世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

「永山則夫 100時間の告白」~封印された精神鑑定の真実~

2012年10月15日 21時21分20秒 | Weblog
この気持ちは何なんだろう。そうだ。初めて映画「砂の器」を観たときと同じ類のものだ。
胸の奥でずしんと何かが響き、そして広がっていく。痛みを持って。

昨晩観たドキュメント。
「ETV特集「永山則夫 100時間の告白」~封印された精神鑑定の真実~」は重かった。

番組HPより
 1968年秋、全国で次々と4人が射殺される連続殺人事件が起きた。半年後に逮捕されたのは永山則夫、青森から集団就職で上京してきた19歳の少年だった。いわゆる永山事件は、永山の貧しい生い立ちから「貧困が生んだ事件」とも言われてきた。しかし、これまでの認識を再考させる貴重な資料が見つかった。
永山則夫自身が、みずからの生い立ちから事件に至るまでの心情を赤裸々に語りつくした、膨大な録音テープ。ひとりの医師によって保管されていた。医師は、278日間をかけて、患者の治療に使う「カウンセリング」の手法で、かたくなだった永山の心を開かせ、心の闇を浮き彫りにした。
100時間を超える永山の告白は、想像を絶する貧しさだけでなく、“家族”の在りようについて訴えかけている。それは、親子の関係、虐待の連鎖など、時代が変わり、物質的な豊かさに恵まれるようになった現代でもなお、人々が抱え続けている問題だった。
番組は録音テープの告白を元に、罪を犯した少年の心の軌跡をたどりながら、永山事件を改めて見つめ直す。そこから家族の問題や裁判のあり方など、現代に通じる諸問題について考察をめぐらす。



永山則夫について(Wikiより)
1949年6月27日、北海道網走市呼人(よびと)番外地に、8人兄弟の7番目の子(四男)として生まれる。父親は腕のよいリンゴの枝の剪定師だったが、稼ぎの大半を博打につぎ込み、家庭は崩壊状態。現在で言うところのネグレクトの犠牲者であった。母親代わりの長女は婚約破棄や堕胎から心を病み地元の精神科病院に4年間入院。 1954年(当時5歳)に、母親が青森県板柳町の実家に逃げ帰ってしまう。兄弟全ての電車賃が出せないため、則夫を含む4人を網走に残したままの家出だった(後に書いたノートで母は悔いている)。残された則夫を含む4人兄弟は、漁港で魚を拾ったり、ゴミ箱を漁ったりして極貧の生計を立てていたものの、年少の則夫は始終兄や姉たちから虐待を受けていた。しかし、1955年、近隣住民が福祉事務所に通報したのをきっかけに、4人は板柳の母親の元に引き取られた。その後、母親は行商で生計を立て、兄弟を育てた。
板柳中学時代に、函館と福島に家出した。
1965年3月、板柳から東京に集団就職する。渋谷の高級果物店・西村総本店に就職した彼は、北海道育ちのため「東北弁コンプレックス」も無く、接客を要領よくこなしていた。やがて新規店を任される話が持ち上がるほどの信用を勝ち得る。しかし、戸籍謄本の本籍が「網走無番地」だったため、「網走刑務所生まれ」だと誤解されてからかわれ、さらに過去の板柳での集団就職のための衣類の窃盗を店長が知り、店内での立場が微妙になり、結局、退職。その後も宇都宮市、守口市、川崎市など職や住所を転々とするものの、どこも長続きしなかった。それでも、新宿区の牛乳店で働きながら勉学し、1967年4月、明治大学附属中野高等学校の夜間部に入学。しかし同年7月に不祥事で除籍処分を受ける。永山が新宿区の喫茶店ヴィレッジヴァンガードで早番のボーイとして働いていた時、ビートたけしが遅番のボーイとして働いていた。その後、熱海市で定期便トラックをヒッチハイクして神戸に向かい、密航を企てるも失敗、横浜に戻る。杉並区の牛乳店で働きながら1968年4月、同校に再入学し、クラス委員長に選ばれる。その後、退学し故郷の板柳町に帰る。そして、陸上自衛隊試験に落ちた。
初めての検挙は、横須賀の米軍基地内での自販機荒らしで、この時は横浜少年鑑別所に収容され保護観察処分となっている。

横須賀市の米軍宿舎から盗んだ22口径の回転式6連発拳銃で、1968年10月から1969年4月にかけて、東京、京都、函館、名古屋で4人を射殺し、いわゆる「連続ピストル射殺事件」(広域重要指定108号事件)を引き起こす。永山は1965年に起こった少年ライフル魔事件の現場近くで働いていたためにこの事件を目撃しており、これに刺激された犯行ではないかという見方もある。
1969年4月(当時19歳10ヶ月)に東京で逮捕された。1979年に東京地方裁判所で死刑判決。1981年に東京高等裁判所で無期懲役に一旦は減刑されるが、1990年に最高裁判所で「同様の環境的負因を負う兄弟は、被告人のような軌跡をたどることなく、立派に成人している」という理由で死刑判決が確定する。
この判決では死刑を宣告する基準(永山基準)が示された。
1997年8月1日、東京拘置所において永山の死刑が執行された。48歳だった。全国新聞はいずれも当日の夕刊の第一面で報じた。





永山則夫の作品は『木橋』しか読んでないが、自身の少年時代を綴ったそれだけ読んでも、彼の悲惨な少年時代を垣間見ることができる。昨晩は、カセットテープに収められた永山自身の肉声と、彼の母親の肉声も聞ける貴重な番組だった。
永山則夫の話し方には特徴がある。語尾が「~なのね」なのである。これは私の推測だが、彼は幼少期に親に甘えられなかったから、幼児が母親にするように語尾がああなってしまったのではないだろうか。
母親の肉声は聞いていて腹が立つものだった。則夫の歩き方が憎んでいる夫のそれに似ているというだけで、則夫を殴ったり怒鳴ったりしたと、しゃあしゃあと語っているのである。しかも時々ヘラヘラと含み笑いをしながら。

私が子供を産まないのは、子供嫌いということが第一にあるが、産んだ子を虐待しない自信がないからだという思いも強い。私自身、虐待はされず、むしろ溺愛されて育った方だ。それをいまだに一人占めしたい、我が子にさえも分けたくないという自分勝手な幼さを自覚しているし、私は子供を嫉妬の対象で見てしまいそうなので、今、尼のような生活を送っている。「産んだら可愛いと思えるよ」という他人の意見を鵜呑みにはできない。「可愛く思えなかったら?」という疑問が、このような虐待を見ると絶えず心の中に芽生えてしまう。なので私の場合は虐待の連鎖ではなくて、私の根本的な性格の問題だ。

則夫の母親は産む前にそういうことを考えなかったのだろうか。時代が時代だったし、彼女自身、虐待されて育ったから「虐待の連鎖」という言葉でつい納得しそうになるが、…いやいや、でもこれはあまりにも酷いじゃないか。

野口英世の父親も相当だめオヤジだったが、母親シカさんが愛情を持って育てたので、則夫のように犯罪を犯さなかった。
家族の愛情のあり方など、昨日の放送は本当に考えさせられた。

結局、則夫は死刑でこの世を去る。

番組終了後、母から電話があった。
「永山則夫は生まれてきて幸せだったんだろうか」
「幸せと感じた瞬間ってあったのだろうか」
「…」
ということを話した。
あまりにも重い内容だったので、二人とも無言になってしまう。

「ALWAYS三丁目の夕日」のノスタルジックな高揚の裏に、則夫のような貧困もあった、あの時代。
今だってそうではないと言い切れない。

彼は数多くの作品を獄中で執筆した。
それらが、これからの社会で活かされることが彼の本望だと思う。
第二の永山則夫を出さぬために。


※再放送は2012年10月21日(日) 午前0時50分
コメント (13)    この記事についてブログを書く
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13 コメント

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Unknown (ノアかか)
2012-10-16 15:38:42
「永山事件」・・・戦後の色々な事件の中でも人々の記憶に残る事件だったようですね。
むろん、私もリアルタイムでないのでよくはわからないのですが、永山氏の生い立ちを読むにつけ、何とも言えない悲しさを感じてしまいます。
親兄弟からの虐待・・・彼の心にどんな傷を落としたことか、想像だにできませんけど、可愛そうな気もしますね。
ある意味、子供の将来を潰す自覚のないままに子供の可能性を潰している親・・・案外多いかもしれません。
ウチは、生真面目な両親なので、あまり叩かれた記憶もありませんが、大事に育ててくれたことを感じますね。
私も子供はいませんけど、もし、自分も子供が産まれたら子供に感情的に当たりそうと感じてますし、若いころから「結婚しても多分子供のいない人生を選択するだろう」とおぼろげながら考えていたら、その通りになりました。
私の親世代も、裕福な人はほんの一握りで、あとは、皆、汗して働いて子供を育てたようなものです。
唯一例外なので、ウチで飼っている犬(ミニシュナ)には、溺愛していると夫に言われてます。だって、可愛くてたまりません。どんなにイタズラしても、「かーちゃん!」と甘えるその姿たまりませんね。
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ユンカース (亮子&吉熊)
2012-10-16 23:51:22
ノアかか殿

番組を見てから、もう2日経過しますのに、まだ気付けば永山則夫のことばかりを辿っています。
彼の人生って…と思いますと胸が痛みます。
改めて自分が育った境遇に感謝します…。

ノアかか殿のご両親、大事に育ててくださったのですね。

>私も子供はいませんけど、もし、自分も子供が産まれたら子供に感情的に当たりそうと感じてますし、若いころから「結婚しても多分子供のいない人生を選択するだろう」とおぼろげながら考えていたら、その通りになりました。

なるほどですね。
良きパートナー様に出合えたのだと思います!
ミニシュナちゃんがいらっしゃるのですね!
超羨ましいです。溺愛しちゃいますよね。

>どんなにイタズラしても、「かーちゃん!」と甘えるその姿たまりませんね。

きゃ!
激萌えです!
何とも言えない表情をしますよね。
ミニシュナちゃん。

昔、小室哲哉が飼っていたユンカースという犬がミニシュナで、超可愛かったです。

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再放送 (野々口)
2012-10-17 11:47:22
再放送見ます。

私は、子供が出来てから虐待のニュースとか見るたびに辛い思いになります。

あと、金八先生をCSで見てるんですが、子供が病気とか、事故に遭うとか、かなりショックに感じるようになりました。

ただ、世の中には実際にそういう思いをしている人がいるわけですからね。


一応、私もずっと子供嫌いです。でも、自分の子供は違うだろうと思ってました。
実際に生まれてみて、やっぱり自分の子は可愛いと思って溺愛してますが、よその子にはなんとも思いません。むしろイライラします。
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せめて (亮子&吉熊)
2012-10-17 21:25:07
野々口殿
ここで見られます。

www.dailymotion.com/video/xuc9mv_yyyy-yyyyyyyy-yyyyyyyyyyyy-1-2-2012-10-14_people


www.dailymotion.com/video/xuc9xg_yyyy-yyyyyyyy-yyyyyyyyyyyy-2-2-2012-10-14_people

>あと、金八先生をCSで見てるんですが、子供が病気とか、事故に遭うとか、かなりショックに感じるようになりました。

なるほど。
お子さんが家族として加わりますと、「もし、自分の子が」と思われるのでしょうか。
金八先生は1996年版だけ、全部観ました。

それから、木更津キャッツアイ、2話まで観ましたよ★
面白いです!!

>実際に生まれてみて、やっぱり自分の子は可愛いと思って溺愛してますが、よその子にはなんとも思いません。むしろイライラします。

ええ!
野々口殿、子供嫌いなのですか!びっくりしました。
私は従兄弟の娘(小学生)などは超可愛いと思うのですが。責任を伴うと苛々して可愛く思えないような気がします。

野々口殿やお子さんがいる周囲の友達など、本当に凄いなと思います。せめて親である方々やそのお子さんに迷惑をかけぬよう、老後設計はきちんとしたいなと思います。
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金八 (野々口)
2012-10-18 11:26:22
金八の96年というと第4シリーズですね。
当時、お付き合いしてた子のクラスメイトが出てて、当時見てました。
たこやきお守りだよね。
いま、第6シリーズを見てます。上戸彩の回です。
ずっと、金八は第2シリーズ(腐ったみかん)が一番だと思ってたんですが、最近見て第5シリーズが良いかと思ってます。

キャッツ借りられたのですね。
頑張って早く7話まで行ってください。

子供はずっと苦手です。
実家にいた頃、よくお客さんの子供と遊んでやってと言われたのですが、断ってました。
この前、実家に帰った時に親が私があんなに子供嫌いだったのに、娘と遊んでるから変わったって言ってたそうですが、全く変わってないのです。
昔から、自分の子供だったら可愛がれると思うけど、それ以外はダメって思ってたし、
子供が出来た今でも娘以外は特に何とも思いません。
甥っ子もどう接して良いかわからないので、ほとんど話しません。
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上戸彩 (亮子&吉熊)
2012-10-19 00:09:47
野々口殿

そうです。第4シリーズ。

>当時、お付き合いしてた子のクラスメイトが出てて、当時見てました。

凄いですね!
たこやきお守り!
小嶺麗奈の回は泣きました。

第6シリーズも少し観ていました。
上戸彩が土手をポッケに手を入れながら颯爽と歩くシーンが印象的です。
性同一性障害のやつですよね。


子供嫌い…たしかにお客さんの子供と遊んでと依頼されても困りますよね…。

電車内でのギャン泣きは我慢出来ますが、吊革で遊んでいる子を目撃しますと殺意が湧きます。

お嬢さんを愛している野々口殿、素敵ですよ。
日記を拝読しますと、心が温かくなります。
私もこうやって父に大切にしてもらったのかな、などをつい考えてしまいます。

そういえば、父も石高卒です。
石橋の伊沢写真館の息子さん(弁護士)と同級生でした。
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第6シリーズの (野々口)
2012-10-24 11:15:20
金八第6シリーズの11話で上戸彩のパパが出てくる回見ませんでしたか?

最近見たのですが、めちゃくちゃ笑えるシーンがありまして。
パパが藤岡弘で、その時点で違和感ありまくりだったのですが、急に上戸彩とダンスし始めて、上戸彩がぶんぶん振り回されて、最終的にムンズと胸を掴まれるという。
凄い内容です。話的には大事なシーンなんだと思うのですが、藤岡弘の登場で、なんだかなぁ~な印象に。
感動するシーンを戻して2回見たことはありますが、面白くて2回見たのはこの回だけです。

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覚えていますとも (亮子&吉熊)
2012-10-24 23:58:07
野々口殿

そのシーン、凄く覚えています。
ちょっとカッコいい、ダンス習いたいと思ったのです。
でも確かに面白いですよね。なんで藤岡弘?みたいな。
せがた三四郎ですよ?笑えますよね。しかもまさかの乳鷲掴み。あり得ません。ちょっと見直したくなってきました。
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せがた三四郎 (野々口)
2012-10-25 12:00:44
なつかしいですね。せがた三四郎。

私的には、ごっつええ感じで藤岡弘と遊ぼうってコーナーをよく見てたんで、それ以来バラエティでのイメージしかないですからね。

金八のその回、1,3倍速で見てたので、ダンスをし始めるのがより唐突で、上戸彩の振り回されっぷりがより酷く見えたのもあったと思いますが、相手が藤岡弘ってことが、一番の原因ですかね。知らない役者だったらそこまで思わなかったかも。

是非、見てみてください。第6シリーズの11話です。
その前にキャッツ見ましょう。
返信する
永山基準 (ハナ)
2012-10-25 22:02:14
永山基準って言葉ができるほど、
世の中に考えるきっかけを与えた人。

と言っても、その人の生育歴うんぬんというより、
死刑判決の基準なんだろうけど。

この人は、生まれてきて幸せっておもったのかな?
っていうのは、
マイケル・ギルモアのときにも思った気がする。
永山さんの人生って、皮肉なことに、
逮捕されてから始まったんじゃないかって思った。
そして、あってはならないことだけど、
獄中のほうが、彼にとっては安全なところだったんじゃないかとか。
だから、執筆活動をする気にもなったんだろうし。。


私も子どもは特に好きじゃない。
って、職業と矛盾していると思われがちだけど。
子どもっていう存在が無条件で好きっていうのとは違う。

この仕事をしていると、案外虐待の被害者って多いと思う。
そして、被害者のはずなのに、被害者として扱われていない人も結構多いと思う。
虐待によって一生涯の障害を負った子どももいるし、
ネグレクトによって、あるときに学ぶべき生活習慣を
習得できなかった子どももいる。

でも、それって、母親が一人で子育てをしようっていう発想が
そうさせているんだと思う。
虐待しちゃうかも?っていう憂慮も、一人で子育てをしようとするからなんじゃないのかな。
身内だけじゃなくて、多方面の支援を使えば、
なんとかなることもあるんじゃないかと思う。

永山さんは、自分の話を聞いて、恐れて子どもを産むのを控えることを望むのだろうか。
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