(本文中の「共産党」は「左翼」に置き換えて読んでもいいですよ)
一昨日のエントリでは「容共」と「反共」という分け方をしましたが、ちょっと意味を伝え切れていなかった部分もあったようですので、補足を。元のエントリでは誤解のないように括弧書きを入れておいたわけですが、それでも「共産党を支持する/しない」のように受け止めてしまった方もいらしたようなので。
端的に言えば「共産党を排除する/しない」で分類したわけです。共産党を排除しないのが「容共」、共産党を排除したがるのが「反共」、だから「容共」が必ずしも共産党支持ではないと追記もしておきました。それでもまぁ、水伝批判派のブロガーさんから私は共産党支持ではないとご指摘があったりもしたわけです。ふむ、私からすれば「容共」の方なのですが、それでも共産党支持と目される可能性は否定しておきたかったのでしょうか。「容共」の立場にいる人でも自分が共産党支持と目されることを忌避する空気は少なからずあるようで、その辺はなおさら反共主義の根深さを感じさせもするものです。(ちなみにこの場合の「容共」は分類のために限定された便宜的な用法なので、その辺はご注意を。)
誰もが自分なりの指針を持っているわけです。顕著になるのはそれが選挙の時で、何が最良の選択が自分なりの考えがご開帳されます。好きな候補に投票すればいいという人もいれば、一枚岩になって棄民党に対抗すべく民主党の元に結集せよと説く人もいます。後者を個人的に民主党集中制と呼んでいますが、それはさておき誰もがこの民主党集中制に従うわけではありません。中には民主党集中制の原則に反して敢然と立候補する人もいれば、別の政党に投票する人もいるわけです。そしてそれを実行しているのが概ね共産党であり共産党支持者だったりするわけですが、こうした行動も尊重するのが「容共」(たとえ民主党集中制論者であっても)、逆にこうした行動に怒りを露わにして罵倒を繰り返すのが「反共」です。言うまでもなくこの辺は私の分類基準ですけれど、これだと水伝批判派は「容共」に反論派は「反共」に少なからず重なっているでしょう?
ところがまぁ、私から見ればガチガチの反共ブロガーだった某氏も、見る人によっては「共産党を応援していた」なんて印象に化けるようで、この辺はあまり想定していなかったなぁ、と。具体的にどのブログを指しているのか書いてしまった方が話は通りやすくなるのですが、批判的に書くときはあまり個人ブログを名指ししたくないので、「お前は誰の相手をしているんだ?」と思われるかも知れません。その点はどうかご容赦を。
さて私がガチガチの反共だと思っていた某ブログですが、確かに共産党を取り上げる機会はやや多かったものの、今振り返っても物凄い上から目線だったなぁ、と。お前は何様だよ、と私は思ったのですが、人によっては共産党のことを思って、良かれと思っての提案と受け止めた人もいたのでしょう。まぁ、時には妙案を出してきたこともありました。ありましたが……いかに小政党といえど個人ブログに左右されるようなジャパン共産党じゃございませんので、その妙案が採用されることはありませんでした。まぁそんなものだと、他人は決して思い通りには動かないと、そう私は思うだけなのですが、某ブログ主は怒るわけです。俺様がお前ごときのために素晴らしい提案をしてやったのに、馬鹿なお前は俺の言うことに従わない、だからお前はダメなんだ!と。
共産党に投票する人に対しても、基本的には同じでした。俺様が自公政権打倒のために必勝の戦術を用意したのに、足並みを乱す輩がいると、某ブロガーさんはいちいち怒っていたものです。こういう人は私の基準では完全無欠な「反共」なのですが、「共産党のために良かれと思って提案してやったんだ!」という姿勢を「共産党を応援している」と解釈した人もいたわけです。
あーあー、もしかしたら支配欲と愛情は見分けにくいのかも知れません。子どもを支配したがる、子どもを思い通りにコントロールしたがる親と、子どもに愛情を注いでいる親、傍目には区別しにくいのではないでしょうか? 子育て経験と言ったら自分が育てられたときの経験しかない私が子育てに喩えても説得力はないかも知れませんが、子ども自身の意思を尊重して自由にやらせている親よりも、子どもを自分の思い通りにしたいがために子どもにとやかく干渉している親の方が、外面的には子育てに熱心に見えるはずです。モノが相手ならこの捻れは怒らないのですが、意思を持ったヒトを相手にするのは難しいのでつよ。
ですからまぁ、共産党を自分の思い通りに動かしたいと欲望する人の方が、私のように見解の一致するときだけ支持している人よりも、熱心に共産党を応援しているように見える側面もあったのでしょう。でも、子どもにとって自分を支配しようとする親、外から理想を押しつけるような親って「敵」ですよ。対等な立場からの提案は結構ですが、それを採用するかどうかはその人の判断次第です。上から目線で方針を投げつけ、それが無視されたからと苛立ちを露わにする人はどうかな? その点では某ブロガーさんは紛れもない「反共」だと思ったのです。
そうそう、この論法でいくと産経新聞や保守系オピニオン誌、鈴木邦男さんなどの例外を除く右翼や現自民党主流派は基本的に「反日」ですね。それは愛情ではなく支配欲ではないかと、そう見えるところはありませんか? 彼らは日本を愛しているのではなく、日本に自分の理想を押しつけているのであり、決してあるがままの日本を認めたりはしない、歴史だけではなく現代をも修正しようとするばかりでしょう?
ちょっと脱線しましたが、このエントリを書くときに念頭に置いた「反共ブロガー」は、共産党及び左派勢力に対して見せる理解しがたい高圧的な姿勢を除けば、非常に好感の持てる人でした。それ以外の面では大いに感銘を受けることもしばしばでした。あなたのような懸命な人がどうしてそこまで「反共」なのか? それが解けない疑問です。
仮説其の一としては世代間格差を考えているのですが、安易でしょうかね? 左翼運動が崩壊した時代をリアルに体験しているかどうかで、差が出るのではないかと思うわけです。つまり左翼の失敗を同時代に生きた人にとっては「左翼に裏切られた」という思いを強く抱き続けている人もいて、それが信仰にも似た反共に繋がっていると。逆に物心が付いた頃には左翼運動も共産主義国も廃れきっていた私の世代は左翼や共産主義への思い入れがないだけに、恨み辛みも育たないわけです。子どもへの思い入れが強すぎる親は、その子が自分の思惑から外れてしまったときに虐待に走るとも言われます。左翼が強かった時代を知っているからこそ、反共意識も強固なのかなぁ、と。
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まことにごぶさたしております。
ここのところ人様のブログにコメントさせていただくことがトンとなくなりましたPPFVです。
タイミングよく拝見させていただいたエントリーまことに興味深く読ませていただきました。
というのも私にとっても永年の疑問であるわけで、管理人様の考察には敬服するとともにヒントをいただいた気分です。水騒動のことはまったく知りませんでした。また当エントリーで取り上げられている某ブログがどちらかはわかりませんが、私もつい1週間ほど前にとあるブログのリンクをはずさせてもらったところでした。当初より感じていた違和感に耐えられなくなったわけですが、当エントリーを拝見してその違和感がすっきりクリアーになりました。世の中よく似たブロガーさんがいるもんですね~。
私は80年代半ばから後半にかけて学生時代を過ごしたんですが、とくに共産党に対するネガティブな感情を抱く機会はありませんでした(かといってポジティブな印象を持っていたわけでもありません)。
その後、NGOなんかの世界に足を踏み入れてから知り合った、同世代かそれより下の人で、共産党を蛇蝎のように嫌ってる人がいました。何か、彼の関係する活動の中で、失望を通り越して怒りを覚えるようなことがあったそうなんですが、残念ながら、詳しく聞く時間がありませんでした。
双方の流儀の違いが生んだ行き違いのような、双方の努力で調整可能なものであってほしいなあ、なんてことを今となっては思うんですが、もはやその人の連絡先もわからないので、もう確かめようもありません。ふぎゃ。
おお、PPFVさんではありませんか! こちらこそご無沙汰しております。しばらく更新がなかったもので、ブログ界(ちょっと変な言い方ですが)から離れてしまわれたのかと危惧しておりましたが、再開されていたのですね。申し訳ないことに今まで気付いておりませんでしたが、これから遡って拝見させていただきます。
それはさておき、主張の内容は共産党に近い人々の中にも根強い共産党嫌いがあるわけで、この辺をどう切り開いていくか、ですね。戦略論から民主党を応援するのも手段の一つですが、とはいえ自分達に主張の近い政党を国会に送り込むために、その政党が政策的理由に拠らない拒絶意識から支持を得られない状況を少しでも切り崩していきたいものです。
>仲@ukiukiさん
そうですねぇ。一口に左翼運動と言ってしまいましたが、それだけですとカバーできる年代も限られますし。ただ元左翼活動家による共産党叩きなど割に強烈なところもあるだけに、思い入れの強さが反動となって憎しみが募るところもあるのかな、と思ったわけです。もしかしたら仲@ukiukiさんのお知り合いも、一時は共産党に対する熱烈な思いがあって、それが適わなかった経験があるのかもしれません。ある程度の距離があれば冷静でいられますが、思いが強すぎるとそれが拗れたときにストーカー化したり刃傷沙汰に発展したり……
仲@ukiukiさん、こんにちは。
世代あるいは育った環境というのはあるかもしれませんね。親や周囲に共産党や共産主義に対する偏見を持った人がいたりすると自然に反共的な思想を抱くようになるといったことはあるのではないでしょうか。
私はベビーブーマーですが母が反共思想の持ち主で左翼的な人を「アカ」と呼んでひどく反発しておりました。周囲には「アカ」嫌いの人がそれなりの割合でいました。ただし父は容共的な人でしたので私はそれほど「アカ」嫌いにはなりませんでしたが、それでも共産党に対する偏見は私の中に育っていました。大学に入って民青の人たちと知り合うことによって「アカ」に対する偏見はやや弱まりましたが実際にその偏見をぬぐい去るまでにはかなり時間がかかりました。
今は完全な容共派です。ただし批判的な視点は維持し続けております。市議会議員選挙では共産党に投票しています。他の候補が保守派と公明党しかいないので選択肢は共産党しかない。
育った環境の違いは大きそうですね。私の場合は左派勢力や共産党が相当に蔑視される中で育ったのですが、反発心が強かったせいか、反対に左派勢力や共産党に偏見を持たないようにしようと、そう心がけるようになりました。右翼の鈴木邦男さんは自分が国旗・国歌を強制されなかったから、それに反発することもなかったと著書に書いていましたが、環境によってそれに靡く人もいれば、それに反発する人もいたり、なかなか一筋縄ではいきませんね。
本当に共産党員とたたかってみたら、普通は侮蔑しますわなw
論争にせよ政治闘争にせよ、本気でやり合ったら彼らがどれほど弱いか、ウソつきか、卑怯者か、そして小物かがわかりますよ。素晴らしい共産党員もいないわけじゃないが、少ない。
自民党や民主党というか、政治の世界にはそんなの日常茶飯事だと言ってしまえばそれまでですが、少なくとも自民や民主の小物は共産党の小物ほど威張ってもいなければ傲慢にもならない。なったらまず党内で刺されるからw
地区委員長、都道府県委員会3役、中央委員クラスでもマルクス・レーニン全く読んでないんじゃないかと思えるようなのも多い。自分とこの党史もろくに勉強していない(党か教えない)から、戦前から平和のために戦っていたなんて嘘っぱちを未だに信じている。革命のために武装闘争を放棄しないことを規定したコミンテルン日本支部だったくせにw。それに較べたら、立花隆の「中核VS革マル」を読ませてから入党を奨める新左翼の方がよほど誠実。
いわゆる反共には、たまたま最初に出会った思想が反共を標榜するものだったからで、最初に共産主義と出会えば熱烈な共産信者になっていたような人も、確かに少なくありません。
しかし、共産党がどんな党なのか、知って嫌う人も多いのです。
昨年の「正論」にあった筆坂秀世氏が佐藤優氏との対談で、筆坂氏が、日本で共産党を経た(経歴を持つ)人が最低でも数百万人、佐藤氏は民青含めれば一千万人を超えるんじゃないかと言っています。そのうち半分が存命としても、これは大きな数字です。
「反共」「容共」以前に、日本共産党の内部を知っているか知らないかで格差が出るんじゃないでしょうか?
ぶさよでいっくさんのように初めから偏見を持って「知ろうとしない」人のことはどうでも良いのです。今回の場合の問題は見識があるのに共産党に対して強い拒絶意識がある人なのですが、その程度のことは読み取れるようになってからどうぞ。
ほう、はじめから偏見ですかw?いったい何を根拠にそうおっしゃるので?
貴殿は、私についてどれほどご存知なんですか?
レッテル貼りは日本共産党が好んで使う手口ですが、貴殿もお好きなんですかw?
>知ろうとしないのは誰だ?
え、わかんないんですか? ぶさよでいっくさん以外にないでしょうよ。根拠というなら、ぶさよでいっくさんのブログがそのまま根拠になりますね。ぶさよでいっくさんが自覚できるなんて微塵も思っちゃいませんけど。
まぁ、仮にレッテル貼りは日本共産党が好んで使う手口とするなら、共産党へのレッテル貼りに余念のないぶさよでいっくさんは日本共産党と同好の士ですね。反中を掲げる人が中国政府的な手法を模倣しているのと同じです。