さて、これまた少しばかり前の話になりますが、フジテレビに対して「韓流」を止めるようにとのデモが行われたそうです。まぁ、こういうのは相手にしないのが大事です。極右層を当て込んで選挙で惨敗した政治家や政党もあったわけで、騒いでいる人を多数派と勘違いして変に気を使ってしまうと、それこそ道を誤る結果になりますから。抗議を受けたフジテレビ側がヘタレるのならいざ知らず、適当にあしらっている限りは我々が憂慮するようなことにはならないでしょう。それにしてもまぁ、コンテンツの売り込みに熱心な韓国の姿勢は、日本も見習って欲しいところですね。製造業では新興国とのコスト競争で身を磨り減らすばかりなんですから、もっと「モノ」以外の商品を国外に売り込む努力が望まれるところです。
さて、娯楽と言えばテレビしかないとか、受信できるテレビ局はフジテレビだけというのであれば「偏向」報道は問題になるのかも知れませんが、嫌なら他の局を見ればいい、嫌ならテレビ以外のメディアを選べばいいだけの話です。選択の自由は確保されているのですから。そして、この選択の自由が確保された中、「韓流」は市場原理によって淘汰されることなく生き残っています。一定の需要があり、採算がとれるコンテンツということなのでしょうね。だからこそ、反・韓流な人たちが憤るところもあるように思います。単にテレビ局が無理押ししているだけなら、いずれは廃れていくもの、そうならないものだからこそ、ある種の人々に危機感を抱かせるわけです。
ただ最近は、もう一つ要因があるような気がします。かつて一水会の鈴木邦男が、従来の街宣型の右翼は追いつめられているみたいなことを言っていました。何でも世論が右傾化する中でネット世論がどんどん先鋭化し、街宣右翼よりも過激な主張が当たり前のように飛び交うようになっていった結果として、街宣右翼が焦りを感じるような状況が作られているのだとか。古株の右翼が若いネット世代の右翼の台頭を前に埋没の危機を感じたとしても、確かにそれは不思議ではなさそうです。その結果としてネット右翼に負けてはいられないとばかりに暴発する街宣右翼も出てしまうのだと鈴木邦男は語っていたように記憶しています。
これと似たようなことが、今度はネット世代の右翼に対しても起こっているのではないでしょうか。つまり、原発事故以前から自分たちに迫る脅威の存在をことさらに大きく強調してきた、偏見に基づく差別意識や嫌悪感を煽り立ててきた人々にとって、今の状況は焦りを感じるものではないかと思えるのです。これまでは自分たちが先頭に立って拳を振り上げていたのに、いつの間にやら拳を振り上げた大集団が後ろから自分たちを追い越し、自分たちを飲み込もうとしているわけです。ネット世論の主流派として隣国への憎悪を駆り立ててきたはずが、電力会社なり原発なりへと憎悪を向け、放射「能」を言い訳に差別や偏見を広めて憚らない人々に主役の座を奪われたと感じているネット世代の右翼も少なからずいることでしょう。そうして埋没の危機を感じた右派が自らの存在を誇示すべく暴挙に出たとしても、これまた不思議ではありません。
一方こちらは、諸派こと幸福実現党のチラシです。特に問題のあるものではないとも言えますが、一方で少数派の主張でもあります。まぁ、これが単なる政党のチラシであるなら、奇特な人もいるものだと済まされるだけでしょうか。しかるに、実質的には幸福の科学という宗教法人の発行物でもあるわけです。一般に宗教は、とりわけ新興宗教ほど何らかの脅威を説き、それに対する救いの手をさしのべるイメージがありますが、「こわくない」と逆に相手を安心させようとするかの如きメッセージを発信するのは、あまりカルトらしくない、ましてや近隣諸国の脅威を盛んに説いてきた団体の刊行物としては似つかわしくない文面と感じさせてくれます。
色々と事情もあるのでしょう。核武装論者でも反原発の流行に乗り遅れまいと急ぐ人もいれば、原発と原爆が同一視されて核武装論までもが否定されるのを恐れて原発擁護に回る人もいるわけです。あるいは福島にも少なからず住んでいるであろう信者を慮ってのことでしょうか。本当に計算高く自らの「利」を考えるのであれば、人々の恐怖を煽り立て、そこに救いの手をさしのべる風を装って信者の獲得に繋げてもおかしくないところです。何かしら不安や恐怖に苛まれている人々に、「こうすれば大丈夫です」と真偽の定かではない解決策を提示して自らの「教え」を擦り込むのはカルトの常套手段です。放射「能」への恐怖が吹き荒れる今こそ、信者を増やすには絶好の機会でしょう。しかし、幸福実現党は放射「能」の脅威を煽ろうとはしていない、少なくともその点だけは良心的と言えます。
むしろ、恐怖と救済をちらつかせる手法もまた反原発論に本家の座を奪われてしまったのかも知れません。大川隆法という教祖の言葉よりも、小出裕章なんかの語る終末論の方が世間的には格段に影響力が大きい、ことによると幸福の科学の信者においてすら、というところもありそうです。教祖でも何でもない人が擬似的な教祖となり、世界の破滅よろしく放射「能」の恐怖を日に日にエスカレートさせながら説いていく中では、本物の教祖である大川隆法ですら焦りを感じることもあるのではないでしょうか。幸福の科学よりも速いペースで「信者」を増やしている人が多々いるわけです。こういう状況で埋没を避けるべく、どこか放射「能」とは別のところで、ことさらに過激なことを言い出すことも増えることでしょう。右翼にとってもカルトにとっても、周りの「一般人」だったはずの人の方がむしろ過激なことを口にし始める時代ですから。
手段が目的化している、という部分がここでも見られるような気がしますね。政治を変えるのが目的だったはずが、いつの間にか手段だったはずの政権交代が目的となり、手段だったはずの民主党の勝利が目的となったり、それと同じようなノリで「脱原発」が目的化している人も少なくないのだと思います。そういう人にとって、原発事故は「チャンス」であり、最大限に活用すべき対象にもなっている、それが昨今の大騒ぎにも繋がっているのではないかと。
kojitakenさん他自分もそうでしたけど、どうしても実態とその結果から逃げる癖がある。
そういう感じがするんですよね。
あれだけ騒いで残ったのは微弱な放射線量、それも自然界に存在する量と大して変わらないケースもあるのに、それに対して「大騒ぎ」を引き起こすのは、本当の反核の思想から離れていってるような気もするんですよね。
あとは「調べない」ということですよね。
・・・難しい。
これは一筋縄ではいかないような気も、するんですよね。
何事も反動的と言いますか勧善懲悪的と言いますか、何らかの「敵」を見いだしては、「敵」へのバッシングの先頭に立つ人を英雄として崇めるところがあるんですよね。そして「英雄」に全てを委ねてしまうと。そのkojitaken氏だって今や見るに堪えない陰謀論を連発するばかり、氏にとっての「敵」を攻撃してくれる人をどう評しているかを見れば、まぁ肩をすくめるほかありません。
>ルーピーさん
そうそう、結局のところ単語が入れ替わっているだけで、やっていることはネット右翼のそれと変わらない人が多いと思うんですよね。脅威を煽って自説の刷り込みを計るという点では、ある意味で一億総ネトウヨ化とすら言えるのかも知れません。
お茶なんかも、今になって真面目に調査した結果、基準値を上回っていて大騒ぎになったと思うのですが。見向きもされていなかったことで過剰反応されているふしがあります。
誰かスゴイ人がやって来てスゴいことをやってほしい的な。
それが内容はともかくとして「カイカク」だったわけですが。
でも、それじゃまずいとおもうんですよね。
上の人の権限が強くなるばかりでちっとも優秀な政治家が育たない。
物言えば唇寒し的な状況になるのではだれでも小泉さん万歳、シンジロー!的な状況になるのは仕方ないんですよね。
だから、選挙制度を変えるしかないのかなぁなどとkojitakenさんはいってますね。
「北の工作員」という言い方とどこが違うのかとも思えてきてしまいます。
原発の危険性を過剰に言い立てることは、北朝鮮脅威論と相通じるものすら感じています。
とんだお笑いですね。小出の言ったことなんて、ほとんど外れてばかりではないですか。当たったと言えば原発事故が起こることへの懸念くらいで、こんなものを心配していた人は五万といます。うさんくさい発言の中から信者が都合の良いものをピックアップして、牽強付会で「当たっていた」と騒ぎ立てているだけで、それはノストラダムスなり麻原彰晃なりを信じるのと変わりません。氏の存在によって、現実に即したメッセージを発する人が社会的憎悪の対象となり、原発周辺地域への忌避感や差別意識が煽られている中で「その活動に感謝」などとぬけぬけと口に出来る神経が信じられないですね。
>リンデさん
その「過激さ」を競わないと、反原発論の盛り上がりの中に埋没してしまう、彼らにとっての危機的状況ですから。言葉を慎重に選んでいては、忘れられるばかり、そういう時代なのだと思います。
>Unknownさん(次回よりハンドルネームをご記入ください)
私もそう思います。叩く対象が変わっただけで、「叩き方」はネット右翼や在特会のそれと、何ら変わりがないと感じることが多いですね。意見が異なっていても筋の通った人なら尊重はできますが、たとえ意見は一緒でも「やり方」が在特会と同レベルの人は、ちょっと肯定できないところです。
>IBAさん
きっとフジテレビしか見られず、ネットにも繋げない人たちなんでしょうね。他の番組を見るとか出来ないようですから。特定の何かを憎悪するあまり、それ「以外」のものが見えなくなってしまうのでしょう。
>ノエルザブレイヴさん
「やり方は同じだけどターゲットが違う」からこそ、併呑される危機を感じるのではないでしょうか。自分たちが作ってきた憎悪の世論を、主導権を奪われた上で別のものに向けられてしまうのですから。
という言葉すらある種の人々の怒りに油を注いでいるらしいことを聞いて何だかな、と思うところではあります。目に付く場所にいること自体がいやなのですかね?(気持ちは分かりますが)
しかし、「拳を振り上げた大集団が後ろからやって来る」という状況で「やり方は同じだけどターゲットが違う」と「やり方もターゲットも同じようなもの」とでは焦りも変わってくるような気がします。
日本のアニメを海外に輸出するのはよくても、韓国ドラマを輸入するのはダメー。
などと言ってる嫌韓流どもは、
煙草喫煙で癌になるのはよくても、放射能で癌になるのはイヤー。
と言ってる嫌原発の連中と、頭の悪さがほとんど同じような気がします。
その叩き方が在特会のやり方とそっくりな感じがしますね。
たとえば反原発論に異議を唱えれば安全厨認定とか
左派が今まで批判していたやり方をそのままやっている事が残念に思えます。
ネット上の左派がこれほどネットイナゴ気質を持っていたことに失望しました。
ただ、音楽活動もしている某お笑いタレントや某ミステリー作家は、高岡某と違って問題の本質が単なるお隣りの国叩きに終始しないように言葉を慎重に選んでメッセージを発していたはずですが、そういった配慮は当然の如く無視されて先鋭化していく様は端から見ていて危うさを覚えます。
今般、小出氏の懸念通りの破局事故が起こってしまったので、
氏への信頼が加速度的に増してしまったのです。
小出氏の語り口や佇まいの品のよさは、信頼をますます高めると思います。
(カリズマの要素あり)
「もんじゅ」に関していえば、このまま放置しておけば、「終末」を感じさせるので、
氏の言説は、宗教よりも現実的です。
氏の存在によって、将来の過酷事故が避けられるなら、
その活動に感謝すべきでしょう。
非難すべきは、小出氏ではなく、このような不安の材料を内包していた
現代日本社会のあり様です。
主様の存在(ブログ)も私にとっては有り難いものです。
(私たちも落ち着きを持つべきなのはよくわかります)