Neurology 興味を持った「神経内科」論文

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ナチスと神経内科 ―私たちは歴史から何を学ぶべきか-

2017年05月17日 | 医学と医療
最近,印象に残った2つの論文がある.いずれもナチスと医学に関するものである.なぜ今,これらの論文が書かれたのかを考えながら読んだ.

1つめの論文は,ごく最近のNeurology誌に掲載されたドイツ人神経内科医のHans Jacob(1907~1997;写真左)についての論文である.クロイツフェルト・ヤコブ病で知られるAlfons Maria Jakobとは別人で,巨大脳症(megalencephaly)の研究で名を残した人物である.彼は図Aのリストに示すような10名の重度知的障害児の脳を神経病理学的に検討し,巨大脳症が発達遅滞を呈することを記した.しかし今回,彼が論文に取り上げられた理由はその業績のためではなく,10名のうち2名の脳が,ナチスの犠牲となった子供から得られたものであったためである.

ナチスはユダヤ人大量虐殺の前に,知的障害や精神障害を持つ人をLebensunwertes Leben(生きる価値のない命)と決めつけ,社会の負担として抹殺するRassenhygine(人種衛生計画)を行った.いわゆる「Aktion T4」とよばれる優生学思想に基づいた安楽死政策である.27万人を超えるドイツ人,つまり自国民の精神神経疾患患者が,毒ガスや薬物等で1945年までに殺害された.うち5000人は小児であったという.Jacobは42人のナチスの犠牲者の脳について検索し,巨大脳症に関する論文を執筆した.Neurology誌に論文を書いた著者のZeidman医師(米国イリノイ大学)は,Jacobが脳の由来について明記しなかったことの非倫理性を指摘すると同時に,この論文を引用する際には,その非倫理的側面について明記すべきであると強調している.

ヒトラー政権下に,非倫理的な神経疾患研究を行なったことで最も有名なのはJulius Hallervorden(1882~1965;写真中)である.彼は697名にも及ぶナチス犠牲者の脳を調べ,12論文を記載した.彼が見出した,ジストニアを主徴とする錐体外路症状と知的機能低下を呈する疾患は,その上官であるHugo Spatz(1888~1969)とともにその功績を称えられ,Hallervorden–Spatz病と呼ばれてきた.しかし,後年,その研究の非倫理性からこの病名は使用されなくなり,病因にもとづいてパントテン酸キナーゼ関連神経変性症(Pantothenate kinase-associated neurodegeneration;PKAN)と呼ばれるようになった.Hallervordenは「既に亡くなった人の脳だから使わせてもらう」ということではなく,ガス室で亡くなるのを待っていたという.つまり新鮮な脳を摘出する行為を日常的に行っていた.小長谷正明先生による「ヒトラーの震え 毛沢東の摺り足―神経内科からみた20世紀 (中公新書)」という書籍のなかで,Hallervordenの手紙が紹介されているが,「それらの脳がどこから来たのか,どのようにして来ることになったかは,私にとってはどうでもよいことだったのです」との記載があり,衝撃を受ける.

2つめの論文は今年1月のScience誌に掲載された”Germany to probe Nazi–era medical science”,つまり「ドイツはナチス時代の医学について調査を開始した」というタイトルの記事だ.Hallervordenが研究に使用したナチス犠牲者の脳標本がどのような運命を辿ったか全貌を明らかにするため,Max Plank研究所が,研究者に調査を許可したという内容である(Max Plank研究所はHallervordenが所長を務めたカイザー・ウィルヘルム脳研究所が戦後移転し,名称を変えた研究所でもある).時を遡ること1980年,ひとりのジャーナリストが,Hallervordenが研究に用いた知的障害児38人の脳標本を発見する.これを重く見たMax Plank研究所は10万枚にも及ぶプレパラートを丁重に埋葬し,犠牲者に対して公式謝罪を行った.ここで問題となったのは,脳標本の由来を知りながら,戦後も標本を研究に使用したのではないかという疑惑である.事実,HallervordenやJacobは戦後も研究を継続し,Max Plank研究所の神経病理学研究を主導し,天寿を全うした.そして2015年,新たな犠牲者の脳切片が研究所内で発見され,すべての標本が埋葬されたわけではないことが判明した.このため,Max Plank研究所は「犠牲者の尊厳を取り戻すため,今度こそ,誰が犠牲になり,どんな人生・運命を送ったのか,全貌を解明する」と表明したのである.

最後に本題であるこれら2つの論文が書かれた理由を考えたい.それは間違いなく「本来,人の命を守るべき医師,医学者がこのような残虐で非倫理的な研究を何故,行ったのかを検証し,繰り返さないため」であろう.「何故,このような研究を行ったのか?」これには医師,研究者のひとりとして,いくつかの理由が思いつく.
第1は,純粋に分からないものを知りたいという医者,医学者としての欲求であろう.この欲求は,再生医療やゲノム医療など,急速に生命医学が展開する現代ではより深刻な問題に繋がりうる.研究者は暗い衝動にうながされない倫理観を持つ必要がある.
第2は功名心や名誉欲かもしれない.事実,HallervordenもJacobもその業績により,戦後,Max Plank研究所や学会の要職をつとめている.
第3は医学は政治と同調しやすい危険性をもつということである.これは英国のジャーナリストJohn Cornwellが書いた「Hitler’s Scientists(邦訳:ヒトラーの科学者たち:作品社)」という本に詳しい.21世紀を支える科学技術が,ナチスを含む戦争の過程で勃興したことがよく分かる.そして衝撃的な事実として,さまざまな分野の中でも,『医師,医学者が最もナチスを熱狂的に支持し,ピーク時にはドイツ医師会員の45%(弁護士の約2倍)がナチ党員になっていた』ことが記されている.このことから医師がナチスの圧倒的な政権支持基盤を形成していたとも言われている.現在も医師,医学者の研究は政治により容易に影響を受ける.ドイツでは,ネオナチに代表される極右的な排外主義があり,さらに難民危機を契機として,新興ポピュリスト政党「ドイツのための選択肢(AfD)」が台頭しているが,Max Plank研究所の今回の決断の背景には,このような政治的背景があると指摘されている.世界の政治が新しい国家主義により揺れている現在は,医学,医学研究にとっても危険な状況であるということだ.

結論として,私たちは医学研究にはこのような脆弱な面があることを認識する必要がある.「ヒトラーの科学者たち」が行なった行為は必ずしも過去のことと言い切れない.さらに,ナチスに限ったことではなく,日本人では第二次世界大戦中の石井部隊(旧731部隊)の所業や九州帝国大学の生体解剖事件のことは研究者であれば知っておく必要がある.私たちは歴史から学ぶ必要がある.最後に上述の小長谷正明先生が著書の中で引用したゲーテの言葉を紹介したい.「よい人間はたとえ暗い衝動にうながされても,正しい道をわすれることはない」

【オリジナル文献】
Zeidman LA. Hans Jacob and brain research on Hamburg "euthanasia" victims: "Awaiting further brains!" Neurology. 2017 Mar 14;88(11):1089-1094.
Gannon M. Germany to probe Nazi-era medical science. Science. 2017 Jan 6;355(6320):13.

【参考図書】
ヒトラーの震え 毛沢東の摺り足―神経内科からみた20世紀 (中公新書)
ヒトラーの科学者たち(作品社)






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