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非国民通信

ノーモア・コイズミ

マッチョな人

2007-03-19 22:44:53 | ニュース

遥洋子の「男の勘違い、女のすれ違い」 究極の勝ち組女性とは?(日経ビジネスオンライン)

 そうやって挨拶することもなく討論番組で共演することになったのが、片山さつき議員だった。氏は私のイメージどおり自らぺこぺこと全員に挨拶して回るタイプではなかった。ゆったり椅子に背中をもたせかけ、じっと周りを見渡していた。

 私はそんな氏を観察していた。皆がそれなりの挨拶を済ませたものの、それでもなおほぐれない空気の中、それぞれになにか言葉を探そうとしている時だった。ある女性が氏に言った。

「片山さんは美人ですね」

 それはあまりに唐突だった。互いを探り合っている時に投げかけるには不適切というか、少なくとも喫茶店ならいざ知らず、会議室で発言するには違和感がある言葉だった。

 私は瞬時に氏の表情を見た。氏は表情を崩すこともなく相手を一瞥した後、視線をそらして吐くように言った。

「意味わかんない」

 私は軽い衝撃を受けた。「美しい」と言われて「有難う」でも「あなたこそ」でも「そんなことないわ」でもなく、氏は確かに言ったのだ。「意味がわからない」と。私にはまだその言葉の持つ衝撃のようなものを分析しかねていた。

 本番が始まった。議論が飛び交う中で氏の個性が見え始めた。氏の発言には笑顔はなかった。相手の発言への配慮よりも、自分の発言を中断されることに怒りを隠さなかった。

 それは一見ふてぶてしくも見え、女性的好感度とは対極にあるような議論の仕方だった。そう映るのは、氏以外の女性たちの多くが、笑顔や配慮や謙虚を議論の場にすら持ち込んでいたからとも言えよう。私もその1人だった。

 さて、長くなるので前と後ろを端折って引用したこの記事ですが、いかがでしょうか。私は率直に片山さつきってやっぱり嫌な野郎だなぁ、と思いました。逆に共感する人もいるでしょうか。たぶん、小泉純一郎とか石原慎太郎とか上野千鶴子とか田中真紀子とか、そういう人が一部では嫌われながら一部では熱烈に歓迎されるのと同じ理屈が働いていると思います。アジア諸国への蔑視を石原慎太郎と共有している人が石原慎太郎を強く支持するように、ここで言う「女性的好感度」なるものへの嫌悪を片山議員と共有している人であれば片山議員に共感できるのではないかな、と。

 まぁ、いずれにせよ傲然と他人が挨拶に来るのを待ちかまえて自分から頭を下げに行かない、他人の社交辞令に対して煙草の煙を吐きかけるような返答をする、人の言葉を聞き入れず、ひたすら自説を押し通そうとする、批判にはすぐに感情的になる、会社の役員によくいるタイプのような気がしますが、ともあれこういう輩とは付き合いたくないものです。

 引用記事の著者である遥洋子氏に言わせればそんな片山議員が究極の勝ち組女性なんだそうです。う~ん。しかしまぁ、政界とか財界とか学会とか、そういう男性社会で成功している勝ち組女性には、この片山議員のような「嫌な奴」比率が高いような気がします。偏見でしょうか? でも、どうしても平均的な男性政治家よりも女性政治家の方が、平均的な男性役員よりも女性役員の方が、平均的な男性教授よりも女性教授の方が、何かと刺々しい傾向が強いような気がします。女性に対して笑顔や配慮や謙虚さを求める偏見がそうさせているのでしょうか?

 ここでちょっと思い出したのが、解放運動の歴史の一幕として積極的に戦争に荷担してきたという話、曰く「が求めた「挙国動員の大和民族国民運動」は、マジョリティに埋没し、マジョリティの価値観を共有する運動でもあった。国家という「家」の一員になることによって~」と。似たような流れで、一部の朝鮮人や台湾人などが戦争に積極的に荷担した例もあったり、一部のフェミニストが――当時なら婦人運動家が――やはり積極的に戦争に荷担した例もありました。たぶん、お国のために戦う兵隊こそが立派な社会人であるとする世界観においては、マイノリティがその地位を克服するために積極的にマジョリティに擦り寄っていったケースは珍しくないのでしょう。

 だからもしかしたら、男女差別、男性社会の存在に敏感な人ほど、この罠に陥りやすいのかもしれません。「いわゆる勝ち組女性が求めた「男女平等参画社会」は、マジョリティ=男性社会に埋没し、マジョリティ=男性社会の価値観を共有する運動でもあった」、後にそう評価される時代が来るかもしれないのではないでしょうか。

 引用した片山議員の振る舞いを一言で言い表すなら、それはマッチズモとでも言うべきものでしょう。ある意味で男性社会を支えてきたイデオロギーを、忠実に実行に移しています。片山議員は遙氏が言うところの「女性的好感度」からは脱却しました。これは結構なことですが、その後に至った先はどうでしょうか? ここに見る片山氏の振る舞いは「女性的好感度」の対極にある「男性的父権主義」とでも言いましょうか、今時の平均的な男性議員よりも遙かにマッチョな振る舞いです。だから、男性以上に男性的な価値観に染まっている、片山議員の「女性的好感度」に向ける軽蔑は世の男性が「女性的好感度」に向ける侮りよりも遙かに強い訳です。

 男女雇用機会均等法が施行され時間外・休日・深夜労働規制が男性のものに統一されたことを思い出してください。かつては男性と女性で別の規制であったものが、男性の側に適用されていた規制に一本化されたのです。均等化ならせめて中間、願わくば女性に適用されていた規制に一本化して欲しいところでしたが・・・ 本来ならば望ましいはずの男女差別の撤廃、女性の社会進出によってもたらされたものが、より一層の男性社会の強化であるとしたらしたら奇妙なことです。

 

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コミニケーション能力 (タクヤ)
2007-03-20 13:16:09
 私も、この記事を読みました。又、この討論番組も見たと思います。片山さつき氏はただ単に、官僚気質が抜け切れていないだけだと、私には映りました。陳情に伺う経験はないけど、陳情に来る人は多くいる環境で、仕事をしてくると相手に媚びる必要などなくなるのです。そうすると、自分から挨拶をしてまわるような事など考えもつかないでしょう。
 権力者側に回ると自分のコミニケーション能力など関係なく、逆に相手のコミニケーション能力は必要以上に気になる。要するに自分の意見に賛同し、自分を気持ちよい環境にしてくれる人がコミニケーション能力があると言う事でしょう。
 はたして、片山さつき氏が常に相手に媚びずに今まで過ごしてきて、出世街道を歩んできたのでしょうか?それは間違いなく、ありえないでしょう。自分より権力がある人には媚びるものです。権力者は自分を不快な気持ちにする人が、大嫌いな人間が圧倒的に多いと思いますから。なので、片山さつき氏も例外でなく、媚びる人には媚びているのです。それを証拠に選挙の時は、選挙民に自ら握手をしに行き、ひたすら頭を下げていた彼女がいたのですから。
 彼女も中小企業の営業マン出身だったら社交辞令の天才になっていたかも知れません。
女王蜂 (うぺぽ)
2007-03-20 17:02:06
この人女王蜂ってやつじゃないですか?昔読んだ本でアメリカの学者の研究で男社会で成功したキャリア女性のことをそういうらしいですよ。その特徴として自分と似たようなキャリア女性を嫌うそうです。あと支配層には逆らわないなど。ある意味男社会の恩恵を一番得ている人だな。まあ男のマネをしてれば一人前なんて勘違いをしてる人は増えたと思うし、そういう人って都合が悪くなると女に戻るんだよね(´・ω・)
Unknown (非国民通信管理人)
2007-03-20 23:20:35
>タクヤさん

 確かに地位が人を作る面もあるでしょうね。そしてこういう下に対して傲慢な人ほど上に対しては徹底的に媚びるような気がします。選挙期間中の片山議員については、失念しておりました。選挙期間中にはぺこぺこと頭を下げる片山議員の姿を見たときに、引用したコラムの著者である遙氏が今度はどのように片山議員を形容するのか、興味が湧いてきます。

>うぺぽさん

 女王蜂ですか。女王蜂は巣に一匹ですから、自分と似たようなキャリア女性を嫌うのでしょうか。ついでに言えばノンキャリアの女性、伝統的な「女性的好感度」型の女性のことも嫌っていそうですけれどね。逆に好きというか、媚びる相手が支配層=キャリア男性になるのでしょうか。女性の社会進出の先頭に立っているはずの女性が、逆に男社会にどっぷりと染まりきって男社会を強固なものにしている、そういうところが少なからずあると思って今回のエントリを書いた次第であります。
鉄の女 (ワンダラー)
2007-03-21 12:24:34
多かれ少なかれどの国の社会も男性優位のシステムになっており、そんな中で勝ち残ってきた女性の方々は大変な努力をしてきたことには敬意を示します。
ただ、一般市民層から宰相に上り詰めたイギリスのサッチャー元首相のように、自身の経験から実力主義を過大に肯定し、社会的弱者層に留まっている人々は甘えていると見えてしまうのでしょう。
優秀な人ほど他人も自分と同じくらいのことができるものと期待するのですが、誰もがサッチャー元首相や片山議員のようにやれるわけではないのです。
ですが、そういう生き方は、そのような生き方のできない人から見ると、カッコよく見えたり、逆に生意気に見えたりするのでしょうね。
人というものは良くも悪くも自分の経験の中でしか物を見られない生き物であるのかもしれません。
Unknown (非国民通信管理人)
2007-03-21 23:46:22
>ワンダラーさん

 強者の論理が幅を利かせる現行の体制に不満のある身としては、弱者がそれを転換することに期待したいわけですが、ままなりませんね。男性社会においては弱者であるはずの女性であるサッチャー氏が強者の論理を振りかざしたように、男性社会で上に立つような女性は、上に立った時点で強者となり、弱者としての視点を忘れてしまうのかもしれません。

 アメリカでは大統領選に向けて民主党内で黒人であるオバマ氏と女性であるヒラリー・クリントン氏が争っているようですが、白人社会における黒人、男性社会における女性と弱者の立場に立つ素養はありそうです。しかし、二人のいずれかが大統領という強者になったときにどういう振る舞いに出るでしょうか。「黒人/女性でも努力すれば成功できる、弱者に留まっているのは甘えているから」そんな発想に至らないことを願うのみです。
Unknown (うぺぽ)
2007-03-22 19:12:43
というか努力してのしあがった人っていうのは、批判する人、弱者、努力しない人を許せないんじゃないかなあ。努力してきた人には多かれ少なかれそういう狭量さがあると思う。努力しない人を認めてしまえば自分のやってきたことは何だってことになりますしね。アメリカのライス国務長官は黒人のアファーマティブで今の地位に就いたのに黒人貧困層に非常に厳しいらしいので、世界共通のようですね。
Unknown (非国民通信管理人)
2007-03-22 23:03:02
>うぺぽさん

 努力してのし上がった人の一部は、

自分の成功は努力したから=成功していない人は努力していないから

 そう、考えてしまうのかもしれませんね。でも努力しても報われない人もいますし、成功した人は努力だけで成功したのではなく、機会や才能に恵まれ、周囲の助けもあって成功しているわけで、その辺を自覚しているかどうかで成功できなかった人への対応が変わってきそうですね。片山議員もサッチャー氏もライス国務長官も、自分の力だけでここまで来たと思いこんでいるのでしょうか。

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