愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

祝園神社由緒書

2006年01月01日 | 風物:陵墓
「人皇第十代崇神天皇の御代第八代孝元天皇の皇子武埴安彦(タケハニヤスヒコ)が朝廷に反逆を企て遂に此の地に於いて討伐されたが(記紀参照)、亡魂柞ノ森に止り人民を悩ませしを第四十五代聖武天皇神亀年中にこれを撲滅せんとするも鬼神の所業なれば人力にては如何ともなり難く 後年第四十八代称徳天皇の御代神力を以てこれを撲滅せよとの勅命により直臣池田六良廣綱、宮城七良朝藤が祝部となり、神護景雲四年一月二十一日春日の大神を御勧請し創祠された。而して斎戒沐浴精進祈願に依り(これが今に伝わる、いごもり祭の始まり)、神力の擁護の基に遂に悪霊撲滅の難業成り 廣綱朝藤の功と相俟って漸く悪病平癒、人民安堵、農家の繁栄、商工業の隆盛を見るに至った。
 かかる霊験灼かなる神なれば貞観元年正月二十七日に神階位従五位下を授けられ、後年延喜式内大社に列せられる。天正四年七月二十四日には天下泰平の国宣あり院参の官人及び武門武将の尊崇深く社殿の修造に寄進の事がしばしば見受けられ慶應三年八月には有栖川宮家より夥しき御寄進を賜わり同宮家の御祈願所となる。明治六年郷社と定められ祝園村の産土神と決定した旨達せられる。
 昭和三十八年高松宮殿下より有栖川宮威仁親王殿下五十年祭に當り同殿下の筆録を御寄進有り。」


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