木津川左岸の精華町、町庁舎依り北西へ直ぐの山裾に建ち並ぶ北稲八間にたった一軒残った茅葺き屋根民家。
北稲八間と書いて「きたいなやづま」なんと難しい読み方をするのだろう・・・、往古「応仁の乱」の混乱時、「山城国一揆(くにいっき)」の舞台になった稲屋妻城が在ったとされ、何かの都合で字だけが変えられたのでしょうか。
集落の中心、から細い路地を南に入っていくと狭い道路に大きな古い家が軒を並べて居る。
路地を突き当たると目の前に大和棟茅葺き屋根の裏側が目に飛び込んで来て、ちょっと驚いた、
大きな長屋門で声をかけ庭に入れさせて貰ってバシャ・・・。
玄関や縁側にはアルミサッシに変えられ落棟の棧瓦も真新しい。
茅葺き屋根も未だ傷みも殆ど見られず、葺替え後其れ程経ってないかも。
山城で見かける大和棟はどれも随分と控えめな様式をして居ます。
付近は茅葺き民家の豪壮な屋敷ばかりだった様ですが・・・・・もう茅葺きで残ったのはここだけだと言うことでした。
撮影2013.3.4