墓地入り口にはまるでモニュメントのような石造物の一群。
中央には基壇の上に立つ何処にでも有るようなありふれた宝篋印塔、周りを囲むかの様、東西南北に板碑。
正面西向きには背の高い山形六字名号板碑、高さ1.8m、弘治三年(1553)の室町後期造立。
南面には阿弥陀三尊種子板碑、高さ約1.6m、同じく室町後期の作風
対面にはこんな阿弥陀坐像板碑石仏。
二重光背の中、蓮台に座す中肉彫りの像高40cm
弥陀定印を組み、下部に刻銘が有りますが判読不能・・・同じく室町後期か・・・・。
墓地南側には夥しい数量の小石仏や背光五輪板碑などがびっしりと並べ立てられ壮観です。
殆どは江戸期のものですが阿弥陀、地蔵の中には室町後期~安土桃山期のものも混じっています。
これほどまでに大量にここに有るのはどういう事なのか??まさかこの墓地だけの石造物では有るまい・・・。
参道背面、小高い斜面に建つ五輪塔群と大きな笠石を持つ地蔵箱石仏。
下部を地中に埋めていますが像高約60cm、中々落ち着きの有る深い顔付の定形地蔵立像です。
墓地から少し斜面を登ると単独で建つ五輪塔。
傷みも無く総て揃って、鎌倉後期の像立・・・・。
この墓地ではまだ土葬が行われているのだろうか???埋め墓の新仏にはこんな竹矢来・・・。
野犬や野獣が新仏を掘り起こさないため??はたまた新仏が迷い出てこないため??
もうこんな土葬儀礼の見られる処も殆どないだろう。
撮影2011.7.9:2012.7.3
僕は墓ヘチじゃなく、どちらかと言うと石仏ヘチってわけです。
東さんはどちらの方ですか?大和伊賀方面には未だ色濃く埋め墓が残って居ます。
奈良、国中(くんなか)地域では郷墓毎に小規模な火葬施設を持っている所が多いんですよ。
減った理由は、自宅葬が減ったのと同様、近所の手を煩わしたくないという理由もあるかも知れません。
参考までに近年の土葬数の推移です
。
数字は、全国、奈良県、奈良市、の順です。
2011年度だけ全国の数字だけ大きいのは、宮城県の埋葬数が極端に増えているのが理由で、これは震災の影響だと思います。
2013年度 139(全) 30(県) 14(市)
2012年度 237(全) 22(県) 10(市)
2011年度 1021(全) 50(県) 22(市)
2010年度 313(全) 75(県) 31(市)
2005年度 1123(全) 169(県) 63(市)
2000年度 4113(全) 301(県)
1996年度 9568(全) 378(県)
しかし古いものはどんどん加速しながら無くなって行きます。
おもしろそうだったので、日本書紀や神武天皇と奈良についての記述を調べて読んでみました。
本当に、古い時代の地名なのですね。血原橋などの
不思議な名前の意味がわかりました。
近年の町の合併で、地名がどんどんなくなっていってますよね。以前から主人も「ばかなことをする」と言ってましたが、地名は歴史そのものなのですねえ。
道祖神・・・ではないのですね!
私は道ばたにご夫婦風に並んで立っていらっしゃる
石仏は全部、「とりあえず道祖神」だと思っていました。庚申さん!そうなのですか!!
ならまちにたくさんぶら下げてあるあの「庚申さん」ですよね?
また主人とハイキングに行った時、ちょっとあたりをよく見て歩こうと思います。今回は、ふきのとうばかり探して下ばかり見つめておりましたので。
本当にありがとうございました。
地名にも特別古い古代の呼び名なども残っていたりします。
宇賀志も古代の人の名前なんですよ。
>道祖神やお地蔵さまもおられて・・・たぶん道祖神と思われているものは庚申さんです。
大和文化圏には道祖神はないんですよ・・・・庚申さんは僕のページでもたくさん紹介しています。
宇賀志の庚申さんも紹介しています。
宇賀志の山の奥の中将姫ゆかりの青蓮寺です。
主人があのお寺が大好きで、よくこの春浅き時期に
バス停からハイキングするのです。今まで主人はまったく気がついていませんでした。私が今回は同行し、
奇妙なお墓に気がついたという次第です。
今回は、青蓮寺に尼さんがいらっしゃって、我々夫婦のためにお経を上げて下さいました。幸運でした。
小さな苔むした道祖神やお地蔵さまもおられて、素敵なハイキングになりました。
大和高原地域やその近辺にはまだまだたくさんの両墓制墓地がのこっています。
特に草深い辺境では未だに土葬も連綿として続いて居る処も多くありますよ。
>奈良県宇陀市の青蓮寺付近・・・宇賀志の奥の青蓮寺ですか?
あの辺は歴史的にも特別古く、古いものがたくさん残っている地域ですね。
僕も好きな地域です。
奈良県・両墓制で検索していて、流れ着きました。
実は、今日、奈良県宇陀市の青蓮寺付近をハイキングしたのですが、その薄暗い山肌にへばりつくように、
不思議な墓地を見つけました。とてもお詣り出来ないような、急な山の斜面に、墓石としてはずいぶん細長い石柱がたくさんたたずんでいたのです。正直かなり不気味でした。
帰宅してからも気になり、調べていましたら、
このブログのこの写真・・・そっくりで、納得しました。ありがとうございました。
今から他の記事も読ませて頂きますね。
おもしろそうです。
ここは、奈良市郊外柳生の近くですがまだ土葬も残ってるようです。
僕が社会人になりたての頃までは僕の地域でもまだ土葬が残っていて土葬の穴掘りをしたものです。
もう、はるか40年ほど昔の話ですが・・・。
市街地から遠く離れた山里ではまだまだ土葬は連綿として続いています。
きっと和歌山の山間部でも残って居ると思いますよ。
民俗学に興味があるなら僕のページの勧請縄や山の神のページも面白いと思いますよ。
カテゴリーから入ってみてください。
特に古い記事に面白いものが多いかと・・・・。
これからは京都にもすごく良い季節がやってきますね。ときどきぺんさんのブログにお邪魔したいと思います!またこのような素敵な写真を見せて下さい。楽しみにしております!