Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

問題児対策にみる成熟度

2008-05-22 | 生活
町の問題児について、住居オーナー共同体と管理会社の会合で、また話題となった。二十年近く繰り返されている恒例の話題である。

問題児と言っても八十を遠に過ぎた彼の爺さんである。彼がまた、弁護士を使って住居の不備を訴えて、その騒音から寝られないので改善しろと主張している。その問題は先頃彼の家を訪れた時に説明された事象である。

問題児の憎まれ爺さんは、いままで数え切れないほど住居者を追い出してきている。我家を訪れた者で彼を知らない者は殆ど居ないであろう。人の駐車のスペースまで彼が一手に管轄するだけでなく、役所でも何事にも一言かまなければいられない。かなり病んでいる。偶々、子息の嫁さんが日本人なのでこれ以上は書けない。訴えられるといけない。

いや、私は数少ない彼の支援者の一人であり、先日も日本からお土産を携えただけでなく、今回も一言コメントしておいた。なるほど、部屋を貸している大家の立場や隣近所に住んでいる者のように、甚大な被害をこちらも直接受けていれば、大問題なのだが、今まで受けた被害は数えるに足らない。

管理会社の第三者の一人が、彼が少年達に自転車の手入れを指図するのを観察していて、とても好々爺に見えたと感想を述べていた。他の一人も病気後勢いは大分弱っていて以前ほどの問題はなくなってきていると語った。

私が好意を寄せる女性も「料理中にも食事中にも、況してや床に入ってから、私は一切応対しないからね」と三回にも渡る挑戦をあっけなく撃退して、構って貰わなければいけない老人として彼を扱っていた。

少し引いてその情景をみていて、当時者の怒りも十分に理解出来るが、絶えることなく衝突を繰り返す爺さんの訴えを、先入観なくどのように解決するかに興味を持った。

結論は、直接攻撃を受ける住人は、決して爺さんに直接対処せずに管理会社へと苦情を回すこと、そして法的手段に訴える爺さんに対して出来る限り苦情を聞いて対処する姿勢を管理会社が示すなどの対処策が決められた。

如何にはぐれ者で厄介な人間であろうが、受け止めてやることが、相手を叩くことよりも肝要なことが確認されたのである。さて爺さんが、出した刀を、適当な所でどのように鞘に収めるかがみものなのである。

はずれものに対して厳しく対処することは馬鹿でも出来るが、なんら効果をあげるとは限らない。寧ろ、そうした者を社会が囲い込んで仕舞うことが出来れば、それは成熟した社会に値するに違いない。

こうした対処の仕方に、その社会の程度やその構成員の人間の各々の程度が表れる。「いつまでも活動的に、政治などにも関わって行かなければ」と語る爺さんが、ありえないがもしアルツハイマーなどに倒れると悲しい。皆は、爺さんも長くはないとみているが、「憎まれっ子世に憚る」を地で生きている。

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