極楽寺墓地(ごくらくじぼち)は法隆寺裏、かっての極楽寺は廃寺となり、墓地にその名前を残すだけに成っているが、この地域の惣墓となり・・・・
広大な丘は、石碑、石塔、墓石などで埋め尽くされ、一種壮観でさえ有る。
その広い墓地の西南端には木造瓦葺きの立派な地蔵堂が有り中に大きな地蔵石仏が祀られている。
地蔵石仏は高さ約2m、幅90cmの大きな舟形光背を負い、蓮華座に立つ像高172cmの定形地蔵。
室町中期の永正十八年(1521)の銘を持つ。
ちょっと失礼して赤い涎掛けをまくしあげると白いマイマイカブリの卵塊がびっしり・・・・涎掛けも悪くは無いが石仏さんには大迷惑かも??
又この地蔵は「継子(ままこ)地蔵」とも「飯乞(ままこい)地蔵」とも呼ばれ、斑鳩の昔話にも登場してくる様です。
一方地蔵堂脇には室町期の阿弥陀石仏が2体確認できる。
下部をコンクリート詰にされ、ちょっと待ったのサインを出す阿弥陀石仏。
見慣れた像容、室町時代後期の永禄七年 (1564)銘を持ち、イケメンで凛々しい尊顔。
方や、少し大きめの阿弥陀石仏、前者に同じく来迎印を結び蓮華座に立つ像高約1m・・・
同じく室町末期の造立だと思われるが、顔の印象は全く違う。
場所柄も有ってか??、この墓地にはまだまだ見るべき石仏が一杯有りそう・・
撮影2012.5.26