Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

不法移民、強制退去の祖父

2016-11-25 | 歴史・時事
トラムプ家のフリードリッヒの研究が新聞に載っている。「なぜ、フリードリッヒが1904年に妻エリザベートと故郷カールシュタットに戻ってから、滞在許可を出しても受け入れられなかったか」についてである。16歳で姉の住むニューヨークを目指して、1892年シアトルで市民権を取ってから、再び1901年に妻を娶りに帰郷して、再び合衆国から戻って来た時に妻エリザベートは故郷にとどまることを希望したのである。そのことでの国籍の再取得を申し立てたが、却下され、1905年2月にはバートデュルクハイムの当局からバイエルン支配地からの強制退去命令が下されている。

却下の大きな理由は、バイエルンの支配地プファルツの市民に課せられた徴兵義務を果たしておらず、年齢からその義務を果たせることがないということであり、バイエルン市民とは認められなかった。そもそもニューヨークに出発するときに合法的な移民としてバイエルンの席を抜いているのではないために、そのこと自体が非合法な兵役拒否にも繋がっている。

国内国際欄つまり三面記事で高級紙FAZは、「ドナルドは、おじいさんが不法移民であったことを忘れているようだ」と締めくくっている。なるほど兵役逃れの移民三世の実質上の二代目があのような主張をして大統領になるのが合衆国であるということだろう。但し兵役に関しては異なるが、移民などは皆同じようなもので、私自身も日本政府や自治に移民すると断って籍を外して移民している訳ではない。そもそも故郷を棄てる者などは似たものだ。

フリードリッヒが国籍申請のためにスパイヤーの内務省当局に出した手紙類はスパイヤーのアーカイヴにそのまま残っており、その細かく書かれた書類の束の写真を見て、大叔父さんが日本に滞在する子息への仕送りなどのことで大量に手紙をよこしていたという話を思い出した。残念ながら捨ててしまったということだが、公文書はこうして中世から残っているのがドイツであり、恐らく私自身の資料も日本でよりもそのものこちらで公文書として残されて行くものだと思った。



参照:
大統領選出後の喧騒 2016-11-11 | 歴史・時事
都合の悪い真実を窺う 2016-02-23 | 雑感

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