非国民通信

ノーモア・コイズミ

日本流のムダ削減

2013-08-17 22:50:57 | 雇用・経済

 日本的な「ムダ」の考え方として、オレンジの絞り方を喩えにしたことが何度かあります。オレンジを絞ってジュースを得ようとする場合を考えてみましょう。絞って果汁の出が悪くなったら新しいオレンジを切って、また新たに絞る――この過程で何が「ムダ」と扱われるか、そこに日本と日本の外とで違いがあるように思うわけです。一見すると十分に絞ったように見えて、まだほんの僅かに果汁が残っているオレンジを捨てることをムダと考えるか、それとも絞りかすのオレンジから一滴も残さず果汁を搾り尽くそうとする、その労力をムダと考えるのか、日本の場合は前者ではなかろうか、と。

 得られるジュースの量を最大化するためには、ある程度まで絞ったらオレンジは新しいものを切った方が早い、それによって少ない労力で多くの成果を得ることができます。ところが絞りかすにも僅かに果汁が残っている、それを捨ててしまうのは見過ごせないムダだと我々の社会では考えられがちなのではないでしょうか。ゆえに、新しく果汁の詰まったオレンジを持ってくるよりも、オレンジの絞りかすを必死で絞り尽くすことに労力を捧げる、それこそが日本的なムダ削減であり、逆にカラカラのオレンジから果汁を得ようとする努力を徒労と考えるのが、日本を引き離して経済成長を続けた国の「ムダ」感覚なのではないかと思うわけです。

 たとえ話よりもダイレクトに語るなら、従業員を「使い切る」ことを重視するのが日本的経営の理想とも言えます。効率化を進めて仕事に余裕ができるようにすることではなく、仕事を詰め込んで従業員の余裕を無くすこと、そうして労働者の手が常にふさがっている状態を維持すること、それこそが日本的なムダ削減として称揚されているものではないでしょうか。かのワタミ会長は民主党政権時代には民主党から、自民党政権時代には自民党からと、政権交代の中でも常に与党から支援されて出馬しました。単に長時間労働を課すだけではなく社員の余暇の過ごし方にまで介入することで知られているワタミですが、まぁ日本的な理想の体現者と言えます。

 野球でもサッカーでも何でもいいですけれど、全くといっていいほど動かない監督もいれば、あれやこれやと手を出したがる監督もいるわけです。では前者と後者のどちらが優れているかと言えば、判断のしようがないのが実態です。何もしていないようでいて、それでいてシーズンが終われば好成績を残している監督もいれば、いつもアクセク動き回っているのに目を覆いたくなるような結果しか残せない監督もいます。働いた量が多ければ良いというものではないことは、私が今さら語るまでもないでしょう。

 ……で、普通の会社における管理職、上司の役割も似たようなものだろうと思うのです。いつも窓際でぼんやり、たまに報告に行けばこっそり(PC上で)将棋を指していたり、外出するのは何か問題があった納品先へ謝りに行く部下に同行するくらいと、そういう一見すると「働いていない」部門長の下でも部門の成績は絶好調だったこともあれば、逆に自ら率先して客先を訪問して回り、机に戻ることもなく絶えず部下の一挙手一投足に注文を付けたり派遣社員を入れ替えたり、とにもかくにも「猛烈に仕事をしている」上司の元で部門の業績が急降下したこともあります。働けば良いってものではないな、と。

 経営層には妙に理解のある人が多い一方、中間管理職クラスへの風当たりは冷たいものです。そんな中でも上述の後者は、まだしも許される方であるように見受けられます。逆に前者のタイプは部門の業績の良否とは切り離されて、色々と影で(特に経済誌上とネット上で)悪く言われることも多いわけです。少なくともあれやこれやと仕事量を増やす上司は、役員からの評価は低くない、一方で黙って部下の仕事を眺めているばかりの上司は、部門の売り上げが伸びているにもかかわらず「もっと伸ばせないのか」と詰問されていたりと、まぁそれが日本的経営というものなんだろうなと考えさせられることも多々ありました。あなたの職場はどうですか?

 

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コメント (2)
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