愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

滋賀県多賀町保月(ほうづき)集落

2010年12月18日 | 街道街並集落 景観 

保月はかって鈴鹿山系北部、滋賀県犬上郡旧脇ヶ畑村の中心をなした集落で、小学校、役場、郵便局、なども有り昭和初期まで,保月には「北村屋」という宿屋が存在したという。

旧脇ヶ畑村には、この手前の杉集落、更に奥地の五僧集落の三集落からなっていて、昭和の初め頃には約50軒の民家が軒を連ねていた。

三集落は彦根から鈴鹿を越えて岐阜、美濃に抜ける山道でつながり島津越えと呼ばれ歴史上にも名高い。

しかし昭和35年頃からの産業構造の変化、主に鉄道や自動車による交通が広がっていくに連れ徒歩交通は途絶え,脇ヶ畑村は「陸の孤島」の様相を深めていき、杉は昭和48年,五僧は昭和49年に廃村,保月は昭和51年に冬季無人集落となったようです。

杉から約5km、地蔵の大杉を越えるとなだらかな下りの杉林の向こうに山中とは思えないほど視界が開けてポツポツと建物が見え出す。

集落入り口右側には小学校の跡地、校舎は既に無く一部便所だけが残され公衆トイレとなっている。

右手は、こんな感じで新しいプレハブも建ち、生活のにおいがする、しかし集落には物音一つせず静まりかえっている。

山仕事のためか??雪の無い期間だけ此処で生活してるのだろう・・・・・。

プレハブの奥にはまだまだ新しく見える八幡神社・・。

少し奥に進んで行くと立派な鐘楼

「出船山 照西寺」・・・・・手入れが良く行き届き建物に傷みは見えない。

30数年も以前に廃村同然になった集落とは思えないほど・・・・

荒れた感じは全く感じられ無いが何処と無く灯の消えた感はぬぐえない。

時間が止まった集落と言うのは一種独特な風が吹く・・

やがて来る雪は一体何を運んでくるのやら・・・・。

この建物は教職員住宅の跡らしい。

集落のはずれは・・

既に荒涼として

音と時間の止まった空間が広がる。

小学校脇 の高台にあった民家、此処にもまだ生活のぬくもりは感じられないが、畑地は利用されて居るようです。

集落はずれからの帰り道・・・・・

集落内の電柱の真新しい「ふれ愛タクシー停留所」の看板

この集落は廃村ではない、その後も入れ替わり立ち替わり人の手入れが続けられて居ることは想像に難くない。

それは「ふるさと」の記憶を消さない為の作業でもあるのだろう。。

撮影2010.11.27



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6 コメント

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興味深く拝見しました (Qve)
2010-12-22 22:54:22
はじめまして。多賀町民です。
保月等の山村は、確かに廃村同然なのですが、役所的には「人が生活している」と認識されています。
ですから当然、回覧板や配布物もありますし、それらは区長さんに委託されます。その後どのように配布されているかまでは知りませんが。

そうそう、むかし、桃原にはスキー場があったんですよ。
行かないうちになくなったそうですが……。

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有難うございます (ぺん)
2010-12-23 17:15:47
地元多賀町の方ですか??
コメント有難うございます。

>桃原にはスキー場があったんですよ。
此処も訪れてみました、現在では全くそんな気配すらないですね。

でもたった一軒ですが定住されている方が折られるようです。

当分廃村にはならないでしょうが後の世代になると如何なんだろうって気はしますね。
地域間格差と一言で片付けるのはたやすいですが、いたたまれないものを感じます。

HPも覗かせていただきましたが僕にとっては専門外の気がしてしまいました。

悪しからず・・・。
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その通りです (Qve)
2010-12-23 17:46:07
仕事はWEBサイトを作ったり印刷物を作ったりしています。
それは関係ないんですが。

はい。地元・多賀町に住んでます。
芹谷地区は小さい頃から何度となく遊びに行ってましたし、
たぶん、今でも入谷や河内あたりには友人宅があるんだと思います。
もう住んでないんでしょうけど。

ダム建設も中止になった今後、どうなるのか少々心配です。

冬季に数メートルの積雪さえなければ悪い場所じゃないんですけどね……。

山村に住む人たちは、中学校に通うのもバスで通学です。
冬本番になると、積雪で通学ができなくなるため、
現在はもう存在しませんが、中学校には「寄宿舎」(いわゆる寮です)がありました。
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心痛みます。 (ぺん)
2010-12-24 14:20:15
勝手な思い込みで有ることは充分承知しているのですがこうした佇まいにどうしても惹かれるものがあります。

時折、廃家を訪れ家の中にまで侵入する不届き者もいることは確かなようで心痛みます。
>冬季に数メートルの積雪さえなければ悪い場所じゃないんですけどね……。
全然いいところです、僕も京都山城の片田舎で育ち未だにここを離れませんが、故郷はやっぱり未だに思い出の一杯詰まった宝庫です。

この山城にも廃村同様の集落はたくさん有るんですよ。

初老おやじの懐古趣味だと笑われますが・・・・。

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30年前に (もーさん)
2015-06-04 23:17:30
はじめまして
保月という地名でたどり着きました。
今からおよそ30年前に合宿でこの地に泊まりました(何でまた!?)。おそらく八幡神社を宿に使わせてもらったはずです。まだ夏のあいだは数軒住まわれていて、夜は五右衛門風呂とビール(先生には内緒)を頂きました。
当時はまだ小学校がありました。教科書などのほかアイドルが表紙の雑誌が1冊・・・印象に残ってます。
保月を拠点に、隣の杉や県境の五僧を訪ねました。杉には塾の合宿所が新しく建てられていて、びっくりしたのですが、今では溶け込んでいるだろうな、と思います。
また行ってみたいです。
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Unknown (ぺん)
2015-06-05 05:04:03
もーさん、おはよう。
僕もあのあたりを訪ね歩いてもう5~6年、現在の事は判りませんが、それ程変わりは無いようにおもいます。
当時でも夏季の土日にはどこでも誰かに出逢って話を聴いたり出来ましたよ。
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