今後、人事、今やっている仕事のこと…など。話は尽きない。

彼女は最近英語の勉強をやっているそうだ。
たしか彼女の出身高校は県立でも英語に力を注いでいて(彼女とは同郷)、彼女自身、英語が好きなのだそうだ。
「じゃあ、Cちゃん。英語を活かして、海外の買い付けに行けばいいじゃん。で、私に免税の化粧品を買ってきて」
と依頼した。


気付いたら23時を少し回っていた。
3時間半ほど話していたらしい。


Cちゃんと駅構内を歩いている時、若い男性二名に声を掛けられた。
「帰っちゃうの?」
「家、どこ?」
とか尋問された。
きっと若くて可愛いCちゃん狙いであることは百も承知なのだが、
「帰っちゃいます!」
「家はあっちです!」
と、Cちゃんの代わりに私が返答。芸能人のマネージャーばりの自分が泣ける。ううっ。
一応、私は年増の先輩。悪そうな輩から、可愛いCちゃんを守らなければ。

明日、Cちゃんは他部署の女課長とデート。
私は別件の飲み会を控えている。

それぞれの休日を楽しんでパワーチャージしたら、また来週、笑顔で会おう。



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宇宙の中心で吉熊が叫ぶ

2012年10月11日 23時26分01秒 | Weblog
英歌手・ブライトマンさん、宇宙旅行へ ISSに滞在(朝日新聞) - goo ニュース


今朝、NHKのニュースで知って驚いた記事。
いいな~。
宇宙に行けるのか。

もしも私が宇宙に行って何をしたいか?と訊かれたら。
ブログ更新をしたい。
題名は「宇宙の中心で吉熊が叫ぶ」
「無重力状態でブログを更新すると…」という実験をするつもり!
勿論、宇宙服を着た吉熊との2ショットも披露しよう。




今朝のそのニュースでサラ・ブライトマンの「Time To Say Goodbye」が流れていて、今日一日中、この曲が脳内でずっと流れていた。夢のようなソプラノの音色である。


サラ・ブライトマン「Time To Say Goodbye(2003Version)」




得した気分

2012年10月11日 22時57分21秒 | Weblog
疲れていたので、今日は図書館は休んだ。
最近急に朝晩が冷え込んできたので、帰宅後に衣替えをした。


私の衣替えは大まかに言うと三段階あり、

1、スーツを出す
2、セーターを出す
3、コートを出す。黒のストッキングを買う

という段階を踏む。

先日、スーツを出した。
インナーは日中、暑い日もあるので、半袖のニットかブラウスを着用している。
今日は2の段階。
セーターを出した。
いやいや、懐かしい。
「こんなの、買ったっけ?」と、なんだか旧友に再会した気分である。

そして、夏服は、押し入れに仕舞う。
さようなら。素敵な夏をありがとう。
私はどっちかというと、冬の厚手の洋服よりも、夏の花柄のプリントされたワンピースやシフォンのスカートが好きなので、ちょっと寂しい。

「これはもう着ないだろう」という服は思い切って捨てる。
本当は1着買ったら1着捨てるのが良いのらしいが、なかなかそこまでは踏ん切りが良くない…。

来月あたり、3の段階を踏む。
そうしたら、いよいよ寒い時期に突入する。
この冬はいったいどんなものが流行るのだろう。
手持ちのワードローブを把握して、新たに洋服を買い足すために色々と考えるのって楽しい。


せっかく休むために早めに帰宅したのに、余計に体力を使ってしまった。
しかし神様はちょっとしたプレゼントをくれた。
失くしていたと思っていたピルケースを、押し入れの奥(秘境)から出してくれたのである。
マリー・アントワネットの肖像画が描かれている、12年前にパリのヴェルサイユ宮殿の土産物屋で買ったものだ。
「わあ~!懐かしい!!」
一人なのに、小躍りしてしまうぐらい嬉しかった。
なんであんなところに仕舞ってしまったのだろう、自分。



冬服を出したことによる安心感、そして物との再会による得した気分。
そして明日を乗り越えれば、昼まで惰眠できる魅惑の土曜日が控えていることへの高揚!!


明日も頑張ろう~。


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ゴールデンポイント

2012年10月10日 23時33分23秒 | Weblog
社長に呼ばれて、社長面談@社長室。
いつもと変わらず、喫煙所事情を訊かれた。
開口一番これかよー?!
もはや私のアイデンティティーは、煙草とクマらしい。
遠回しに社内禁煙を推奨したいっぽいのだが、笑顔で情けを乞い、無事に喫煙所の存続を守った。
俺、ジャンヌダルク。


Facebookや宇都宮市の経済状況などを話し、産後復職の人の仕事と自分が受け持っている仕事の今後の方向性を確認。
「下期も頑張ってください」と言われて終了。あと、秘書検定1級、頑張ってくださいとのこと。


午後は後輩女子C ちゃんと什器備品の棚卸しをした。
共有フロアの椅子やテーブル、総務室・経営管理室のパソコンや電話の数を数える。
二人で什器備品を数え、数が一致したら、いつも「パォーン!」と舞う。
片腕をゾウの鼻に見立てて踊るんである。
名付けて、喜びの舞!

二人で階段の踊り場を通り過ぎる時。
花瓶に唐辛子が生けてあるのを見て、「これ、吉熊上司の土産にしようか?」などと言い、クスクス笑った。



プチ残業のあと、図書館へ。
今日は、一時間半。
つい、やってしまう落書き♪



夕御飯は、チゲうどん@ガスト。
お腹いっぱい。



明日は9月分の経費が締まる。経費データの加工・経費分析で忙しくなる。
明後日は、業者と打合せ。
気付いたら、一週間は終了しているのだろう。
で、土曜日は魅惑の飲み会。


社長に、何か不満などはないかと尋ねられたが、今のところ特にない。
30歳前はだいぶ荒んでいたけれども。

今は、月単位、年単位、また日々のルーチンをこなしながら、毎日を楽しんでいる。
吉熊上司、後輩女子Cちゃん、その他大勢の同僚の中で、毎日笑ったり怒ったり、また笑ったり。

思春期以降思い描いていた「ハイヒールとスーツを着用して颯爽と出勤したい」という夢をなんとか叶え、時間を作って勉強したり、好きなものを食べたり、友達と飲んだり、花やクマを愛でたりしながら、生きている。
他の人から見たらどうってことのない人生だけど、今日は「理想の自分」と「本当の自分」が一致した。

ゴールデンポイントの日。


運命に感謝だ。