先日FAZ新聞で川上音二郎についての新刊書評を見つけた。日本の義務教育で習う、陣中羽織に扇子で唄うオッペケペ節の役者である。筑前の藍問屋の子息で落語家桂文之助に入門して、その後自由民権運動の中江兆民などの薫陶を受けて、新派を結成する。
新聞にも大きく掲載されているのが、ベルリンのプレスクラブ晩餐会での妻の貞奴姐さんとの写真である。総勢15人の一座が1900年にパリ万博に参加して、その後二年間亘って全欧ツアーを成功裏に敢行した。なかなか優男の役者であり、着物の貞奴も堂々としている。
この書は、ボンの日本学のパンツァー教授の力作である。全12カ国の巡業地の地元の博物館などの資料も調べたようだ。上の物も数多くの未公開写真の一つかもしれない。ドイツだけで21箇所巡業と言うから、昨今の和太鼓のグループ以上で、その登場舞台たるやミュンヘンのレジデンツ劇場など最高級の場が与えられている。各地の新聞も取り上げ批評をしているようである。賢明にも日本語の台詞を切り詰めて、パントマイム的に演じていたので、歌舞伎の形や日本舞踊の仕草などが絶大な印象を与えたようである。
多くの記事の中でも面白いのは、バルコンで鑑賞するご婦人が「惨たらしい。これから腹を切るというというのよ。」と叫ぶのを止めた帯同した男は、「お方、日本人はね。そのように侮辱されると、本当に腹を切ってしまうものですよ。」というカリカルチャーであるようだ。
フーゴ・ホフマンスタールやヘルマン・バールの熱狂だけでなくリーバーマン、クリムトやクレー、スレフークトやオルリックの興奮が伝えられており、その後の芸術的影響は日本趣味を超えている事は周知のことで、一座はカルト的存在になったとある。この辺りは様々な研究書にある通りであろう。この本は、舞台芸術が本旨となっているが、この芸術家の欧州公演後、ザルツブルク祝祭の創立者でもあるマックス・ラインハルトが日本風の舞台を演出するなどイェッツ、クラウデルやブレヒト等の舞台関係者に直接の影響を与えたとされる。
その後「オセロ」を日本初演して、大阪に帝國劇場が出来た事から、同時に川上を日本の演劇活動の創始者とするようだ。現在でもドイツの日本研究者には芸者研究家や森鴎外研究家が居るように、これらは劇場活動を啓蒙主義に則った教育と文化政策を主題とする同類異型の研究と見做されよう。そして、このような学究的 異 国 情 緒 には絶えず現実逃避と麻痺が伴っていると付記する事も忘れてはなるまい。
参照:
湿気た文化政策 [ 文学・思想 ] / 2005-10-24
尻を捲くり立ち止まる [ 歴史・時事 ] / 2005-10-29
新聞にも大きく掲載されているのが、ベルリンのプレスクラブ晩餐会での妻の貞奴姐さんとの写真である。総勢15人の一座が1900年にパリ万博に参加して、その後二年間亘って全欧ツアーを成功裏に敢行した。なかなか優男の役者であり、着物の貞奴も堂々としている。
この書は、ボンの日本学のパンツァー教授の力作である。全12カ国の巡業地の地元の博物館などの資料も調べたようだ。上の物も数多くの未公開写真の一つかもしれない。ドイツだけで21箇所巡業と言うから、昨今の和太鼓のグループ以上で、その登場舞台たるやミュンヘンのレジデンツ劇場など最高級の場が与えられている。各地の新聞も取り上げ批評をしているようである。賢明にも日本語の台詞を切り詰めて、パントマイム的に演じていたので、歌舞伎の形や日本舞踊の仕草などが絶大な印象を与えたようである。
多くの記事の中でも面白いのは、バルコンで鑑賞するご婦人が「惨たらしい。これから腹を切るというというのよ。」と叫ぶのを止めた帯同した男は、「お方、日本人はね。そのように侮辱されると、本当に腹を切ってしまうものですよ。」というカリカルチャーであるようだ。
フーゴ・ホフマンスタールやヘルマン・バールの熱狂だけでなくリーバーマン、クリムトやクレー、スレフークトやオルリックの興奮が伝えられており、その後の芸術的影響は日本趣味を超えている事は周知のことで、一座はカルト的存在になったとある。この辺りは様々な研究書にある通りであろう。この本は、舞台芸術が本旨となっているが、この芸術家の欧州公演後、ザルツブルク祝祭の創立者でもあるマックス・ラインハルトが日本風の舞台を演出するなどイェッツ、クラウデルやブレヒト等の舞台関係者に直接の影響を与えたとされる。
その後「オセロ」を日本初演して、大阪に帝國劇場が出来た事から、同時に川上を日本の演劇活動の創始者とするようだ。現在でもドイツの日本研究者には芸者研究家や森鴎外研究家が居るように、これらは劇場活動を啓蒙主義に則った教育と文化政策を主題とする同類異型の研究と見做されよう。そして、このような学究的 異 国 情 緒 には絶えず現実逃避と麻痺が伴っていると付記する事も忘れてはなるまい。
参照:
湿気た文化政策 [ 文学・思想 ] / 2005-10-24
尻を捲くり立ち止まる [ 歴史・時事 ] / 2005-10-29
拝見していると・・・なんだか本になりそうな素晴らしいブログですね
海外に住む方とこんな風に会話ができる。
ネットとブログってやっぱりいいなぁと思います
また寄らせていただきます♪
福沢桃介は諭吉の娘婿だったと思うのですが、電力王らしく、立派な施設を作り、長野県にある桃介橋は重要文化財です。先日赤沢森林に行くとき横を通りました。(橋は通行禁止)
川上音二郎と貞奴の邸宅は名古屋にあり、公開されています。いつか行きたいと思っています。
本当ですね。ネットには距離感が無いですから、素晴らしいですね。お子さんのVIDEOも見せて頂きました。
宜しくお願いします。
matsubaraさん、明治11年生まれならば、納得出来ます。オッペケペは何の事だか分からないのが良いですね。
福沢諭吉の養子さんに付いては余り知らなかったのですが思いかけず話題が博多から信州に広がりました。
ところでコメントにミスがありましたので、訂正します。バスガイドの説明が間違っていました。
家で調べてみますと、桃介橋はかっては通行禁止になっていましたが、今は修理され通れるそうです。今日のblogに書き込みました。
学生時代、友人が卒論に諭吉を選んでいましたが、その頃は無関心で・・・
今から思えば、見せて貰えばよかったのに・・・と思っています。
それでこうしたリサーチから当時の反響を読み取ると全く違う像が見えてきます。そのときの「しゅっと」した写真(どこか大阪の新野新さん似)や、帰国後に自由民権から「戦争賛美など時代に便乗し、民権精神を喪失していった」の状況を知るとまた興味つきないです。
特に法的な整備が急がれていた明治政府の完成期から植民地主義へと、法治国家である以上重要な変遷の時期に法的な変動がある事など普遍的な様相が見えるかのようです。