非国民通信

ノーモア・コイズミ

Sole Survivor

2009-06-19 23:01:53 | 文芸欄

 スタンリー・キューブリック監督の作品の一つに「フルメタル・ジャケット」という映画があります。これはもう超有名作ですから今さら私が語ることは多くないとも思いますが、このところ「文芸欄」のネタが枯渇気味なので映画の感想でも、と。

 さて、この映画は新兵訓練編とヴェトナム編の前後半に分けることが出来るわけですが、圧倒的に面白いのが前半です。人によって評価のポイントは別れるでしょうけれど、概ね世評でも前半部への評価が高い、後半部もそれだけ見れば名作の部類だと思いますが前半部のインパクトの前に霞んでしまうフシもあるような気がします。で、その前半部の主人公はなんと言っても彼ですね、

 通称「微笑みデブ」ことレナード君です。スクリーンショットは、彼が映画の標題である「Full Metal Jacket」と呟くシーンです。ネタ的にはどうしてもハートマン軍曹の方が人気なのでしょうけれど、この映画の世界観を構築していく上で最も異彩を放っているのは、この微笑みデブです。なぜなら、彼一人の存在によって「美談」がぶちこわされているから。

 ハートマン軍曹のエキセントリックな罵詈雑言がもたらす絶妙な装飾のゆえに平凡さからは免れているわけですが、この映画の前半部は要するに「厳しいが愛情ある教官」と「苦しい訓練を乗り越えて成長する若者たち」の物語です。日本だったら軍隊だけではなくスポーツ界、主として体育会系の部活動の世界で普通に見られる光景です。ハートマン軍曹は口を極めて教え子たちを罵るけれども、それはあくまで教え子が立派に育って欲しいがため、そして初めは反発していた新入りたちも次第に訓練の意義を理解し、結束を強めていく――キューブリックよりも先に、日本のスポコン漫画家が書き尽くしていたジャンルです。微笑みデブさえいなければ!

 こちらは連帯責任で腕立て伏せをするシーンですが、微笑みデブが見事に世界を破壊しています。その姿は神々しさすら漂います。自由の太神とでも呼びたいくらいです。

 ……で、結局のところ微笑みデブは隊内でリンチにあった挙句、教官であるハートマン軍曹を射殺し、自殺するわけです。冒頭のSSはその直前のシーンですが、要は訓練に付いていけず狂ってしまった――そう見るのが「普通の」解釈ですね。
 
 でもまぁ、考えようによっては逆だと思うわけです。狂ってしまったのは他の人間全てであり、微笑みデブ一人だけが正気を保っていた、と。だってほら、最初から皆がこうだったのではなく、訓練を通して新兵たちは変化した、その中で最も「変わらなかった」のが微笑みデブ/レナードなのではないでしょうか。訓練を通じて新兵たちが海兵隊的なるものに染まっていく一方で、一人だけ洗脳/矯正されなかったのが微笑みデブだとしたら?

 理由なく罵倒されることにも慣れ、生命や人間の尊厳に対する感覚もすっかり麻痺してしまう、それが環境に適応した結果であるとしても、これを正気と呼ぶには躊躇いがあります。逆に、こうした感覚を身につけることが出来なかった微笑みデブこそ、軍隊の外の間隔を保ち続けたたった一人の生き残りである、そう解釈することも出来るのではないでしょうか。

 凶弾は卒業式の夜に放たれます。訓練を終え、今まで罵倒するばかりだったハートマン軍曹が初めて新兵たちを一人前と認めた、その夜です。凡百のフィクションなら教え子たちが「厳しくも愛情をもって」自分たちを鍛え上げてくれた先生に感謝しながら羽ばたいていく場面へと移るわけですが、そうした「美談化」を打ち砕いたのが微笑みデブ、最後まで戦い抜いたのが微笑みデブなのです。

 

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残念、それはすっぴん風メイクの間違いだ

2009-06-18 22:42:44 | ニュース

厚化粧よりすっぴん=男性の好みは素顔-ドクターシーラボ調査(時事通信)

 男性は、厚化粧よりもすっぴんの女性が好き-。化粧品販売のドクターシーラボが実施した女性のメークに関するアンケート調査によれば、男性はマスカラやアイライナーなどを派手に使うよりも素顔や自然な化粧を好む傾向にあることが分かった。

 調査は4月にインターネットで実施し、男性250人、女性250人から回答を得た。好きなメークを男性に聞いたところ、軽めの「ナチュラルタイプ」と答えたのは83.2%、2番目に多かったのが「すっぴん」の14.0%、「厚め」は0.8%だった。86.8%が女性のすっぴんを「あり」と回答しており、自然な素肌を強調するのが恋愛では有利といえそうだ。

 女性に対する質問では、メークにかける時間を「10分以内」と答えた人が42.5%と最も多く、簡単に済ませるタイプが主流になっているようだ。 

 これはまた、鵜呑みにしてはいけない調査結果です。だってほら、男性が「あり」だと思っているところの「すっぴん」は実は「すっぴん風メイク」だったり、男性が最も好むと自称している「ナチュラルタイプ」にしても、大抵は「ナチュラルに見えるよう最大限の工夫が施されたメイク」ですよね? 正真正銘の「すっぴん」や薄化粧が本当に男性から好まれているかは微妙です。「(男性の目から)そう見える」のと、実際に「そうである」が一致するとは限りませんから。

 この調査結果が示すのはむしろ、男性の虚栄心ですね。大半の男性は化粧は「ナチュラル」なレベルで良い、「すっぴん」でも構わないと、そう回答しています。アンケートでは。ただ実際に「すっぴん」で会ってみたらどうなのかと思うわけです。口先では理解がある風を装いつつも、行動を伴わないケースが多いのではないでしょうか? こういう調査は文字だけのアンケートで終わらせるのではなく、「すっぴん」「ナチュラル」「厚化粧」の女性の写真でも並べて、どれに好感を感じるかも調べた方がいいと思います。その二つのアンケートの「差異」に男性サイドの意識が見えてくることでしょうから。

 「傍目にもメイクの後が際立つ厚化粧」は嫌われるとして(私は結構「濃い」表現が好きなんですが)、「本当になにもしていないすっぴん」でも評価は似たようなもののような気がします。一番ウケが良さそうなのは「実は念入りにメイクしてあるけれども、化粧の後を感じさせない」メイクですよね? これが男性好感度83.2%の「ナチュラルタイプ」なのだと思います。

 「初々しさを表現するにも経験が必要~」みたいなことを何かの雑誌のコラムで読んだような記憶があります。そういうものなのでしょう。本当に初々しい人であっても、それが他人に伝わるよう表現できるかは別問題、逆に大ベテランの方が「自分を初々しく見せる技術」に長けていたりするものです。問題はそれを演技だと気付かせないこと、ですね。演技だと気付かれたら全ては台無しですから。そしてこの辺を化粧に当て嵌めると、「見せる技術がない人」=「すっぴん」、「自分を初々しく見せられる人」=「ナチュラルタイプ」、そして「演技がばれちゃった人」=「厚化粧」辺りでしょうか。

 そういうわけで「86.8%が女性のすっぴんを「あり」と回答」したなんて調査結果があったとしても、本当に化粧しないで済むかと言えば、それは甚だ疑わしいところです。付け加えるなら「私はすっぴんでも気にしないけれど、お客様が気にするかも知れないから、ちゃんとメイクしてきなさい」みたいな組織の論理も働くでしょう。「外国人お断り」の論理もそれと同じ様なものなのですが、ネクタイだって、たぶんそうです(後はヒゲの禁止とかも、考え方は似たようなものでしょうかね)。相手がネクタイをしていないからといって、それを気にする人は決して多くないでしょうけれど、「他の人が気にするかも知れないから」といった理屈で首枷の着用が義務づけられていたりするわけです。化粧したい人だけが化粧する、首に縄をかけたい人だけが首に縄をかける、という風には進まないものです。

 まぁ私なんかは息をするのも面倒くさいタチですから、化粧しないで済む分だけ女性に生まれなくて良かったと思わないでもないですが、ことによると男女は関係ないのかも知れませんね。男性が女性を見る目と同じものを女性も持っていて、すっぴん男――特に何もしていない男――と、「ただしイケメンに限る」のイケメン――ナチュラルに良く見えるよう工夫している男――を選り分けているのかも、と。ただ、男性側が女性に求めているものを、実は自分達も求められていることを自覚できていないだけだったり。あるいは、同性間でも似たようなところはあるでしょうか。結局のところ、素顔のままでは生きられないわけです。

 

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泣く子と議員には勝てないようです

2009-06-16 22:29:25 | ニュース

郵便不正事件 「政治案件」無視できず 追い込まれたノンキャリ上村容疑者(産経新聞)

 民主党国会議員の口利きがあり、厚労省内で「政治案件」として扱われた障害者団体「凛(りん)の会」の証明書発行。今回の事件では、この“腫れ物”のような案件をめぐり、法案の処理などで政治家の口利きを断れないキャリア官僚と、キャリアに追い込まれるノンキャリア職員という構図も浮かび上がる。

 証明書発行に絡む省内の指示は、当時の厚労省障害保健福祉部長(57)から始まった。「国会議員から電話がかかってきた。うまくやってくれ」

 鳩山兄などの語るところに拠れば、日本の政治は官僚に支配されているらしいのですが、産経新聞によるとキャリア官僚でさえも政治家の口利きを断れないそうです。産経新聞ほどはっきりと書いているわけではないにせよ、他紙も同様に「政治家」の圧力の存在を伝えています。そりゃそうでしょうね、本当に官僚が「支配」しているのなら小泉改革だって「抵抗勢力」がきっちりブレーキをかけてくれたはず、そうならないのは官僚が政治家に引きずられる、そういう力関係だからでしょう。そこで今回の事件、やっぱり政治家の力は強くて、その圧力に屈したり媚びを売ったり、そういうケースが多々あるのかもしれません。

郵便不正「障害者新法、議員へ根回しのため」…元部長供述(読売新聞)

 自称障害者団体「 凛 ( りん ) の会」(解散)のために厚生労働省の偽の障害者団体証明書が作成された事件で、逮捕された雇用均等・児童家庭局長(16日付で大臣官房付)、村木厚子容疑者(53)の上司だった当時の同省障害保健福祉部長(57)(退職)や部下だった同部企画課係長、上村勉容疑者(39)が大阪地検特捜部の調べに対し、「法案賛成に期待した」「法案の根回しのため国会議員への対処が必要だった」などと供述していることがわかった。

(中略)

 ある障害者団体の幹部は「不正が行われたのはちょうど、障害者自立支援法の制度設計の最初の時期」と指摘。福祉行政に詳しい国会議員の一人も「法案に反対されないよう、国会議員にパイプのある団体の要求を断れなかったのではないか」とみる。

 捜査関係者は「将来的に法案を成立させ、今後新たな障害者政策を推し進めるためにも、国会議員との関係をつないでおきたかったのではないか」とみている。

 本当に官僚が「支配」しているのなら、そんな姑息な手で国会議員のご機嫌を取る必要もないのでしょうけれど、少なくとも現場の官僚達の感覚としては色々と根回ししておかないと通用しないもののようです。マスコミ報道で頻繁に使われる「政府筋」のごとく、いったい誰のことだかよくわからない「国会議員」の正体は定かではありませんが、これが本当に議員による圧力であれ、単なる議員の名を騙ったハッタリであれ、官僚は議員の力で安易に道を踏み外す傾向があることを示唆しています。こういう関係は、好ましくないですよね?

 現実問題として、民間企業でも上からの指示は絶対です。法に違反する行為と知りながら、上からの要求を拒めず、命じられるがままに行動する、違法状態を黙認する、よくあることです。建前としては「会社が法に触れる行為を指示することはない」となっていたりするものですが、実態は甚だ疑わしいわけです。例えば会社の指示で不正な利益供与を行う、民間企業では決して珍しいことではありませんが、これが「官」の世界で行われると今回の郵便不正事件のような結果になるのでしょう。

 こういうケースを未然に防ぐためには、何が必要なのでしょうか? 「上」の命令に盲目的に従うのではなく、従業員が己の意思を持ち、不当な命令を拒否できること、それによって不利益を被らないこと、内部告発を可能にすること等々、そうした環境作りが必要です。それはもちろん簡単なことではなく、まともに実現できている民間企業がどれだけ存在するかも怪しいところですが、果たして官僚機構の場合はどうでしょう? 私はむしろ、「官」の世界にこそ率先して見本を見せてもらいたいです。特定団体への不正な利益供与を議員が持ちかけてきたならば、速やかに外部に告発するような官僚組織の方が健全だと思いますね。それは世論の求めているところに逆行しているかもしれませんが、「政治を官僚の手から国民(の支持を得た自分)の手に取り戻せ」などと恫喝されようとも、不当な要求には毅然として屈しない、むしろ自立性を持った組織であるべきではないかと。

 

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誤診

2009-06-15 22:46:30 | 編集雑記・小ネタ

 誤診、というのは状況次第で深刻な結果を招くものなのだろうと思います。それが特定の症状に対しては適正な措置であったとしても、その症状を見誤っていたとしたら、最善を尽くしたつもりの措置がかえって有害なものとなってしまうわけです。そして患者を診断する場合の「誤診」もさることながら、社会的な「誤診」もまた深刻です。誤った現状認識に基づいて施行された政策は、当然のことながら成果を挙げることが出来ない、むしろ社会に深刻な害をもたらすものですから。

 例えば発症段階のA型インフルエンザ患者(成人)にタミフルを投与するのは、正しい処置と言えるでしょう。一方で「熱があるから急いで冷まさなきゃいけない」と称して患者を氷水のプールに沈めたら、それはもちろん愚行です(状況により、そういう措置が必要になることもあるらしいですが一般論として)。ところが既に回復に向かっている、ただの風邪をひいただけの子供が患者であったとしたらどうでしょうか? タミフルを投与するのも、風呂に沈めるのもどっちも明白な誤り、有害です。

 昨今、局所的な話題となっている成年向けアダルトゲーム(エロゲー)を巡る抗議/規制論議など、まさしくその「誤診」の典型です(参考)。山谷えりりんが牽引する政府筋の規制論議が患者を氷水に浸けるような愚行だとしても、Equality Nowら人権団体サイドの抗議もまた、誤診であり適正な措置ではないという点では変わりありません(そもそもEquality Nowの場合、エロゲーそのもの以前に、日本の社会状況に対する認識に疑問があります)。たぶん人権団体が想定している問題に対する抗議としては間違っていないのでしょうけれど、その想定が間違っているとしたら、それは健康な人間に抗うつ剤や抗ガン剤を服用させるようなものなのです。正しい治療手段も、誤診の結果では……

 しばしば事態を深刻化させるのは、この「誤診」に対する自覚の欠如です。騒動の発端となったゲームに関しては、どのメディアも同じように「レイプして妊娠・中絶させる過程を疑似体験する~」と紹介してきたわけですが、これは誇張も甚だしく、一方の主張を鵜呑みにして垂れ流しにしているだけ、真偽を検証するつもりなどさらさらないことを明白に示しています。さながら、黒人は白人より知能が劣っている、とする言説を疑う余地のないものとして一切の検証を放棄、それを前提に論議を進めるようなものです。

 エロゲー(作品、業界、購買層含め)のことなんて知りたくもない、興味がない、そういう人もいるでしょう。それはそれでいいのですが、知らないまま、知ろうともせず、誤った情報を鵜呑みにしながら、それでいて口を出すのは遠慮してもらいたいところです。口を出すなら、せめてもうちょっと勉強してからにしてよね、と。こういう言葉は普段、歴史修正主義者に対して向けられるものだったような気がしますが、昨今のエロゲー規制問題にも色々と当て嵌まるところが多いです。何も知らないのに否定に走る、そんなものは知る必要がないとばかりに「思いこみ」に基づいて自説を語るのは、その対象が南京事件であろうとエロゲーであろうと同じことです。問題とされる「凌辱」色の強いエロゲーがどれほど「売れていないか」ぐらいは頭に入れておいてよね、と。

 誤診、と言えば治安対策云々もそうですね。凶悪犯罪は減少しているのに、あたかも治安が悪化しているかのような前提で「対策」が取られる。その結果としてもたらされるのは何でしょうか? 治安は元から万全であるがゆえに変化ナシ、一方で国民への監視は強まるばかり、さながら回復期の風邪患者にタミフルを投与した場合のようなもの、甚だ疑わしい効能と、それよりはよほど可能性の高い「副作用」が待っているわけです。

 生活保護を巡る言説も同様、誤診の害が深刻です。たとえば、とかく話題に上る不正受給ですが、これは支給総額の0.4%にすら満たない、小数点以下で四捨五入してしまえば「ゼロ」でしかない些末な問題です。一方で受給資格がありながら支給を受けられない人は受給者数を遥かに凌駕しています。日本の生活保護の貧困補足率は15~20%と言われていますから、資格がありながら受給できない人は受給者の4~6倍程度でしょうか。不正受給が金額ベースで全体の0.4%弱(受給者ベースでは1%弱)、一方で支給を受けられないケースは400~600%となります。問題の軽重は言うまでもありません。

 ところが誤診が横行している、取るに足らない症状ばかりを過大視し、本当に深刻な症状を相対化する、そうした言説ばかり蔓延っているのが生活保護を巡る世界です。喩えるなら、交通事故で脊椎を損傷した患者を前にしながら、額の小さな擦り傷に執着するようなものでしょうか。生活保護凝視を何とかする上では、こうした「誤診」を広める人を黙らせるのが重要になってくるのではないかと、そう思わずにはいられませんね。折れた背骨を最優先で診なければならないときに、「こっちに擦り傷があるじゃないか! 膝から血が出ているのに無視するのか!」などと言い出す奴がいたら、そいつはぶん殴ってやった方がいいでしょう。

 後は、軍事/食料安全保障を巡る「対立」を前提とした議論にも似たところがありそうです。そこで説かれているのが「攻め込まれた場合」の安全保障として適切なもの、「世界的に孤立した場合」の安全保障として適切なものであったとしても、まず最初の診断が誤っていれば、治療方針も当然、誤っているわけですから。そこではしばしば「予防」は無視され、必ず症状が深刻化するという前提で話が進められる、これまた不毛なものですが、護憲派を自称し平和を掲げながら、そういう路線に乗っちゃう人もチラホラ、やれやれ、診てられないな、と。

 

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出世する女性

2009-06-14 23:24:30 | ニュース

女性上司で部下のやる気・評価高め コンサル調査(朝日新聞)

 女性上司は部下のやる気を高めて、部下からの評価も高い――。JTB系の人事コンサルティング会社「JTBモチベーションズ」(東京都港区)がこのほど、上司の性別と部下のやる気との関係についての調査結果を公表した。

 インターネット調査会社に依頼し、上司が男性の男女と上司が女性の男女の計4グループで、それぞれ155人ずつ計620人を抽出。青山学院大学経営学部でキャリア意識などを研究している山本寛教授に監修してもらい、各グループの意識の違いについて調査した。

 その結果、「今の仕事が好き」との回答は、女性上司がいる男性グループで63.2%と最も多く、一方、ほかの3グループは54~58%にとどまった。「今の上司だとやる気になる」と答えたのは、男性上司の場合が29.4%だったのに対し、女性上司の場合は38.4%だった。

 いずれも上司が女性のほうが、仕事への満足度や上司への評価が高い傾向だった。

 また、上司の嫌な点を幾つかの選択肢から複数選んでもらったところ、最も高かったのは、男性上司がいる女性が選んだ「リーダーシップがない」(33.5%)だった。

 山本教授は「まだ女性の上司は少なく、いま上司になっている女性は、多くいる男性上司の平均と比べて資質的に優れている可能性がある」とした上で、「社員のやる気を高めたいと思う企業は、女性上司を起用してみるのも一つの方法かも」と話した。

 まぁ、監修した教授が結論に近いものを出していますね。「まだ女性の上司は少なく、いま上司になっている女性は、多くいる男性上司の平均と比べて資質的に優れている可能性がある」と。女性上司の場合は、狭き門をくぐり抜けてきた選りすぐりの女性が多く、一方で男性上司の場合は、ただ長くいるだけでポストを与えられた男性を少なからず含むわけで、そうなると女性上司の平均の方がリーダーシップに長ける、そういう結果になるのかも知れません。男性差別だ、逆差別だのと喧しい昨今ではありますが、こういう性差が出る辺り、まだまだ企業社会は男性社会なのでしょう。

 ……で、監修した教授曰く「社員のやる気を高めたいと思う企業は、女性上司を起用してみるのも一つの方法かも」だそうです。この辺はまぁ、是正措置を勧める上では当たり障りのないところなのかも知れませんが、どうでしょうかね、会社で出世するばかりが人間の価値でもないでしょうし。

参考、マッチョな人

 上記リンク先で引用されているのは日経新聞に今でも掲載されている遥洋子氏のコラムで、端的に言えば「イヤな女」コレクションです。まさに反吐の出そうな「キャリアウーマン」の例が延々と語られており、よくもこうまで性格の歪んだ人間を集められるものだと感心してしまいます。勿論そういう目的で連載が続いているわけではなさそうですが、「社会」で活躍する女性に対する嫌悪感を養わせるには十分のような気がしないでもありません。

 男性的、なのだと思います。上記リンク先のエントリでは「マッチョ」という言葉を使いましたが、遥洋子氏のコラムで肯定的に取り上げられている女性達は誰もが男性以上に男性的――既存の権威が強要する価値観に忠実――です。それはたぶん、属する社会の男性原理には抗わず、その男性原理の中で頭角を現わした人だからなのでしょう。つまり周囲の男性よりも男性原理に忠実な振る舞いを身につけることで、女性という不利を克服した人々であるなら、男性原理に馴染めない人からすれば「嫌な奴」でしかありませんよね?

 そこで冒頭の調査にあった「女性上司」です。どうなんでしょうか、むしろ女性上司の方が会社の論理に忠実な人が多いような気がして、そうした人が増えるのはイヤだなぁ、と思うわけです。リサーチ結果から推測されるように、男性上司と違って女性上司は「選りすぐりの」タイプである可能性が高い、それが「選りすぐりの」「企業原理に忠実な」女性だったら……と。まぁ、だからこそ「男性的ではない」女性が出世できる環境作りが必要なのでしょう。

首相「親の跡継いで悪いこと何もない」 都議選応援で(朝日新聞)

 「親の跡を継いで悪いことは何もない。間違いなく親の背中を見て子どもが育つ。親の背中を見て、『おれもああなりたい』と思ったおやじは良いおやじだ」。麻生首相は9日夜、東京都議選の応援で訪れた品川区の自民党都議の事務所でこうあいさつし、同党内で対立の火種にもなっている「世襲」を擁護した。

 石原慎太郎都知事の三男宏高衆院議員も事務所におり、首相は宏高氏の名前も引き合いに出し、「みんな、おやじさんの代から、その教えを受けてここまでやってきた」。さらに、都議の小学生の息子を見かけると、肩をたたきながら「お前も跡を継ぐのか。世襲頑張れ」と話しかけた。

 さて、これだけ世襲議員が幅を利かせているにも関わらず、有権者が本心で世襲を否定的に見ているとは考えにくいのですが、麻生氏は性懲りもなく世襲を擁護しています。そしてここで注目したいのは「親」=「おやじ」である点ですね。父親であって、母親ではない。

 政治の世界も(とりわけ日本は)男性社会ですから、そこで活躍する女性は少ない、しかるに政府中枢に近いところで活躍する女性となると山谷えり子みたいな父権主義者も少なからず存在するわけで、まぁ微妙な顔ぶれに事欠きません。男性社会に馴染んでいるからこそ、女性ながらにして地位を得ているパターンもあるわけです。

 だからこそ、多少強引な是正措置を用いてでも、「男性的でない」女性政治家が登場しやすい環境を作る必要があるように思われるのですが、それはたぶん、世襲を減らす意味でも有効のような気がします。現行の価値観では「親父の跡を継ぐ」のは美談でも、「母親の跡を継ぐ」のはむしろ否定的に見られますから。「親父と肩を並べてツーショット」は世間の評価を高めても「ママと並んでツーショット」は逆効果ですよね? もしかしたら世襲が有権者から否定されないのは、それは「父親」からの世襲だから、逆に「母親」からの世襲だったらどうだろうと思うわけです。その結果が判明するのはずっと先にことになってしまいますけれど。

 

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民意、民意、民意…

2009-06-13 22:36:55 | 非国民通信社社説

 何らかの主張を語るにしても、主張している内容の実現を目的としている場合もあれば、そうでない場合もあります。特に意図するところがない場合、たいていの場合は前者でしょうけれど、そうではなく、主張している内容そのものの実現を目的とするのでは「ない」場合もあるわけです。自身の主張を実現させることではなく、主張を通じて波紋を広げる、それによって何かを訴えることが目的、そういうケースもありますね。

 主張をそのまま実現させるのではなく波紋を広げることが目的であるからには、その唱えるところは過激なもの、極論に近いところへと傾きがちです。実際にその極論を実行せよと迫るのではなく、極論を唱えることで社会に影響を与えようとする、そちらが目的であることが意識されないと、少なからず危うい方向に傾いてしまうものでもあるでしょうか。本当にその極論を真に受ける人が続発した挙句、その極論が実行に移されてしまったならば「私もビビる」わけです。

 私の場合、学校教育に関してはそういう態度を取ってきました。「人間形成」に著しく傾斜した学校教育を破壊して、「勉強する場所」としての学校を取り戻せ、塾を見習えと、そういう感じの主張を何度か載せてきたわけです。そしてそれとは別に、もう一つ何か極論をぶち挙げてみるなら、こんなものはどうでしょうか。「民意なんぞ糞喰らえ! 民意は無視せよ!」と。

 実際問題として、「民意が反映されないから」世の中が良くならないのでしょうか。むしろ私には思われるのですが、「民意を笠に着た」暴政によって今の世の中が形成されてきたのではないでしょうか。「政治を(官僚の手から)国民の手に取り戻す」とのスローガンの元でこそ、今の政治は形作られてきたのです。その政策が必要なのかそうでないのか、有益なのか害があるのか、そういった論点以上にモノを言ったのは「民意」でした。「必要な政策かどうか」ではなく「民意があるかどうか(国民の支持のある政党・政治家の政策かどうか)」が万能の基準になっているとしたら、その「民意」の中味も厳しく問われなければならないでしょう。

 中国と北朝鮮、アフガニスタンやイラク、ソマリアにジンバブエ等と並ぶ死刑存置国である日本は当然、国連機関からの廃止勧告も受けるわけですが、そうした勧告を突っぱねる理由として使われてきたのが「国民世論の多数が凶悪犯罪については死刑もやむを得ないと考えている」「わが国は凶悪犯罪に厳しく当たるべきだというのが世論の大勢だ」「死刑制度は国民に支持されている」といった口実でした。なるほど、これは嘘ではないでしょう、たしかにこの国では死刑制度は国民の賛意を受けています。だから、国民の声によく耳を傾けるべきだ、というならば死刑制度も頑として維持、推進していかなければならないことになるわけです。

 ならば、国民の声など無視しましょう。暴君が「私は府民の支持を得ている」といって無理を押し通そうとするならば、彼を支持する有権者の声そのものが誤っているのだと、そう言いきってしまいましょう。民意など、ゴミのようなものです。

・・・・・・

 しかるに、あくまで「民意は正しい」という前提に基づいて行動「したい」人もいるようです。確かに、民意は正しい、民意に添って政策等が決定されるべきであり、それが最善であるとするのが民主主義の建前ですから。そして結果が伴わない場合は、有権者の選択に責を求めるわけにはいかない、何か代りの「犯人」を見つけなければならないことにもなります。ゆえに、上手く立ち行かないのは「民意が反映されていないから」あるいは「(世論調査の結果は)マスゴミの捏造である、偏向報道であり、民意の現われではない」等々、そして「(有権者は)騙されているだけだ」などといった説明付けが為されることになるわけです。

 有権者が他人のクビを絞める(それは巡り巡って自分の首を絞める)ような選択を望んでいるのではなく、あくまで「騙されている」だけだと。なるほど、意図して有権者が悪意ある候補に投票しているとするなら、その有権者の責も厳しく問われねばならない、有権者を「加害者」として扱わねばならないことにもなります。しかし「騙された」のだとすれば、加害者ではなく「被害者」として扱うことができる、国民=民意を無罪放免できるわけです。民意は正しいとする世界設定を守るためには、そうした方が都合がいいのでしょう。

 こういう考え方は日本の民主主義においては根強い一方で、ドイツの戦後問題などではかなり否定的に扱われているようです。「(我々は)騙されただけなのだ」と言って自らを免責することが果たしてどこまで許されるのか、被害者面して自らの加害の責任から目を逸らしていていいのか、そう問われるわけです。そこで日本の有権者はどうでしょうか? とりわけ熱心に小泉/自民党を支持してきた、いわゆるロスジェネ世代などは、被害者であると同時に、その加害の責任をも見つめ直す必要があるのかもしれません。何が小泉/自民党の暴政を可能たらしめたかは忘れてはならないでしょう。

 先の千葉県知事選挙では自民党支部長の森田候補が「完全無所属」を自称していました。確かに、彼は嘘を吐いていました。しかしその支持層を指して「騙されたのだ」と言い切ってしまうとしたらどうでしょうか。新聞でもテレビでも、森田氏が自民党の推す候補であることは明記されていました。ただ本人の自己申告だけが「完全無所属」だったに過ぎません。そういうレベルで「騙された」人って何なのでしょう? 馬鹿なの?

 国民を「騙された」ものとして扱うことは、それだけ国民を「愚か」なものとして扱うことでもあるはずです。国民を、意図して悪意ある政治家に投票した加害者と見なすのではなく、ただ騙されただけの被害者と位置づけるのは、刑事事件に擬えれば被疑者を「責任能力のない」ものとして扱おうとするようなものです。つまり、治療の必要な患者として扱うのと同じことです(治療の必要性は否定しませんがね)。

 問題のある政治家/政党を支持する人々を指して「騙されている」と語る人は傲慢です。あいつらは騙されているが、自分は騙されずに真実を見極めている、「導いてやらなければ、啓蒙してやらなければ」暗にそう語っている、その人々の主体性を無視しているわけですから。ともすると国民を善意ある人々、(本来であれば)正しい選択のできる人々として尊重しているかに見せかけて、その実は優越意識を振りかざしている、そんな人はいないでしょうか。

 「騙される」国民が愚かなのではなく、「騙す」側(政府や人気政治家等)が狡猾なのだと、そう語る人もいるかも知れません。しかし、それはどうでしょうか? むしろ私には、脅威を煽る人々、北朝鮮や中国、ロシアなどの仮想敵国の軍事力を過大に描き出さずにはいられない人々と似たようなものと感じられます。たしかに「敵」が強大である方が好都合、主張の通しやすくなる人もいるでしょう。ただ、森田健作の例を見るまでもなく、そんな巧妙な「騙し」が使われているとは……

 森田健作が本当に「完全無所属」かどうかは、選挙前でも「知ろうとすれば」誰でも知ることが出来たはずです。テレビを点ければいい、新聞を見ればいい、どこかの政党と絡んでいるかどうかは、どこにでも記されていたのですから。問題はただ「知ろうとするか」どうかです。他の一切には目もくれず、森田健作の「自己申告」だけを唯一の情報源としたのなら、たぶんその人は「信じたかった」のでしょう。騙した、騙されたという話ではなく、その人が自分で情報を取捨選択した、自分の信じたいものを選び取った、それだけのことです。そんな「民意」に訴えていかねばならない、「民意」の支持を取り付けねば始まらないとしたら、何とも骨の折れる話ですね。

 脅威を煽る人々と、煽られるがままに行動する人々の関係を、水商売のホスト/ホステスと客の関係に擬えたことがあります。ポピュリストと支持層の関係も、たぶんそういうものなのでしょう。「騙す」→「騙される」という一方通行の関係、暴力的な関係が長続きするはずがありません。そうではなく、「騙される」側が主体的に「騙される」からこそ関係は破綻することなく保たれるのです。嘘が成り立つのは、それを信じる人がいるからであり、力による強制ではなく、「騙される」側が居心地の良さを感じるから、それでこそ関係は長持ちするものなのです。

 キャバクラでもホストクラブでも、ホスト/ホステス達は愛想のいいことを口にするでしょうけれど、それはあくまで仕事だから。だからと言って客が「嘘を吐くな」「騙すな」と真顔で口に出すようなら、それは野暮でしかありません。偽りであっても甘い言葉に気をよくするのが大人の楽しみ方です。そう、片方が悪意をもって「騙し」、受け手が愚かさのゆえに「騙される」のではなく、むしろ双方の共同作業によって虚構が成立し、維持されているわけです。

 政府や人気政治家が悪意をもって有権者を「騙し」、国民は被害者である、そう考えるのは一種のエスノセントリズムでもあります。他人が自分と同じ原理で動いているとばかりに、自分を基準にしてしまっているわけです。誰もが同様に、「騙されたくない」と思っているとするなら大間違い、明示的に「騙されている」状態にあると目されるのは誰もが避けるでしょうけれど、しかるに事実無根の虚構を自らの意思で「信じる」人はいくらでもいるはずです。そんな「信じたい」人のモチベーションを考えてみなければ、お互いの言葉は噛み合わないまま、双方の世界観を投影するだけで理解に到達できないまま終わるでしょう。

 

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いけいけ僕らの産経新聞

2009-06-12 22:36:35 | ニュース

 今さらながらではありますが、鳩山弟のクビが飛んだみたいですね。適正な理由で更迭するのであれば、もっと早い段階でそうなるべきでしたが。ちなみに鳩山氏は今後について「仲間たちと相談する」と語っていましたが、「仲間」って何なのでしょう? 友人の友人のことでしょうか? そもそも鳩山に友達なんかいない、と言う説もありますけれど。あるいは、現時点でこそ本人が否定していますが、政権交代のためにと称して、兄弟が「小異」を越えて手を取り合う、そんな悪夢の可能性も皆無ではなさそうです。それはさておき、今夜のネタはこっちの記事です。

拘置中の新聞制限は違法と判断  大阪高裁、賠償請求は棄却(共同通信)

 大阪拘置所(大阪市)に拘置されていた男性が、希望した新聞を定期購読できず精神的苦痛を受けたとして、国に220万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、大阪高裁は11日、「新聞を読む自由を侵害し違法」とする判断を示した。男性の請求は棄却した。

 一宮和夫裁判長は判決理由で「それぞれの新聞が多様な立場から独自に取材した事実や評論は、順次速やかに入手することが重要。制限により未決拘置者が受ける不利益は重大だ」と指摘した。

 国側は「ほかの2紙を読ませている。新聞は内容に大差はない」と主張したが、一宮裁判長は「国は表現の自由に最も気を配らなくてはならない立場なのに、報道の重要性を看過するかのごとき主張は極めて失当」と非難した。

 国の「希望を認めると審査などの事務量が増す」との主張についても「制限しても秩序維持に支障は出ない」と退けた。

新聞は       .
みな同じでは
     ありません

 ……そう詠んだのは我らが産経新聞ですが、「新聞は内容に大差はない」と国が法廷で証言したそうです。これは是非、産経新聞側の反論に期待したいところなのですが、どこか取材してくれませんかね? とりあえず「新聞はみな同じではない」とする産経新聞側の主張は、国から否定されているわけです。

 それはさておき、産経新聞しか取り上げない記事もあれば、朝日新聞しか取り上げない記事もあるわけで、その辺から被る不利益を正しく認めた判決です。刑務所内であっても、エルゴラッソやデイリースポーツぐらいは読めるようでなくちゃいけません。

 そもそも、「新聞は内容に大差はない」と言いながら、一方では「(購読紙を増やすと)審査などの事務量が増す」と主張する辺り、被告はあっさりと矛盾しています。本当に内容に大差がないなら、審査の事務量だって変わらないはずです。同じものが何部あったところで、中味に差がないのなら、どうして事務量が増えるのでしょうか。せめて自分の主張の内部だけでも、整合性の取れたものにする努力を見せてもらいたいところです。

 判決によると、男性は2005年1月から6月まで拘置。自費で朝日新聞の購読を希望したが、拘置所内のアンケートで希望者が多かった読売新聞、産経新聞の2紙に制限された。

 ちなみにこの「アンケート」が公明正大に行われ、かつ特異な結果ではないとするなら、「警察に捕まるような人」は読売と産経を好む、という推測が成り立ちそうです。大阪は産経新聞の最も強い地域でありながら、それでも発行部数は読売、朝日に次ぐ第3位ですし、印刷されるだけで購読されない「押し紙」比率は読売18%、朝日34%、産経57%とも噂され、その公称発行部数以上に朝日新聞と産経新聞の差は大きいと考えられますから。それにもかかわらず、塀の中では産経新聞が朝日新聞より人気だそうで、ふ~む、なにかと刑事犯には厳しい論調の産経新聞ですが、好かれているみたいですね。

 

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崩壊の前夜

2009-06-11 22:54:14 | ニュース

名古屋に続いて…半田市長選も「10%減税」掲げ初当選(読売新聞)

 7日投開票の愛知県半田市長選で、名古屋市の河村たかし市長に続き、「市民税10%削減」を公約に掲げる市長が誕生した。

 前副市長から初当選した榊原純夫さん(60)。「減税を訴えると、明らかに有権者の反応が違った。実現に向け、河村さんとタッグを組んで総務省と掛け合いたい」と述べた。

 立候補表明が遅れ、知名度の低さから苦戦が予想された榊原さんだが、告示直前に市民税削減を打ち出したころから流れが変わったという。選挙戦では、スニーカーを履き自転車で市内を走るなど、河村市長を意識した作戦を展開した。

(中略)

 削減の時期については、出来るだけ早く取り組みたいとする一方、「6月から新年度の市民税徴収が始まったばかりで、削減のための手続きや、条例改正なども考えると、今年度中は無理かも知れない」と語った。

 河村市長は、7日夜、榊原さんの当選について「私が唱える庶民革命が広がっている証しだと思う。いいことだ」と話した。

 この榊原氏については詳しく知るところではないのですが、どうやら河村たかしのお友達のようです。有権者がどういうタイプの政治家を求めているか、政治にどういうものを期待しているかが窺えるような気がしますね。

鳩山民主党は批判票の受け皿から脱し、自らの政治文化を根付かせられるか(お笑いダイヤモンド)

 2005年9月、郵政民営化法案が参院で否決されたことを受けて、小泉純一郎首相(当時)は衆院を解散し総選挙を行った。民主党は、与党327議席(自民党296+公明党31=44議席増)に対して113議席にとどまり(=62議席減)惨敗した。 一般的に民主党は小泉首相の「魔術」と呼ばれたパフォーマンスに敗れたとされる。

 私は、この敗因分析は正しくないと考えている。自民党の地滑り的大勝利は、それまで「本来自民党に投票したいのだが、自民党がだらしないから民主党に投票していた」有権者が、小泉首相の鮮やかなパフォーマンスで一斉に自民党に戻ったからだ。

 日本人の多くはなんだかんだ言っても、「やっぱり巨人が好き」というのと似た感覚で、自民党に愛着を持っていた。それまで民主党に流れていたのは自民党への「批判票」に過ぎなかったのだ。この選挙が示したものは、ブレア流に言えば自民党が「文化」として日本社会に根付いていたが、民主党はそうではなかったということだ。

 引用元では、一時の民主党人気は自民党への批判から来るものであり、その批判票の「揺り戻し」が起ったのが小泉時代と主張、そして民主党の「批判票の受け皿」体質をある程度まで変えた小沢一郎の功績と限界が指摘されています。なるほど当て嵌まる部分も少なくないと思います。しかし、民主党がそうである以上に、むしろ小泉純一郎が、石原、東国原、橋下、そして河村といった手合いもまた「批判票の受け皿」なのではないでしょうか。

 そもそも、支持政党を問われて自民党と答える人よりも民主党と答える人よりも、遥かに多いのが「支持政党なし」と回答する人々です。明示的な自民党支持層を源泉とする「批判票」の数などたかが知れています。むしろ重要なのは「支持政党なし」と語る人々からの「批判票」なのです。そしてこの時「批判票」が批判する、その対象は何なのでしょうか? 自民党……というのは答えとしては不十分です。

 そうではなく、自民党に限らない全ての政党、政治家を否定しているのではないでしょうか。とにかく政治家なんてのはろくな連中じゃない、それが世間一般の共通認識であり、各種フィクションを通じていつのまにか染みついた感覚だとしたらどうでしょう? ある程度の関心を持って政治に目を向けることで、物事はそう単純でないことが理解できるようになるものですが、一方で「普通の」人々からすれば、政治家など水戸黄門に成敗されるために存在する悪役に過ぎないとしたら?

 有権者は政治そのものを忌避している、政治を悪代官の活躍する舞台くらいにしか思っていない、だからこそ、政治の縮小が歓迎されたりもするわけです。議員定数の削減、議員報酬のカット、官僚/公務員への見境のないバッシング、行政規模の縮小や民営化、そして減税もそう、こうしたものが国民の支持を得るのは、「政治」を重荷ぐらいにしか考えていないからでしょう。あるいは正義のヒーローを妨げる邪魔者、無駄な組織ぐらいでしょうか。

 未知のモノは同じに見える、と以前に書きました。無関心な人からすれば、例えば庭石は全て同じようなものに見えるわけですが、その道に関心が深い人には善し悪しがわかるものです。政治も同様、実際は一口に政治家と言っても玉石混淆なのですが、無関心な人からすればどの政党、政治家も一緒なのでしょう。だからこそ、特定政党への批判ではなく、既存の「政治」全体への批判になるわけです。行政の経費もそう、実際は必要なもの、不要なものがありますが、無関心な人からすれば政治家や官僚の動かすカネなど全てが「無駄」です。だから社会保障拡充などの政治の拡大より、減税などの政治の縮小の方が有権者の関心を惹きつけるのかもしれません。そしてこのような感覚が、政治の世話になること――社会保障を受けること――への否定的な視点にも繋がっているとしたら……

 こうした中、「政治」を否定する候補が「批判票」の真の受け皿となってきたわけです。すなわち既存の政党との関係を否定し、これ見よがしに政治家「らしくない」振る舞いを披露する、積極的に既存の「政治」を非難することで、その対極に立っていることをアピールする、そういうタイプの政治家――すなわち、小泉、橋下、河村――が有権者の熱烈な支持を集めてきたのです。そこでは「まともな」政治家であればあるほど、有権者は既成の政治家像=悪役をイメージし、逆に政治家としての資質を欠いた言動を繰り返すほど、有権者は既成の政治を打ち破ってくれるヒーローの姿を見出すようです。自民党政治がどうしようもなく行き詰まったときに「自民党をぶっ壊す」と称した輩が台頭したように、相変わらず沈滞感の漂う現在は、単に野党のチャンスである以上に、良く言えば「型破りな」、しかし実態としては「不適格な」政治家にとってのチャンスでもあります。

 

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「昔」はどうだったんでしょう?

2009-06-10 22:52:41 | 編集雑記・小ネタ

 前々から述べてきたことですが、会社ってのは何かと中学校じみたところがありまして、服装や頭髪の指定が細かかったり、各種当番や時には「日直」みたいなものが回ってきたり、セキュリティ云々と称して名札をぶら下げ、チャイムに合わせてホームルーム、もとい朝礼で一日が始まったりするわけです。その他にも中二病っぽいネーミングが闊歩していたりと色々ありますかね。その一方で「運動会」や「修学/社員旅行」や「部活動」は衰退傾向にあるでしょうか。今なお健在な会社も多いと思いますけれど。

 私は一時期、かなり熱心に野球を見ていて社会人野球にも多少の興味があったのですが、不幸にして名門野球部の相継ぐ廃部を目の当たりにする羽目になりました。企業社会が相変わらず中学校じみたものであり続けようとも、会社のクラブ活動は縮小しつつあるわけです。そもそも、こういう企業スポーツ、企業「部活動」の存在を知らない人すら、決して珍しくはないみたいなのです(まぁ中小企業にいると、企業のクラブ活動などあたかも都市伝説のようなものと感じるときがありますが)。昔はどうだったのでしょうか。

 実際、いたんですよ。私の勤務先に。社内報に「部活動」で活躍する社員の特集記事が掲載されていたのですが、どうもその子は会社にクラブ活動が存在するということが理解できないらしく、「え、この人たちって、うちの会社の人なの?」とか言うわけです。「当たり前じゃん、他所の会社の人を載せてどうすんのよ」と、隣の先輩社員がツッコムわけですが、その子は「え、それじゃぁ、この人たちは会社の宣伝をしてるんですか?」と……

 う~ん、確かに企業スポーツあたりは、宣伝効果を期待されている部分もあるのでしょうけれど、そればっかりじゃないでしょう。根本的にアマチュアスポーツでは何かと限界がありますし、文化系のクラブ活動ともなればなおさらです。それでもクラブ活動が存在するのは、会社とは中学校みたいなものだから、というばかりではなく、社員への福利厚生の一環として、でもあるはずです。企業スポーツの勝利は社員の士気を高め、各種クラブ活動で社員の親睦を図る、不満をガス抜きする側面もありますよね。

 さて、先輩社員から一通り部活動の説明を受けたその子ちゃん「ふ~ん」と、適当にわかった風な返事をしています。そして一瞬の間をおいて、その子ちゃん曰く「ずるいね」。

 私は絶句してしまいました。うん、この子は別の世界の住人なんだ、と。その子の言い分としては、クラブ活動などの趣味のために、会社がお金を出したり、活動場所を提供したり、勤務時間を融通したりと、そうした扱いを受けていることがが「ずるい」らしいです。「いつもトイレに籠もって出てこないお前のサボりの方が問題だろうが!」とは言いませんでしたが、とりあえず自分のことは棚に上げて、クラブ活動に従事する人たちを「ずるい」と仰るわけです。ふ~む、こういう「子」って多いのでしょうか?

 かつては企業内クラブ活動の存在が、社員の士気を高めるのに一役買っていた、少なくとも、そう期待されていた時代があったわけです。ところが、今やそうした部活動の存在が逆に社員の士気を引き下げる、そんな時代に入ったのかも知れません。クラブ活動に打ち込む社員を見て、むしろ不公平感を感じ、不満を溜める、ならばどんどん廃部にしていくことが逆に社員の感情を満たすことに繋がるのでしょうか。経費削減に加えて社員満足度向上、一石二鳥ですね。

 成果主義で賃金が上がった、と言う話は滅多に聞きませんが(その逆なら、いくらでも耳にするのに!)、一方で成果主義を支持するサラリーマンは過半数を超えるとか。自分の賃金が下がるリスクよりも重要なのは、「怠けているアイツ」が成果主義によって「適切に評価される」ことだったりするのかもしれません。あるいは選挙の「必勝法」と化しつつある公務員叩きからもわかるように、「他人」の待遇を引き下げることが有権者の支持獲得に結びついたりもします。企業の部活動にも、同じことが言えるのでしょうか? 企業スポーツの選手たちが、「ノンワーキングリッチ」「フリーライダー」「既得権益者」などと罵られ、蔑視される時代が来たっておかしくないような気がしてきました。しかもそうした流れを、会社の役員層が「会社を社員の手に取り戻せ」などと称して煽ったりするとか……

 

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その路線を継ぐのはどちらの党か?

2009-06-08 23:30:48 | ニュース

解散近し!橋下人気引っ張りだこ…与野党ともあやかり作戦(読売新聞)

 次期衆院選をにらんで、大阪府の橋下徹知事に自民、民主両党が接近している。橋下知事は4日、東京・永田町で自民党の若手や重鎮の国会議員に招かれた勉強会をはしごし、17日には大阪市内で民主党大阪府連のシンポジウムに参加する。与野党ともに、〈橋下人気〉を引き寄せたいとの思惑が見え隠れする。

 4日午前、自民党本部で若手議員ら約15人が勉強会を開いた。大きな拍手で迎えられた橋下知事は「このまま総選挙になったら自民・公明は確実に負ける」と切り出し、「国民は変化を求めており、霞が関を変えるという期待は民主党にある。国民が民主党に感じている可能性をひっくり返すくらいの政策を打ち出してもらいたい」と訴えた。

 呼びかけ人の一人、松浪健太衆院議員(大阪10区)は「自民党が知事と同じスタンスで地方分権を推進することをアピールできる」と満足そう。選挙目当てとの憶測は否定するが、「選挙ポスターは、橋下知事とツーショットができればありがたい」と本音を漏らす。

 橋下知事は同日午後、同党の中川秀直・元幹事長や菅義偉・選挙対策副委員長の政策勉強会にも出席する。

 一方、昨年の府知事選で対立候補を擁立した民主党大阪府連も17日、地方分権をテーマに開くシンポジウムに、橋下知事をパネリストとして招く。開催日は知事側の都合にあわせて決めた。同党府連の国会議員は「知事が民主党の政策を支持するという意思表示をしてくれれば、強力な後押しになる」と期待を寄せる。

 土曜か日曜辺りの朝日新聞に、THE FACTS河村たかしの名古屋市政が来るべき民主党政権のモデルケースになる云々と載っていました。民主党(民主党系会派)が与党を務める地方自治体なんていくらでもあるわけで、何も河村市政を試金石とする必然性などないと思うのですが、「人気のあるところ」というのがポイントなのでしょうか。「国民の声に耳を傾ける」以上、人気者に従うのが党の路線になるのでしょう。

 ……で、地方自治体の首長の中では最も「国民の支持」があるであろう橋下に、自民、民主の両党とも擦り寄っているそうです。そして両党の橋下への評価はおしなべて高いようですが、一方の橋下当人はと言えば、政策面では民主党に、心情的には自民党に期待するところが大きいようです。「霞が関を変えるという期待は民主党にある」が、自民党にこそ「国民が民主党に感じている可能性をひっくり返すくらいの政策を打ち出してもらいたい」と。

 ・・・・・

 こちらでも書いたことですが、一部の民主党支持者(民主党支持ブロガー、ただし「特定の政党を支持しているわけではない」と断りを入れたがる人々)が民主党を支持する理由は、少なからず疑わしいものになりつつあります。長年続いてきた自民党の保守政治ではなし得なかったことを実現するため、小泉改革の惨禍を繰り返さないため、発端はそういう理由であったものが、いつの間にか「民主党の勝利」が究極の目標になっているケースも多々あるわけです。そうした人からすればどうなのでしょう、「橋下と手を携える民主党」の勝利もまた待ち望んだ未来なのでしょうか?

 「誰が総理に相応しいと思いますか」みたいなアンケートで、疑惑発覚以前の小沢一郎は麻生太郎の上にいました。ところが上には上がいて、「小泉純一郎」が小沢一郎よりも多くの期待を集めるなど、「その手の」政治家の人気は依然として高い、「敵」を見立ててそれと「戦う」政治家を性懲りもなく歓迎しているのが世論でもあります。

 一方で政府与党こと自民党は三代続けて小泉政権時代の「負の遺産」に苦しめられ続けてきたわけです。同じ路線を続ければ国民の歓心を買うことは出来ても、その破綻を取り繕うことは出来ない、否応なしに現実と向き合わざるを得なくなったのが現在です。だからこそ、小泉「カイカク」路線の見直しが自民党内ですら進みつつあるのでしょう。しかるに「カイカク」や「抵抗勢力(いつのまにやら「既得権益」なる新しい言葉が使われるようになりましたが)」との戦いを期待する声は治まっていません。そこに乗じたのが橋下であり、河村であったりするわけですが……

 民主党大阪府連は橋下をシンポジウムに招くそうです。曰く「知事が民主党の政策を支持するという意思表示をしてくれれば」とのことですが、それはつまり、民主党の政策も橋下の政策も同じ様なもの、あるいは同じものにするつもり、ということでしょうか。確かに鳩山の言動――自民党政治そのものではなく「官僚政治」を敵に見立てて非難し、自民党がダメな理由は自民党そのものではなく「自民党では官僚政治を打破できないから」と語る――を鑑みると、むしろ麻生より鳩山の方が橋下との距離は近そうにも見えます。

 たぶん、「勝利」のため、ひいては「政権交代」のためには、それが最適なのでしょう。小泉、橋下、河村の路線が勝利への近道、それは各種世論調査や選挙結果が証明するところです。しかるに民主党が勝利を求めて政策面でも橋下に擦り寄り、一方で自民党側も政権を失うまいと、カイカクの見直しを中止して再び小泉路線に回帰する(まさに橋下が訴えるとおりに!)、そうなると再び「改革を競う」時代が到来するのかも知れません。国民が新しい小泉を待ち望む中、どちらが「新しい小泉」に近づけるか、それを自民と民主で競い合う悪夢の到来です。

 

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