神経内科医になり,脳や神経疾患を理解するため,まず画像診断による脳の形態を学んだ.つぎに遺伝子から神経疾患が分かるのではないかと考え大学院に進んだ.さらに,脳の切片を作ったり,擦り潰して生化学的な解析を行ったが,それでも脳の本当の機能や神経疾患の本態に到達できないようなもどかしさを感じていた.いずれの方法も,脳のアクティブな活動を捉えていない感じがした.「脳の回路や活動」を直接見ることができれば,脳や疾患の理解が変わるのではないだろうか?
新しい脳の研究法を紹介する,まさにワクワクさせられる本や動画を紹介したい.最初の動画は,スタンフォード大学のセバスチャン・スン博士によるコネクトーム(connectome)の説明である(タイトル:私はコネクトームである,日本語字幕あり)
動画1. 【セバスチャン・スン: 私はコネクトームである】
コネクトームは,コネクト(connect)と「全体」を表すomeという接尾語を合成したことばである.コネクトームは,ニューロンやある機能を持った脳の領野などの間の接続状態を表した地図,つまり神経回路マップを意味する.たとえば線虫の場合,神経細胞は300個,その接続であるシナプスは7000個と言われるが,そのコネクトームは10年がかりの解析の結果,下図のように解明されている.
ヒトの場合は 1000億個の神経細胞と100兆個のシナプスがあると言われ,そのコネクトームは線虫とは比べものにならないが,このコネクトームの多様性こそが,その人のこころとか人格を決めているのではないかという仮説がある(I am a connectome仮説).つまりコネクトーム研究は,科学や医療にインパクトを持つだけでなく,「人間とは何か」「わたしとは何者か」に答えをもたらす可能性がある.
しかし線虫でも複雑なのに,ヒトのコネクトームは研究が可能なのであろうか?多くの研究者はコネクトーム研究こそが重要であると考えていながら,その研究があまりに困難であるため手つかずとなっていたのであった.しかしセバスチャン・スン博士は,現在の技術水準はこの困難を克服できるレベルに達しつつあると言っている.強力な自動化技術と画像処理能を備えた次世代スパコンや汎用人工知能の開発により,ヒトのコネクトームの解明を促進させるというのだ.
バスチャン・スン博士はコネクトームを調べる方法として,二次元の電子顕微鏡の写真を三次元に再構成して,神経細胞同士のつながり(シナプス)を見る方法を示している(下図).
さらに最近の科学の発達は,もっと分かりやすくシナプスを見る方法を実現している.そのひとつが脳透明化技術である.この発見はコネクトーム研究を大きく加速すると言われている.3DISCO,Sca/e,CLARITYなど幾つかの方法が報告されている.生物試料は水,脂質,タンパク質といった屈折率が異なる化学物質の集合体であるが,脱水して屈折率の高い化合物に置換することで試料内部での光の散乱を減少させ,それによって組織を透明化するという技術である.蛍光タンパク質による細胞の可視化技術と脳透明化を組み合わせると,脳の細胞の連絡(コネクトーム)が直接観察できるようになる.CLARITYの動画を提示するが,海馬などの構造がそのまま正確に捉えることができる.脳の美しさに息を呑むことと思う.この技術は,過去に提供された古い脳にも,新たな研究の可能性を生み出すものと考えられる.
動画2. 【See-through brains】
さらに機能的MRI(fMRI)もコネクトーム研究に有用である.種々の活動に関連した脳機能マッピングを行い,その連絡地図(コネクトーム)を分析・解明する方法だ.最近,Nature communicationsに報告された論文は,スタンフォード大学の1人の脳科学者が,毎週火曜日と木曜日の朝にfMRIを撮像し,それを18ヶ月間も続け,ヒトの脳の機能的なコネクトームが経時的に変化するのか調べたという研究である.この結果,脳の安静時のコネクトームは基本的に変わらないことが示されたが,図のように、何と火曜日と木曜日では大きな変化が見られた.この違いは何によってもたらされたかというと,火曜日の朝にはコーヒーを飲まなかったというのだ.つまりカフェイン摂取でコネクトームがこんなにもダイナミックに変化するというのだ.この変化の意味は不明だが,海外の学会などで欧米人はみなコーヒー片手に現れるところを見ると,木曜日のコネクトームが会議には適しているのだろう.我々は脳の働きに関して,まだこのようなことさえ知らないのだ.
動画3. 【Stanford researcher scans his own brain for a year and a half】
次世代スパコンの登場は間違いなくコネクトーム研究を加速するだろう.次世代スパコンは,加えて「神経回路」のシュミレーションを可能とする.例えば小脳の機能をシュミレーションする組み込み型小脳プロセッサの開発は,ロボットに転ばないように学習させることが可能である.
そして人工知能の開発に関しては,「脳はそれぞれよく定義された機能を持つ機械学習器が一定のやり方で組み合わされる事で機能を実現しており,それを真似て人工的に構成された機械学習器を組み合わせる事で人間並みかそれ以上の能力を持つ汎用の知能機械を構築可能である」という仮説が生まれ,研究が進められている(全脳アーキテクチャ中心仮説).現在,次世代スパコンの開発は世界中でしのぎを削るものとなっているが,日本のスパコン開発で期待を集める齊藤元章氏は,人の脳にある神経細胞やシナプスを,同じ数のコアとインターコネクトで置き換えることで,人の知能に,ある意味で追いつく汎用人工知能が実現できるのではないかと考えている(写真はスーパーコンピュータ菖蒲).このようにして生まれる人工知能は,ビッグデータを機械学習することにより,人間が気がつかない現象や法則を見出すものと考えられる.
今後,新たな方法で脳を捉える時代に突入する.恐らくその進化は,脳科学や神経内科学にこれまでにない変化をもたらすだろう.例えば画像では何の異常も見いだせないうつ病や統合失調症なども,コネクトームに変調が見られるのではないだろうか.そしてその変調は,シナプスを変化させる(再荷重,再接続,再配線,再生)することにより治療することができるのではないか,脳の研究は近い将来,まさにそのような時代に突入するのだ.ぜひ若い人にはダイナミックに変化する脳の先端研究に取り組んで欲しいと思う.
最後におすすめの本を紹介する.セバスチャン・スン博士による「コネクトーム:脳の配線はどのように「わたし」をつくり出すのか」は本当にワクワクさせられた.また次世代スパコンがもたらす壮大で驚くべき新世界については,齊藤元章氏による「エクサスケールの衝撃」に詳しい.人工知能の入門書としては次の2冊をおすすめする.
人類を超えるAIは日本から生まれる (廣済堂新書)
人工知能は人間を超えるか (角川EPUB選書)
これらはご一読をおすすめしたい本である.
新しい脳の研究法を紹介する,まさにワクワクさせられる本や動画を紹介したい.最初の動画は,スタンフォード大学のセバスチャン・スン博士によるコネクトーム(connectome)の説明である(タイトル:私はコネクトームである,日本語字幕あり)
動画1. 【セバスチャン・スン: 私はコネクトームである】
コネクトームは,コネクト(connect)と「全体」を表すomeという接尾語を合成したことばである.コネクトームは,ニューロンやある機能を持った脳の領野などの間の接続状態を表した地図,つまり神経回路マップを意味する.たとえば線虫の場合,神経細胞は300個,その接続であるシナプスは7000個と言われるが,そのコネクトームは10年がかりの解析の結果,下図のように解明されている.
ヒトの場合は 1000億個の神経細胞と100兆個のシナプスがあると言われ,そのコネクトームは線虫とは比べものにならないが,このコネクトームの多様性こそが,その人のこころとか人格を決めているのではないかという仮説がある(I am a connectome仮説).つまりコネクトーム研究は,科学や医療にインパクトを持つだけでなく,「人間とは何か」「わたしとは何者か」に答えをもたらす可能性がある.
しかし線虫でも複雑なのに,ヒトのコネクトームは研究が可能なのであろうか?多くの研究者はコネクトーム研究こそが重要であると考えていながら,その研究があまりに困難であるため手つかずとなっていたのであった.しかしセバスチャン・スン博士は,現在の技術水準はこの困難を克服できるレベルに達しつつあると言っている.強力な自動化技術と画像処理能を備えた次世代スパコンや汎用人工知能の開発により,ヒトのコネクトームの解明を促進させるというのだ.
バスチャン・スン博士はコネクトームを調べる方法として,二次元の電子顕微鏡の写真を三次元に再構成して,神経細胞同士のつながり(シナプス)を見る方法を示している(下図).
さらに最近の科学の発達は,もっと分かりやすくシナプスを見る方法を実現している.そのひとつが脳透明化技術である.この発見はコネクトーム研究を大きく加速すると言われている.3DISCO,Sca/e,CLARITYなど幾つかの方法が報告されている.生物試料は水,脂質,タンパク質といった屈折率が異なる化学物質の集合体であるが,脱水して屈折率の高い化合物に置換することで試料内部での光の散乱を減少させ,それによって組織を透明化するという技術である.蛍光タンパク質による細胞の可視化技術と脳透明化を組み合わせると,脳の細胞の連絡(コネクトーム)が直接観察できるようになる.CLARITYの動画を提示するが,海馬などの構造がそのまま正確に捉えることができる.脳の美しさに息を呑むことと思う.この技術は,過去に提供された古い脳にも,新たな研究の可能性を生み出すものと考えられる.
動画2. 【See-through brains】
さらに機能的MRI(fMRI)もコネクトーム研究に有用である.種々の活動に関連した脳機能マッピングを行い,その連絡地図(コネクトーム)を分析・解明する方法だ.最近,Nature communicationsに報告された論文は,スタンフォード大学の1人の脳科学者が,毎週火曜日と木曜日の朝にfMRIを撮像し,それを18ヶ月間も続け,ヒトの脳の機能的なコネクトームが経時的に変化するのか調べたという研究である.この結果,脳の安静時のコネクトームは基本的に変わらないことが示されたが,図のように、何と火曜日と木曜日では大きな変化が見られた.この違いは何によってもたらされたかというと,火曜日の朝にはコーヒーを飲まなかったというのだ.つまりカフェイン摂取でコネクトームがこんなにもダイナミックに変化するというのだ.この変化の意味は不明だが,海外の学会などで欧米人はみなコーヒー片手に現れるところを見ると,木曜日のコネクトームが会議には適しているのだろう.我々は脳の働きに関して,まだこのようなことさえ知らないのだ.
動画3. 【Stanford researcher scans his own brain for a year and a half】
次世代スパコンの登場は間違いなくコネクトーム研究を加速するだろう.次世代スパコンは,加えて「神経回路」のシュミレーションを可能とする.例えば小脳の機能をシュミレーションする組み込み型小脳プロセッサの開発は,ロボットに転ばないように学習させることが可能である.
そして人工知能の開発に関しては,「脳はそれぞれよく定義された機能を持つ機械学習器が一定のやり方で組み合わされる事で機能を実現しており,それを真似て人工的に構成された機械学習器を組み合わせる事で人間並みかそれ以上の能力を持つ汎用の知能機械を構築可能である」という仮説が生まれ,研究が進められている(全脳アーキテクチャ中心仮説).現在,次世代スパコンの開発は世界中でしのぎを削るものとなっているが,日本のスパコン開発で期待を集める齊藤元章氏は,人の脳にある神経細胞やシナプスを,同じ数のコアとインターコネクトで置き換えることで,人の知能に,ある意味で追いつく汎用人工知能が実現できるのではないかと考えている(写真はスーパーコンピュータ菖蒲).このようにして生まれる人工知能は,ビッグデータを機械学習することにより,人間が気がつかない現象や法則を見出すものと考えられる.
今後,新たな方法で脳を捉える時代に突入する.恐らくその進化は,脳科学や神経内科学にこれまでにない変化をもたらすだろう.例えば画像では何の異常も見いだせないうつ病や統合失調症なども,コネクトームに変調が見られるのではないだろうか.そしてその変調は,シナプスを変化させる(再荷重,再接続,再配線,再生)することにより治療することができるのではないか,脳の研究は近い将来,まさにそのような時代に突入するのだ.ぜひ若い人にはダイナミックに変化する脳の先端研究に取り組んで欲しいと思う.
最後におすすめの本を紹介する.セバスチャン・スン博士による「コネクトーム:脳の配線はどのように「わたし」をつくり出すのか」は本当にワクワクさせられた.また次世代スパコンがもたらす壮大で驚くべき新世界については,齊藤元章氏による「エクサスケールの衝撃」に詳しい.人工知能の入門書としては次の2冊をおすすめする.
人類を超えるAIは日本から生まれる (廣済堂新書)
人工知能は人間を超えるか (角川EPUB選書)
これらはご一読をおすすめしたい本である.