Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

複雑な構成要素を対極化する

2011-01-28 | 文化一般
指揮者イヴァン・フィッシャーがブタペストの祝祭楽団を振って、ドルトムントで四つのコンサートを開き、それが新聞批評に載っている。昨今話題となっているハンガリー問題が色濃く、芸術的にアピールとして表現されたようだ。そこでは、管弦楽のための協奏曲の終曲で「自由への謳歌」への意志を強調された作曲家バルトークの楽曲が中心に据えらた。1939年以降に勇敢にナショナリストに立ち向かい、1940年には不幸にもニューヨークへと亡命しなければいけなかった作曲家の音楽を理解するとは何かと提議される。

つまり、民俗音楽を採取して各々の民族を対峙させ、ルーマニアの民族舞踊曲などの直裁的な表現だけでなく、それを芸術音楽として創作することで、ハンガリーにおけるスラブ的なもの、ルーマニア的なものを、ハンガリー的なものと同じようにそこから止揚して統合することで「ハンガリーの音楽」を高度な芸術としたのである。それを、青髭公の音楽の輝かしい光に闇にと、抽象化して明示していることを納得させてくれるのである。

そうした音楽を少しでも理解する者は、少なくともバルトークという作曲家が、特別に偏狭な民族主義者でもなく、ただ只管に民俗音楽を採取していた収集家でもなかったことを認識する。それどころか、この作曲家が身を呈してファシストに向かい合っていた意味を理解するだろう。芸術における政治性を酷く不純なものとして受け取る純粋耽美主義の向きもあるが、そうした芸術愛好家は、自らが芸術の本質を理解していないか、さもなくば商業主義の中で芸術とエンターテイメントの差異を理解していないかのどちらかである。まさにアンドラーシュ・シッフがハンガリー国民をしてその無関心さとその鈍感さを批判する所以なのである。

2006年に試飲して購入した最後のシャルドネを開けた。今回が最も熟成が上手く進んでいて、こんなにも手頃な価格で美味いのかと驚愕した。新鮮なときにはこれほど美味くなかったのだが、玄人はその手練手管をしてなかなかやっているとはじめから評価していた。自分自身は早飲みしないと飲めなくなると思っていた。しかし、ドイツのリースリングではこうした石灰土壌の旨みはなかなか出せないのである。石灰土壌であると先ず輪郭が暈けてしまい、リースリングの美味さが加齢するほどに落ちてしまうからである。なるほどシャルドネにはフランス女性のそれのようなコケットな甘さが残るのだが、決して残糖感が分離している訳ではない。マコン周辺の2006年はこちらのそれのように悪い年ではなかったのだろうが、同じ価格帯で2006年のリースリングに飲めるものは殆ど無いのである。更にまだおかしな熟成感が出ていないことを鑑みると、まだ少しは成熟しそうなのである。

正直、フランスの手練手管には頭が下がった、最初は良くなかったが、酸も洗練されてきていてだんだんと良くなってきている。少なくともグランクリュリースリングには、最初があの程度で後にこのように成熟するものは皆無である。グランクリュリースリングは、双葉より芳しくつまり最初から酸が美しいか、更に辛口で男性的で遥かに攻撃的である。フランスのそれに最も近い繊細さは、ドイツ広しといえどもフォルストのペッヒシュタイン以外にはないであろう。これもバルトークの音楽のようにその本質を理解しようとしない者には理解出来るまい。フランスの手練手管による堅牢度、天晴れである。



参照:
環境の一部である全人格的な行い 2011-01-16 | 文化一般
中庸に滴る高貴な雫 2008-09-03 | ワイン
価値のある品定め 2008-05-07 | 試飲百景
とても幸せな葡萄の光景 2008-05-05 | ワイン

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