Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

「誇りを取り戻そう」の戯け

2016-11-19 | 文学・思想
水曜日の新聞文化欄を見た。クライスト賞の授賞式がこの日曜日にあり多和田葉子が受賞するので彼女の書籍が紹介されている。クライストに関する書籍が多い筈なので驚かないが、賞与理由はそうした研究に関係するだろうか。二冊の新著が紹介されている。

ヴァイマール共和国下でのこの文学賞はその受賞者リストを見ただけでその意味が分かる。ブレヒトやツックマイヤー、ムズィルなどドイツ文学の馴染みの名前が挙がる。1984年からの再授与はその意味合いは変わったといっても、ハイナー・ミュラーなどのお馴染みの名前も見られる。財政的にはドイツェバンクの二万ユーロが支えのようだ。

朝のラディオは前夜のオバマ大統領ベルリン滞在初日の話題があった。それによるとメルケル首相の招待で食事をしたようで、通訳も誰も付かなかったようだ。これは色々と想像させて面白い。もちろんメルケル首相にとっては来年の総選挙でも大統領ではなく首相候補になるということなので政治的に重要な情報を得る機会だったろう。なんら力のない辞める大統領でもその情報と政治的視点はとても重要である。先ずはねぎらいから、今後の合衆国外交の向かう方向に関しての話題となったのだろうか。

新聞には分裂騒ぎのAfDバーデンヴュルテムベルク議会での連中の締め括りの言葉が英語で出ていた。「再び誇りあるドイツにする」というトラムプ次期大統領の言葉を捩ったものだ。連中は気がくるっているとしか思えないのはこうしたところで、職業的にはそこそこの社会を代表する立場に居ながらこうした見解が生まれてくるところである。一体連邦共和国をどのように、敢えて言えばトルコ人二世などにとっても誇りあるものにしようというのだろうか?

日本の人には分からないかもしれないが、現在の連邦共和国の何処をどのようにしたら誇りに結びつくのだろうと大変不思議に思う。彼らの視座では現在のこの社会を恥ということなのだろう。どこが一体?である。

同じようなおかしな視座と思考を持つのは世界中この手の政治勢力層では変わらないようで、そうした政治情勢を作っているのは有権者でしかない。要するに社会に不満があるということなのだろうが、連邦共和国は日本とは異なって合衆国から独立しており政治的にも経済的にも世界の優等生であり続けている。グローバル化に対しても主体的に動ける立場であり、治安などに関してもアンダーコントロールであり、制御不可には陥ってはいない。なるほど急激に押し寄せた難民問題はあっても、国民の生活を脅かしているものではなく、制御さえ出来ていれば問題がない。

1990年代前半の外国人排斥や襲撃などの時と現在の状況は大分異なるというのが実感で、あの当時の「仕事が奪われる」とか言った切実なスローガンの方が現在の「誇りを取り戻す」よりも凄みも実感も強かった。



参照:
国際的競争力が無い実証 2016-09-09 | 雑感
ありのままを受容する 2016-09-24 | 歴史・時事
青い鳥が、飛び交うところ 2007-06-22 | 女

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« いよいよ本丸か | トップ | 違和感が消えるときは »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿