NET Marketing Online に,インタラクティブ・マーケティングのイベント「ad:tech」の様子が紹介されている:
ad:tech San Francisco 2009 Review
そこで語られている次世代の広告のあり方を1つのキーワードに集約するなら,消費者が管理する広告(Consumer-Managed Advertising)といったことになるだろうか。その着想を得たのが,YouTube に続く動画共有サイト Hulu の創業者が語った「Hulu で広告体験をユーザー自身が管理できるようにしている。また、広告によっては好きか嫌いかをユーザーが直接投票できるような仕組みにもしている」ということばである。こうした仕組みもあって,Hulu 上の広告の認知効果はテレビ広告をはるかに上回るという。
これまでもオプトイン広告のような,消費者が広告に対してパーミションを与えるマーケティングは存在した。しかし,「広告体験の管理」ということばは,それ以上の積極的な関わりを想像させる。つまり,広告の対象となる製品・サービスだけでなく,広告と接触する時間や空間から表現のトーン&マナーまで,あらゆる側面を消費者が管理するというイメージだ。もちろん,そこまで消費者は広告に関心があるのか,という疑問が起きても不思議ではない。その答えを出すためは,実際に試してみるしかないだろう。
消費者が広告接触を自己管理することは,DVR による「飛ばし視聴」がそうであるし,ずっと昔からある「CM はトイレタイム」という行動にもすでに現れていた。だが,それは広告の回避であって,広告の選択ではない。行動ターゲティング等々は「選択された」広告接触だが,消費者自らが「選択する」接触ではない。広告というものは,そもそも押しつけるものだと定義されるならば,消費者が広告を選択するなどというのは矛盾でしかない。だが,広告をそう定義するのは,想像力の貧困でしかない,かもしれない。
消費者による管理,という側面が極大化されれば,企業が顧客の「コミュニティ」を積極的に受け入れるという発想が出てくる。ad:tech では,Wikipedia の創設者ジェームズ・ウェールズ氏が講演し,企業のウェブサイト上に Wiki を用いて消費者作成メディア(CGM)を構築することを提案している。その先には,消費者参加型のブランディングというビジョンが見えてくるが,そもそもブランドが物語りだとすると,それは集団によって生み出されるものなのかどうか(いや,民話や伝説がそうだ,ということもできる)。
ad:tech でベータ版を発表した Intelevision.com は「テレビ番組の関連情報やその番組の視聴者をネット上で一覧できるパーソナルページを用意するサイト」である。その背景には,米国のテレビ視聴者の約25%が、テレビを見ながらノートPCなどでネットに接続しているという背景がある。同じことは日本でもあるに違いない。デジタル化されるからといって何でも TV 受像機に統合するのではなく,TV というシェアメディアとネットというパーソナルメディアを並立させ,同期させるほうが現実的で自然である。
この場合,広告は TV と PC にそれぞれ出稿できる。前者は共同視聴を前提に,後者は個人視聴を前提に管理される。大声でみんなに話しかける広告と,特定個人に向けたひそひそ声の広告のアンサンブル。後者のひそひそ声は,消費者にとって選択可能な広告だ(現実のひそひそ声は選択できないことが多いが…)。同じ時空間でアクセスされている複数のメディアを同期させることは,QR コードでポスターとケータイを同期させるなどといった形で,実際にすでに行われていることでもある。
間違いなく広告は進化している。複雑化の一途をたどっている。しかしながら,それがビジネスの一環である限り,効果測定という古くて新しい問題を免れることはできない。広告が消費者によって管理されるものになれば,効果測定にもパラダイム転換が必要になる。それはより複雑に,困難になるのか?そうではないかもしれない。消費者が広告を選択することで,効率の悪い広告が存在する余地がなくなるかもしれない。そうなると,これは win-win だ。果たしてどうなのか,考える価値がある。
ad:tech San Francisco 2009 Review
そこで語られている次世代の広告のあり方を1つのキーワードに集約するなら,消費者が管理する広告(Consumer-Managed Advertising)といったことになるだろうか。その着想を得たのが,YouTube に続く動画共有サイト Hulu の創業者が語った「Hulu で広告体験をユーザー自身が管理できるようにしている。また、広告によっては好きか嫌いかをユーザーが直接投票できるような仕組みにもしている」ということばである。こうした仕組みもあって,Hulu 上の広告の認知効果はテレビ広告をはるかに上回るという。
これまでもオプトイン広告のような,消費者が広告に対してパーミションを与えるマーケティングは存在した。しかし,「広告体験の管理」ということばは,それ以上の積極的な関わりを想像させる。つまり,広告の対象となる製品・サービスだけでなく,広告と接触する時間や空間から表現のトーン&マナーまで,あらゆる側面を消費者が管理するというイメージだ。もちろん,そこまで消費者は広告に関心があるのか,という疑問が起きても不思議ではない。その答えを出すためは,実際に試してみるしかないだろう。
消費者が広告接触を自己管理することは,DVR による「飛ばし視聴」がそうであるし,ずっと昔からある「CM はトイレタイム」という行動にもすでに現れていた。だが,それは広告の回避であって,広告の選択ではない。行動ターゲティング等々は「選択された」広告接触だが,消費者自らが「選択する」接触ではない。広告というものは,そもそも押しつけるものだと定義されるならば,消費者が広告を選択するなどというのは矛盾でしかない。だが,広告をそう定義するのは,想像力の貧困でしかない,かもしれない。
消費者による管理,という側面が極大化されれば,企業が顧客の「コミュニティ」を積極的に受け入れるという発想が出てくる。ad:tech では,Wikipedia の創設者ジェームズ・ウェールズ氏が講演し,企業のウェブサイト上に Wiki を用いて消費者作成メディア(CGM)を構築することを提案している。その先には,消費者参加型のブランディングというビジョンが見えてくるが,そもそもブランドが物語りだとすると,それは集団によって生み出されるものなのかどうか(いや,民話や伝説がそうだ,ということもできる)。
ad:tech でベータ版を発表した Intelevision.com は「テレビ番組の関連情報やその番組の視聴者をネット上で一覧できるパーソナルページを用意するサイト」である。その背景には,米国のテレビ視聴者の約25%が、テレビを見ながらノートPCなどでネットに接続しているという背景がある。同じことは日本でもあるに違いない。デジタル化されるからといって何でも TV 受像機に統合するのではなく,TV というシェアメディアとネットというパーソナルメディアを並立させ,同期させるほうが現実的で自然である。
この場合,広告は TV と PC にそれぞれ出稿できる。前者は共同視聴を前提に,後者は個人視聴を前提に管理される。大声でみんなに話しかける広告と,特定個人に向けたひそひそ声の広告のアンサンブル。後者のひそひそ声は,消費者にとって選択可能な広告だ(現実のひそひそ声は選択できないことが多いが…)。同じ時空間でアクセスされている複数のメディアを同期させることは,QR コードでポスターとケータイを同期させるなどといった形で,実際にすでに行われていることでもある。
間違いなく広告は進化している。複雑化の一途をたどっている。しかしながら,それがビジネスの一環である限り,効果測定という古くて新しい問題を免れることはできない。広告が消費者によって管理されるものになれば,効果測定にもパラダイム転換が必要になる。それはより複雑に,困難になるのか?そうではないかもしれない。消費者が広告を選択することで,効率の悪い広告が存在する余地がなくなるかもしれない。そうなると,これは win-win だ。果たしてどうなのか,考える価値がある。