五僧はその昔、山の向こう側、美濃の時山から五人の僧が移り住んだのが始まりだと言われる滋賀県東部の鈴鹿山中、岐阜県、三重県、滋賀県、3県境が交わる辺りに有る峠の集落です。
此の鈴鹿山中奥地の人里離れた寒村も例に洩れず人声が途絶えて久しく・・・、人が居なく成ってから永らく経った去年の春に集落横を岐阜側に抜ける立派な林道が開通したと云うお粗末さ・・・・(しかし訪問したとき、既に峠の向こうは通行止めでしたが・・・)
国道306号線大君ケ畑(おじがはた)より通じる権現林道を一路道なりに北進、ここまで約15分ほど、道は比較的快適。
新しく付けられた権現林道から分かれる林道時山多賀線もすっかりこのざま・・・・
まあ、災難は自己責任って事で・・・・(別に此処は通行止めじゃなかった)
<車載カメラから・・・、上は峠方面向き下は逆方向帰り道>
五僧ふもとで道は大きくY字に別れ、登れば五僧峠を越え大垣岐阜方面へと続き、峠口には五僧の集落。
現在二戸の民家が残っており、そのうち一戸は今でも手入れが良く行き届き、そのままでも住めそうな・・
それでも奥には朽ち果てた廃屋の残骸
まだまだ新しく見えるトイレ??
一見しっかり見える母屋もこんな感じで・・
行政の記録では昭和50年頃最後の住民がこの地を去ったというが・・・もうそれから約25年。
傍らにはこんな姿の建物・・・・。
新しく出来た林道脇の民家には・・・
すっかり役目を終えた洗濯機・・
車の入る道が無かった当時はどうして此処まで運んで来たのだろうか??
学校は遥か3km下流の保月にまで通ったとか・・・それも昭和44年4月より休校、現在では建物もない。
当時この集落にはどんな生活があったのだろうか・・・・思うに過酷過ぎる。
山蛭の多いこの地で子供達は3kmもの山道、谷道を通学していたという、ましてや冬の豪雪には・・・・。
帰りざま見かけた墓地には真新しい墓石・・・ふるさとまでは捨てないとでも言うかのように・・・
五僧のいわく因縁はこの説明板で
ここから河内集落に抜ける権現谷に流れる水はとてつもなく澄み切り、したたる緑は見る目には鮮やか過ぎるほど。
撮影2011.6.5