Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

若者のプロ野球離れ,巨人と自民党

2009-05-15 23:29:13 | Weblog
読売新聞社が,大学生からプロ野球人気を高めるための提案を募集している。このコンテストに参加を申し込むと,東京ドームでの巨人戦を観戦することができる。ただし,観戦後1ヶ月以内にレポートを提出する意思を持つことが条件である。審査の結果,レポートが最優秀賞に選ばれれば30万円,5点の優秀賞に選ばれれば5万円の賞金をもらえる。

大学生のベースボールビジネスアワード2009

昨日の授業で学生たちにこの企画を紹介したが,パンフレットを持って帰ったのは,150人強の受講者のうち2~30人であった。レポートが面倒という理由もあっただろうが,大半の学生が野球にさほど関心を持っていないという気がする。実際,ゼミのコンパである学生が熱くプロ野球の話を語っていたときも,多くの学生は興味がなさそうだった。

こういう現状だからこそ,ジャイアンツの親会社である読売新聞社は,学生たちが球場に来る機会を作り,さらに集客のヒントが得られれば幸いと,こうした企画を行っているのだろう。レポートの課題をジャイアンツ向けの戦略だけに絞っていないことは,なかなか立派である。そして,こういう地道な努力を継続していることにも敬意を表したい。

だが,どうもぼくには,ジャイアンツに対する人気は,今後ずるずると低下していくと思えてならない。もちろんそこに,ぼくが大阪で生まれ育った広島ファンであり,根っからの巨人嫌いであるという個人的バイアスが絡んでいることを否定するつもりはない。ただ私情を離れて,こうした変化は社会的に大きな意味を持つと思っていることも確かだ。

いうまでもなく,いまでもプロ野球は日本のスポーツビジネスの頂点に君臨しているし,そのなかで最も多くのファンを抱えるチームは読売ジャイアンツである。こうした事実を踏まえたうえで,プロ野球およびジャイアンツが,もはやかつてのような傑出した存在でなくなりつつあることを強く感じる。そしてこれが,一時的な現象ではないことも。

札幌,仙台,名古屋,広島,福岡といった地方都市を拠点とするチームは,地域というアイデンティティのゆえに,規模は小さくとも一定の激しい情熱を享受してきた。ところが,ジャイアンツは東京を拠点とするとはいえ,そこにアイデンティティを限定していない。日本球界の「盟主」であるという「普遍的な」ステータスがその支持基盤であった。

ところが,米国の MBL に日本の優秀選手たちが次々と流出するようになった結果,ジャイアンツは日本球界の盟主であろうとなかろうと,もはや頂点に立つ存在ではない。「野球は巨人」という恒等式を頭に植えつけられた,ある年齢以上の世代を除くと,ジャイアンツはよく知る名前ではあるものの,特別の輝きを放つ存在ではなくなったのだ。

それは,東京という都市の性質とも関係しているように思う。それはあまりに巨大な都市であり,日本のすべてを吸収し尽くしそうな勢いで肥大化している。そこには地域のアイデンティティはないに等しい。したがって巨人ファンはいくら多くいても,決して圧倒的多数にはならない。そのアイデンティティは,過去の名声のなかにしかない。

このことと自由民主党の「凋落」とは無関係でない気がする。かつての強大な自民党は,小沢一郎氏によって分裂を強いられ,残った本体はいま,公明党の支援によってかろうじて与党の座を維持している。もちろん,それでも日本の堂々たるエスタブリッシュメントであるわけだが,特別の存在ではない。軽い。そこがジャイアンツと共通する。

だから時代が変わった,といえない点がまた,共通している。全国区の熱狂的人気を誇る阪神タイガースは,選手年棒の総額でもいまや日本球界のトップになったが,ジャイアンツに代わる球界のリーダには到底見えない。政界も同じ。自民党政治の疲労はいまや明らかだといっても,次の政治の枠組みについて,まだその姿ははっきり見えていない。

何だか話が飛躍しすぎてしまった。だが,いま世のなか全体として,何かが終わろうとしているが,次の何かが目に見える形で始まってはいない状態にある気がする。そして,もしかしたら何も大きく変わらないまま,何もかもがゆるやかに衰退していくのではないかという不安が頭をよぎる。しかし,そうなっても,どこかに夢はあるはずだ。