非国民通信

ノーモア・コイズミ

留学ごっこも勲章にはなるのだろうけれど

2014-08-01 23:05:36 | 社会

一橋大、留学を必修科目に 18年度以降の入学者対象(朝日新聞)

 「留学しないと卒業できません」。一橋大は、卒業のために必要な必修科目に、海外留学を加えることを決めた。グローバル人材の育成がねらいで、2018年度以降の入学者を対象にする方針だ。

 一橋大によると、約1千人の新入生全員に、主に英語圏の大学で約4週間の語学留学をさせる。在学中に留学しなければ原則卒業できない。帰国子女のように海外での滞在経験がある学生に対しては、別の言語が使われている国への留学などを検討する。

 費用は企業やOB、OGからの寄付金と、国の補助金で賄うが、一部は学生の負担になるという。このため、経済的な事情がある学生向けの奨学金制度も作る予定だ。

 

 ……とまぁ、一橋大の偉い人達が上で伝えられているようなことを思いついたようです。たかだか4週間ばかり海外旅行した程度で「グローバル人材」とやらに近づけると信じているのなら、まずは一橋大の学長辺りを40年くらい海外に留学させておいた方が良いのではないかという気がしますね。そもそも4週間程度の留学なんてお笑いも良いところで、語学の勉強になるかすら怪しいものですし、英語力を身につけさせたいのなら英会話学校に通わせれば済む話です。たった4週間の「なんちゃって留学」よりも継続的な駅前留学の方がよほど有益でしょう。

参考、京大は総長の考えが浅はかに過ぎる

 昨年は京都大学でも似たような話題作りが見られたものですけれど、せっかく一橋大なり京都大なり世評の高い大学に入学しておきながら、学ぶことの中心が英会話学校でも得られることであったなら私などは大いにガッカリするところです。もっとも、世間――大半の学生の卒業後の進路である日本の企業が求めるのは、そういうものなのかも知れません。「名の知れた大学を出ていること」と「英語力」は鉄板ですよね。大学で何を学んだかなんて問われないものですから。大学は名声さえ維持できていれば、中身は単なる語学学校みたいなのでも就職予備校としての役割は果たせます。

 引用文中で言及されている「グローバル人材」って、そもそも何なのでしょうね。4週間ほど海外旅行をしただけで「留学経験アリ」を称して、日本の企業(採用)から「グローバル人材」として加点される、そういうハッタリを利かせるレベルの話に終わりそうに見えないでもありません。確かにまぁ、学生からしてみれば「留学を経験しました!」とアピールできれば就職活動の際には大いに役に立つ、採用担当者から見ても有名大学出身者を採用するのと同程度のアリバイは作れそうなものということで、ある意味では役に立つ気はします。でも、そんなのがグローバルなのかな、と。

参考、「働かせる側」は楽なものだが

 上のリンク先では、日本のアルバイトとシンガポール(マイクロソフト)の社員の事例を取り上げたわけです。日本のアルバイトは、たかがアルバイトであるにも関わらず「自分がやらなければお店が回らなくなるし、そうなって困るのは結局、現場にいるほかのスタッフ」と考え、自ら責任を負って働き続けた一方で、シンガポールの国際企業で働く社員は残業を強いた上司に「今度このようなことがあれば俺は会社を辞めるし、お前を決して許さない」と言い放ちました。どのような職場で働いているかを基準とすれば、グローバル人材と呼べるのは後者のはずですが、果たして日本の会社が欲しがっているのはどっちでしょうか?

 日本のデフレ時代を象徴するワタミの企業理念には「社員は家族であり同志」という言葉があるそうです。グローバルな感覚からすれば、あり得ない話にも思えるのですが、どうでしょうね。日本の外の国では、仕事とはビジネスのはずです。グローバルな感覚を身につけた人ほど、働くのは金のため、家族ではなくあくまで契約上の関係と、日本の会社の理念とは真っ向から対立する考え方を備えているような気がします。仕事に対する関わり方がビジネスライクな人材を、日本の企業が積極的に採用する事態というのもまったく想像できないのですが。

 むしろ難しいのは日本のドメスティック人材になることの方です。働くのは金のためではないと信じて全人格的な奉仕を当然視される、そんな厳しい世界が日本の労働環境というものです。雇用が継続される保証などどこにもなければ給料も安い、そんな非正規雇用ですらマネジメントの視点を持ち自分の担当ばかりではなく組織全体の利益を鑑みた行動が要求される、これは日本では至って普通のことですけれど、果たして日本人以外にこれに耐えられる人材がどれだけいるのやら。グローバルな人材なら、もうちょっとマシな環境を求めてヨソに逃げ出してしまうことでしょう。まぁ、「海外留学しました」というハッタリを用意しつつ、その実は4週間のお遊びで基本的には国内でドメスティック人材を養成する、そんな一橋大の企てはグローバルを掲げつつ内実はドメスティックなものを欲する日本企業に合致するものとは言えます。

 

 ←ノーモア・コイズミ!


コメント (5)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 解決困難――企業の自由に任せ... | トップ | 無理なノルマの果たし方 »
最新の画像もっと見る

5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (フック)
2014-08-02 14:29:31
たしかに短期の留学で英語がペラペラは望めませんね。しかし、外国人と短い間でも接触したという体験は日本の中ではなかなか遭遇できません。
大学生という吸収の良い若い時期に外国に行き、その国の人と触れ合う。
そして、そこからは各々がグローバルとは何か?を考えるきっかけにしていけばいいのではないか
と思います。
返信する
Unknown (非国民通信管理人)
2014-08-03 00:00:20
>フックさん

 私の大学時代は普通に外国からの留学生と接していましたけれどね、6年ほど。そもそも国内でもしっかりとした教育を受ければ「グローバル」については理解できそうなもの、外国に旅行するだけなんて、そんなに特別視されるべきものでもないでしょう。まぁ、その4週間のお遊びにもフックさんのように価値を見出してくれる人がいて、そういう人が企業で人事権を持てば就職予備校としての一橋大の企ては案外、成功するのでないかとも思いますが。
返信する
グローバル人材 (イチゴ)
2014-08-03 09:15:01
私の勤めている会社にはグローバル人材がいますが
周りの人間からは嫌がられています。

自分の職分以外はまったくやりません、
きょっと手伝ってなんていえばその仕事をやらなければならない理由をいちいち説明させられます、
グローバル人材はとても合理的です、
納得させるまでとても大変です、
言わなくても通じ合えるなんてことは絶対ないです。
返信する
Unknown (ノエルザブレイヴ)
2014-08-03 21:24:43
まあ留学でもたとえばその国でしかやっていないような研究を学ぶために1年間くらい腰を据えて、というような感じであれば意味のあるものになると思いますが、「留学したという経験のための留学」では手段と目的の取り違えが起きていることは否めないですね。某バスケ漫画ではないですが「その国の空気吸えば高く飛べるようになるわけではない」と思います。
まあもっとも手段としての留学を実らせるためにはまず留学前に能力を伸ばしこれから学ぶであろうことを無駄にしない身体を作っておくことが必要なのでしょうが。
返信する
Unknown (非国民通信管理人)
2014-08-03 22:20:33
>イチゴさん

 実際のところ、そういう感じになりがちでしょうね。日本の非合理的な――「働かせる」側からすれば好都合な――労働環境では、グローバル人材は異端者になってしまいがちだと思います。

>ノエルザブレイヴさん

 せっかく大学に籍を置いているのですから、まずはそこでしっかり学ぶことが先決でしょうね。その先に海外で……というのはアリなのでしょうけれど、たかだか4週間ではまさに「留学したという経験のための留学」なってしまいますし。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

社会」カテゴリの最新記事