Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

事例研究からノンフィクションへ

2009-05-27 22:41:23 | Weblog
これまで,仮説→データ収集→検証とか,モデル構築→データへの当てはめとかいう研究ばかりしてきたが,それでは見えてこない「事実」は,取材(聞き取り)と観察に基づく事例研究で探るしかない。ハーバードビジネススクールのケースの場合,意思決定者が実名で登場して,まるでノンフィクションを読むような気持ちにさせる。ただし,ノンフィクションと違うのは,最後が意思決定の課題で終わることだ。「結末」の代わりに開かれた議論のネタを提供する。

おかげでエンタテイメント性は乏しくなる。また,教材としても「結末」があったほうが効果的な場合があるはずだ。そう考えると,物語として完結したノンフィクションのほうが,ビジネスの教材としても優れている可能性があり得るわけだ。本屋でつい以下のムックを手に取ってしまったため,ノンフィクションへの渇望がふつふつとわいてきた。そこでは,自らも優れたライターである人々が,彼らの心に残ったノンフィクションの作品を100編ずつ推奨している。

現代プレミア (講談社MOOK)
佐藤 優
講談社

このアイテムの詳細を見る

さらに,各界の著名人たちが「体験的ノンフィクション論」を寄せている。そのなかで特に面白かったのが,教育社会学者の竹内洋氏の一文だ。竹内氏は「ノンフィクション風でもあり、専門学術書風でもあるような本をまとめてみたいという気持ちをかねてよりもっていた」という。そこで執筆されたのが,昭和初期,左翼思想が弾圧されるなか,東京帝国大学経済学部で起きた内部抗争を描いた『大学という病―東大紛擾と教授群像』という本だ。一読すると,確かにノンフィクション風である。

大学という病―東大紛擾と教授群像 (中公文庫)
竹内 洋
中央公論新社

このアイテムの詳細を見る

ノンフィクションでは,人物描写が最も重要な部分といってよい。そのとき彼(女)はどう思い、どう行動したのかという問題設定に,読者は自分を少なからず投影する。戦前の東京帝国大学という,いまでは想像を絶する特権階級の世界で起きた事件とはいえ,人間のすることに一定の普遍性を見出すことは可能である。だからこそ,時代を超え,立場を超えて多くの読者が関心を持ち,夢中になって読み進むことができる。ぼく自身,基本的にこの本をそういう読み方をした。

とはいえ,著者が本当に伝えたいことは,大学というものに関する自身の歴史学的・社会学的な考察であろう。その意味で,本書で描かれている問題を,どこにでもありそうな組織における個人のふるまいという問題に帰してしまってはいけないのかもしれない。もちろん本書は,普通では手に入らないデータを適宜挿入するなど,想像と実証の絶妙なバランスを保っている。とはいえ,ノンフィクションという形態をあえて選んだ以上,さまざまな読み方が想定されているはずだ。

ノンフィクションを書くために収集される情報の量は半端ではなく,その労苦は大変だ。そして,どうしても埋まらない欠損部分は,想像力で埋めていくしかない。それまた,深い経験と洞察なしにはなし得ないことだ。したがって,ぼく自身にはいま,ノンフィクションを書く能力も気力もない。しばらくは単なる読者として,消費する側に徹したい。ただそうする時間さえなかなか確保できないので,冒頭で紹介した推奨リストを眺めて,いつかそれらを耽読する日を楽しみに待つことにする。