愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

奈良県 旧大柳生の茅葺き民家

2013年05月16日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

奈良市の北東山間部、旧柳生街道「大柳生」に残る茅葺き屋根の民家です。

大柳生は奈良市内北外れの「般若寺」付近から、「柳生」を経由し大和高原を縦断する国道369号線沿いに大きく広がった風光明媚な里山集落。

なだらかな山に挟まれた棚田に集落が点在し、日本の原風景を彷彿とする景観が広がって居ます。

般若寺岐れから約12km、長閑な国道369号線山並みを抜けると、眼下一面に拓けた大柳生・・・・集落中程、大柳生交差点脇に誰もが気づく石垣白壁塀の大きな屋敷が見える。

正面、門は固く閉ざされ、門内からの画像は有りませんが・・・・。

裏の畑からは屋根全体の様子がよく解ります。

地主クラスの上級農家だったのでしょうか??棧瓦葺き庇の上に入母屋茅葺き屋根を載せて居ます。

正面からはすごく豪邸に見える屋敷ですが裏に廻ると長閑な里山にとってもよく似合う素朴な茅葺き屋根です。

こんな長閑な里山に有っても、殆んどの茅葺き屋根は・・・

トタンを懸けられてしまって居ました。

茅葺き屋根のまま維持管理することは至難だと見えます。

撮影2013.2.26


京都府 旧加茂町舟屋の民家

2013年05月15日 | 街道街並集落 景観 

加茂町の右岸と左岸を繋ぐ恭仁大橋、その左岸付近にレトロな佇まいを今に残す「舟屋」の町並み。

木津川水運の拠点として栄え、江戸から明治にかけての面影を良く残している。

恭仁大橋を亘って最初の信号を右折するとこの景観・・・・・

左手に長い酒蔵の豪邸、右手は白壁虫籠窓の豪壮な館と呼ぶに相応しい建物。

長い酒蔵を持つ民家は「日吉屋」の屋号で呼ばれる造り酒屋さんだったのだろうか??

日本桜、山城酒造の放浪看板が掛かって居る。

屋敷は塀が取り囲み町並みも詰まっていて全く見えない。

向かいの豪邸は「粋な黒塀見越しの松」そのものの景観・・・近頃こんな屋敷も滅多に見れなく成ってしまったような・・・。

地名に舟屋の名前を留めたレトロな町並みでした。

撮影2013.2.17


京都府 旧加茂町の茅葺き民家-2

2013年05月14日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)京都府

昨日に引き続き加茂町の茅葺き民家・・・、今回は木津川左岸域奈良県と境を接する京都府最南端の当尾(とうのお)地区で見つけた茅葺き屋根民家。

JR加茂駅から南方へ約3.5km、南都仏教の教学の地であった当尾は浄瑠璃寺や岩船寺で名高く、又、野仏石仏の里としても全国的に名を馳せた歴史の里山でも有る。

そんな当尾の入口にも当たり、現在廃校と成って居る旧当尾小学校の近く、山蔭に隠れる様に大きな屋敷を持つ茅葺き民家がある。

石垣に柴垣、玄関へは四脚門、その脇には現在使われていない納屋仕立ての長屋門。

門までの道がまた風情が有り、まるで高級料亭を思わせる。

主屋は大和棟の大きな茅葺き屋根、向かって右、東側は鋭角の切妻大和棟の棧瓦の落ち棟に煙り出し館を乗せる。

    

           

左、西側は入母屋形式としているが屋根の規模が大きく庄屋豪農クラスの佇まい。

奥座敷前にはそれなりの庭が有り腰板塀と簡素な門で仕切られて居る。

この当尾地域には何度となく通って居るがこんな処に茅葺き屋根が残っていたとは・・・、茅葺き屋根を本格的に撮りだして今回初めて気がついた。

撮影2013.2.17

                                                                                                                                                                                         

京都府 旧加茂町の茅葺き民家

2013年05月13日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)京都府

京都山城、旧加茂町を南北に分断する木津川右岸で見つけた茅葺き民家。

加茂町の木津川右岸域は例幣(れいへい)地区と呼ばれ、往古奈良時代の一時期、恭仁京と呼ぶ都が置かれた古い土地。

そんな山手の一角、小さな集落の入口に長屋門を持つ大屋敷が在り・・・・

立派な大和棟の茅葺き屋根が見える。

片側に長く突き出した落ち棟・・・

反対側にも落ち棟が在り、四方庇を廻し大和棟に成って居る。

しっかり現役で住まわれて居る様で手入れも行き届いて居る。

近くにはトタン懸け民家が点在していたのでここにUPしておきます。

これも大きな大和棟茅葺き民家だったろう・・・。

新しいトタン屋根なのにもう人の温もりは消えて居た。

この辺りはお茶の名産地・・・、茶畑の間に入母屋トタン懸け屋根。

トタンは懸かっていても、なかなかの風情です。

撮影2013.2.19


奈良県 山添村峰寺の茅葺き屋根民家-3

2013年05月12日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

並び建つもう一軒の茅葺き民家は小さいながら大和棟。

前にも民家があったようですが・・・・、一部壊れた廃屋残して空き地に成って居ます。

棧瓦葺きの箱棟を乗せ、落ち棟は最近トタンで吹き替えられたのだろう・・・、それでも処々雨漏りがするのかブルーシートが見え隠れ。

歳老いた夫婦暮らしで手が行き届かないのだろう・・・・

もうこの茅葺き民家も葺き替えられる事はないかも知れない。

やっぱり陽裏に成る西側は地衣類の繁殖が激しい・・・。

こうして見ると格好の良い家なのに・・・・・まあ、背後の屋敷は別格ですが。

撮影2013.2.26


奈良県 山添村峰寺の茅葺き屋根民家-2

2013年05月11日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

昨日紹介した山添村峰寺には他にも二軒の茅葺き屋根民家が残っていた。

昨日の城郭のような大屋敷の石垣を見上げるような谷間に軒を並べる茅葺き屋根。

うち一軒は入母屋造り、四方に棧瓦の庇突き出している。

正面、かどには少し植え込みをし、目隠しとしている。

向かって右手に新建の家があり、日々の暮らしはこちらがメインに成っているよう・・・

陽裏になる西側の屋根はコケ類がびっしりで屋根の傷みもその分激しい。

大和高原の鄙びた山添村でも何軒もの茅葺き屋根が残るのは珍しい・・・・。

撮影2013.2.26


奈良県 山添村峰寺の茅葺き屋根民家

2013年05月10日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

以前にも棚田のページで紹介し事の有る奈良県山添村峰寺集落の茅葺き屋根民家。

布目ダム湖に注ぐ深川の左岸、棚田を見下ろす台地に十数軒が肩を寄せ合う様に軒を連ねる。

集落の中央に高い石垣を積み上げ、大きな大和棟茅葺き屋根の主屋と二棟の土蔵の建ち並ぶ景観には圧倒される美がある。

屋敷正面、東側依り庭越しの主屋・・・・、城郭の隅屋を思わすような納屋?

庭先真正面から見る大和棟茅葺き屋根・・・・・。

棧瓦で葺いた箱棟には鬼瓦と共に鯱瓦が据えられている。

屋敷裏、南西側より見た屋敷・・・・、こちら側から見る付属建物の意匠も素晴らしい。

この家は集落の中心を占める民家の様で玄関先にはこんなもの・・・

隣、同じ台地上に建つ、一見茅葺き屋根と見紛う新しく葺き替えられた金属製屋根?の大和棟民家は、さしずめ分家だろうか・・・・・?? 

大和高原を代表する民家の景観である事に違いはない。

撮影2013.2.26


岐阜県多度大社 社家長屋門

2013年05月09日 | 茅葺き屋根(上懸け屋根を含む)その他

もう随分以前に撮った写真ですが、永らく忘れて居ました。

この神社で行われる「上げ馬神事」はこのGWのTVニュース画面を飾ります。

多度神社参道脇に建ち、三重県の文化財に指定された素晴らしい景観の茅葺き屋根の長屋門。

社家の長屋門らしく「しめ縄」が懸けられて居た。

撮影2008.6.14


京都 旧山城町の茅葺き屋根民家

2013年05月08日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)京都府

山城盆地木津川右岸、山背古道沿いの旧山城町綺田(かばた)の山裾に隠れる様に残っていた茅葺き屋根民家。

山城の古刹、国宝「金銅釈迦如来坐像」の祀られる「蟹満寺」のすぐ近く、三方を山裾の竹薮と木立に囲まれ、すぐ横の道路からは見えない。

入母屋造りの屋根に四隅周りの棧瓦葺き庇を付けている。

応対に出てくれた伯母さんは建て替えるお金も無くてとしきりに嘆くが・・・・・。

山城の地主クラスの農家の佇まいをよく残している。

撮影2013.3.4


奈良県生駒市 鹿畑(しかはた)の茅葺き屋根民家

2013年05月07日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

生駒市鹿畑(しかはた)で見かけた哀しい姿の茅葺き屋根・・・・、多分次にこの地を訪れても、もう2度と目にすることは在るまい。

国道163号線、前回紹介の高山大橋より東へ二つ目の信号、北の斜面にず~っと奥まで雛壇状に建ち並ぶのが鹿畑町。

国道から眺めているだけでも懐かしい景観を残す古い集落だと一目でわかる佇まい。

集落の中段、山際にへばりつく様に屋敷があり、新建ちの近代的な大和棟の建物と、この朽ち破れかけた茅葺き屋根が建って居た。

哀しく愛しい茅葺き屋根

滅び去る前、ひとときの美を充分堪能させて貰った。

撮影2013.2.22


奈良県生駒市 高山町の茅葺き民家

2013年05月06日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

生駒市高山町で見つけた三軒目の茅葺き屋根民家。

旧高山町の在所名は解りませんが、国道163号線高山大橋の交差、東北の山あいに古い佇まいを残す里山集落が有り、その東端にこの茅葺き民家が残っていた。

前面には冬枯れの緩やかな棚田、その向こうに石垣を積み上げた大きな屋敷。

現在、奈良では有名な古刹の別院看板が晴れがましく掛かっていてちょっと興ざめだが・・・・。

南面して立つ茅葺き屋根の主屋は、東側で落棟の大和棟、西側は大きな妻の寄棟造りとちょっと変わっている。

棟は棧瓦葺きの箱棟、落棟には煙出しも有り、庇は四周廻り。

西側見ると全く別の建物のような印象に成る。

この集落はほとんどの民家が斜面に建って、どの家も高い石垣と大きな門構えで裕福な集落だと云う印象が濃い。

撮影2013.2.22


京都府精華町 北稲八間(きたいなやづま)の茅葺き屋根

2013年05月05日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)京都府

 

木津川左岸の精華町、町庁舎依り北西へ直ぐの山裾に建ち並ぶ北稲八間にたった一軒残った茅葺き屋根民家。

北稲八間と書いて「きたいなやづま」なんと難しい読み方をするのだろう・・・、往古「応仁の乱」の混乱時、「山城国一揆(くにいっき)」の舞台になった稲屋妻城が在ったとされ、何かの都合で字だけが変えられたのでしょうか。

集落の中心、から細い路地を南に入っていくと狭い道路に大きな古い家が軒を並べて居る。

路地を突き当たると目の前に大和棟茅葺き屋根の裏側が目に飛び込んで来て、ちょっと驚いた、

大きな長屋門で声をかけ庭に入れさせて貰ってバシャ・・・。

玄関や縁側にはアルミサッシに変えられ落棟の棧瓦も真新しい。

茅葺き屋根も未だ傷みも殆ど見られず、葺替え後其れ程経ってないかも。

山城で見かける大和棟はどれも随分と控えめな様式をして居ます。

付近は茅葺き民家の豪壮な屋敷ばかりだった様ですが・・・・・もう茅葺きで残ったのはここだけだと言うことでした。

撮影2013.3.4


京田辺市 三山木の茅葺き屋根民家

2013年05月04日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)京都府

こんな近く、それも直ぐ市街地に隠れて居ようとは思いもしなかった。

茅葺き屋根民家を探して、マイチャリで出掛けられる範囲にもう残って無いだろうかと・・・、グーグルマップを眺めていて見つけた。

近鉄京都線三山木駅近く、ここだけ取り残されたような古い在所の家並の一番奥。

以前は農家だったのだろうが・・・、今では百姓屋とは思えない瀟洒な佇まい。

庭木の緑に取り囲まれるように、小さいながら良く整えられた山城の入母屋茅葺き屋根。

鳥避けのアワビの貝殻も吊り下げられている。

正面を南に向け、西側が開けた畑に成って居たのでそちらからもバシャ・・・・・

西側裏から見るとこんな感じ・・・、やっぱり相当手直しされているようです。

撮影2013.5.1


京都府八幡市 岩田の茅葺き民家 

2013年05月03日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)京都府

木津川左岸サイクリングロードを京田辺市から下流の八幡市方面へ走っていると、堤防下の集落に茅葺き屋根を見つけた。

旧在所とは言え、付近はすぐ近くまで工場が建ち並び近代化の波を受けているが・・・・、こんな所に良く残ったものだ。

木津川提から集落への野道を辿ると田んぼの真ん中に懐かしい匂いのする鎮守の杜。

集落の家並の中に一軒だけ際立つ茅葺き屋根の民家が有る。

表へまわってみると門扉が固く閉ざされ留守模様・・・・。

大きい入母屋の茅葺き屋根に棧瓦の庇を四方に突き出すスタンダードな形態。

玄関右手には松の木の有る小さな前栽(せんざい)、玄関への通路脇には小さな物置??、ここだけを見ていると40~50年前の、山城の農家そのものの佇まい。

まだ屋根の葺き替えが終わって其れ程経たないのか比較的良好な状態でした。

しかしこれも何時まで持つかは・・・・・

撮影2013.3.12


京都府八幡市浜上津屋(やわたしはまこうづや) 伊佐家住宅

2013年05月02日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)京都府

京都「八幡市(やわた)」の木津川傍にある重文民家の伊佐家住宅。

何回か紹介している京田辺市から木津川下流域にある八幡市は、平城京の裏鬼門(南西)を守護する神社として宇佐八幡から勧請された「岩清水八幡宮」でその名を知られている。

正面外部から見るだけでもその豪壮さはよく伝わって来ます。

屋敷前の空き地の凹みは往時の濠の跡だとか・・・・、屋敷の周囲には濠をめぐらせ、防禦と水利を兼ねた環濠住居でだったようで、木津川から直接船で乗り付けることが出来たそうです。

伊佐家は伊佐家は上津屋地域にあって幕府領の庄屋を代々務めた名家、屋敷は周囲の竹藪を含めると約3000坪もあるそうです。

正面からは大きな長屋蔵が邪魔に成って全く内部の様子は伺えません。

近づいて正面から見る主屋はこれ・・・・・、棟札から享保19年(1734)の建築だそうです。

これはピーンポーンと声をかけ入口近くまで入ってバシャした一枚。

因にこれ以上奥はダメですよと言われましたが・・・、圧倒されるような茅葺き屋根です。

仕方なく横に周り塀越しに撮った写真・・・・横から見るととても複雑な造りの様に見えます。

気に成り、帰ってグーグルアースで確認、茅葺きは表側半分、裏は棧瓦葺き・・・・表からだけでは全く想像も出来ない複雑さです。

伊佐家住宅は普段の一般見学は不能、団体嫌いの僕には無理な、団体のみの予約で可能なようです。

撮影2013.3.12