愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

天理市滝本町のカヤ

2006年05月09日 | 風物:陵墓

旧国道25号線を山手に向かって東進すると滝本の集落沿いの旧街道へ入る道路がある。

 

 

 暫くはしると左手上方に巨大な1本のカヤの木が民家の屋根越しに見えてくる。

 車を停めて、其の民家までの細い坂道を登っていくと、大きな旧家の築地塀越しのカヤの巨樹の真下に着く。

 

 

2000年の調査では幹周り3.7m 樹高11mとある。 旧家の門は硬く閉ざされていて、中にお邪魔して撮影する事は出来なかった。    

 

場所はここ。


天理市 わやわや地蔵

2006年05月08日 | 石仏:奈良
名阪インターの東天理の出口から山手に向かって走る県道を行くとすぐに岩屋の集落である。



岩屋の集落の中を通る旧街道を行くとやがて大きな岩壁に稚拙な線彫りの不動明王に出合えるが磨耗,風化が進んで判然としない。



その道を暫く進むと、小さな祠の有る辻があって、山手に進んでいくとやがてこの石仏に出会うことが出来る。

面相が破損していて、「わやくちゃ」に成っているところから「わやわや地蔵」と呼ばれているらしい。


実は、来迎印を結ぶ阿弥陀石仏で、自然石に反りを付けていて、この石仏によく似合っていていい風情を醸し出している。
総高約1.3m・像高66cm鎌倉後期の像立だと言われている。
撮影 2006・4・08
場所はここ。

奈良市 椿尾多尊磨崖石仏

2006年05月07日 | 石仏:奈良
昨日紹介した、名阪五ヶ谷インターから、谷川沿いの県道を、約10分ほど下っていくと左手に、田舎のよろずやさんが在って、其の前に奈良交通、椿尾のバス停がある。



バス停の対面の少し高いところにほとんど風化した地蔵石仏が立っている。
その横手に山へ、登っていく道があって、5分程度歩くと多数の石仏が刻まれたこの地蔵岩が見えてくる。
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地蔵、阿弥陀、梵字仏、五輪塔・・・・などなど、計43もの石仏が大きな岩肌に所狭し程に並んでいる。





岩肌には藤の古木が巻きつき、大木岩肌に影を落としていて、いかにも石仏に似つかわしい風情をかもしだしている。





これだけたくさんの石仏に一度に出会うとちょっと満腹状態だが、中でも目立つ地蔵石仏は風化も少なく、野の仏としての趣に優れている。



元和9年(1622)の年号があり江戸時代初期の造立。

撮影2006・4・8

場所はここ。

天理市 米谷(まいたに)の不動磨崖石仏

2006年05月06日 | 石仏:奈良
米谷(まいたに)は名阪国道を天理から山越えする途中、五ヶ谷インターで降りるとすぐ傍の小さな集落です。

山肌を縫うように走る名阪道路に囲まれては居るが其の騒音もこの谷あいには聞こえてこなくて、インターから降りてこの集落に入るとまるで現在と過去とが交差しているような錯覚に陥るほどの、のどかさである。



目指す石仏は集落のはずれを名阪の薬師橋が、はるか頭上を跨いでるところ。

僕が訪れたときには薬師橋の下に真新しい道路が谷川沿いに出来ていて、車でそのまま進入した。

しかし目当ての石仏がどこに居られるのやら、周りを見渡してみても聞く人など居る訳など無く、又掲示板等も皆無で匂いを頼りに探してやっとの事で見つけました。



 左手の山間から、小さな谷川の流れ落ちる辺りを山手に登ると、参道らしき山道があって滝つぼの手前の大きな石壁にこの石仏がまっていてくれました。

不動明王は像高90cm、光背に火焔を刻み胸に不動の種子「カーン」の梵字が刻まれている。



 不動明王は憤怒相なのだが、この不動さんは親しみやすい顔つきをしていて、力強さにはかける室町初期の造立だといわれ、多分永らく訪れる人もなくただ立ち尽くすのみのように見えた。

 鬱蒼とした杉木立の中、光も届きにくく三脚を持たない僕のバカデジではこんな画像しか物にすることは出来なかった。

撮影 2006・4・8

場所はここ。

屏風岩の桜

2006年05月05日 | 風物:陵墓
屏風岩は全国各地に有ると思うが、この屏風岩は奈良県曽爾村、「室生赤目青山国定公園」内にあって、国の天然記念物に指定されている。




 奈良市内からでも約1時間半ぐらいは車で走らないと着かない三重県との県境の村です。




 近畿では少ない火山地形の柱状節理の岸壁が高さ200m幅2kmに渡り断崖上に連なり、その前景に山桜の大木が咲き乱れる様は関西ではここだけでしか見られないのかも???。





 この桜が咲き乱れるところは屏風岩公苑として整備されており,車で簡単に行く事が出来る。




花の時期は遅くて、僕がたまたま立ち寄った4月30日にはまだ満開でした。

 場所はここ。

吉祥龍穴(龍穴神社)

2006年05月04日 | 神事:行事:寺社: 仏像
龍穴神社から、室生川沿いに500m程遡ると、左手に山へ入る道路があって、吉祥龍穴の案内標識が建っている。

 その道路をどんどん登っていくと15分程度で右側に小さな白い鳥居が在って、龍穴神社の奥宮「吉祥龍穴」へと降りて行く崖道の入口です。

狭い階段を下りると、「竜穴川(闇加利谷)」に至り、拝殿の対岸に大きく口を開けた「龍穴」があり、注連縄がわたされています。

 


「龍穴」拝殿付近に下りていくにしたがって、鈍感この上ない僕にも身にしみこむような霊気を感じるのが痛いほどわかる。

 ここは龍穴神社の聖地、龍穴の奥深くに龍神が棲むと伝えられ、平安時代から雨乞いの祈願が盛んに行われ、記録に残っているものだけでも弘仁8年(817)から嘉応2年(1170)までの352年間に39回も行われていると言う。




水は大地を潤し、いのちをはぐくむ神そのものであり、自然崇拝を、龍と言う神格化された偶像に見立てたものだと思う。

 

ここに来て、命の再生産に畏敬の念を抱いて祈った古代人の心根に、思いを寄せるのもいい。

この辺りは僕の住む山城の母なる川、木津川の源流域で、室生川、宇陀川、名張川、木津川、淀川と名前を変えながら大阪湾へと注いでいる。

 僕のBLOGは、あくまでもPHOTOが中心なので詳しくは・・・・・。

 贔屓のこのページから

場所はここ。

龍穴神社の神木

2006年05月03日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神
龍穴神社には神木に値する杉の巨木が何本もあって、その境内は厳かでいかにも神々しい。

 しかし、神木といわれるこの杉の木は神社の鳥居の前を通る県道を跨いで室生川に向かって約100m程行ったところ。




現在廃工場となっている建物裏にあって神社の掲示板等にもまったく書かれていない。

 多分県道があのような場所を通るまではこの神木のある辺りが参道になっていたような形跡が伺える。



 今では廃工場である敷地内を両側にカイヅカイブキ垣根の参道がまっすぐ神社正面の鳥居まで伸びている。

 室生寺の金堂の向かって左手に拝殿があってその奥に小さな祠が鎮座している。

 毎年10月10日に村人で龍の形をした勧請縄が造られ、例祭の10月15日にはこの拝殿横の大杉にその勧請縄が掛けられ7回半龍穴の神にお渡りを請い、その後この縄は、龍穴神社の神木まで運ばれる。




龍は雲を呼び雨を呼ぶ、龍穴は♀そのもののシンボルだと言われており、 この勧請縄に見られる形は、奈良の円成寺の勧請縄にそっくりで、丸い藁の環の中を龍に見立てた♂のシンボルが貫いている。

 生命の再生産と、水の再生産を同一に再重要だと考えていた慣わしなのだろうと思うと、せつなくもあり、ほほえましくも有る。

龍についての民俗学的な考察は・・・




撮影 2006・4・1

龍穴神社の夫婦杉

2006年05月01日 | 風物:陵墓
あの有名な女人高野、室生寺は元この龍穴神社の神宮寺であったと言う。

 室生寺から室生川を車で5分ほど遡ると、大きな新しい道路と出合う、その三差路の道路側に聳えているので見逃すことはありえない。




 龍穴神社の神域ではあろうが、誰もが自由に近づけすぎて神木の神々しさには欠ける。

 「而二不二 神木」と書かれた小さな石碑が根元に立っているが、注連縄も張られていない。 夫婦杉は2本の杉が合体したものと言われるが、幹の下の方は全く単木と言って良いくらいに美しい。




上部は2本の大きな幹に分かれていて、 樹高40m、幹周8.10m、樹齢約900年。

 この幹の前の僕の車がミニチュアのように見える。



 
この横手に有る龍穴神社にも杉の巨木が多くあって、境内は神々しい雰囲気に包まれているが、それは又ページを改めて紹介します。

撮影 2006.4.1_4.30


 場所はここ