Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

失われたユダヤ音楽世代

2022-06-13 | アウトドーア・環境
金曜日の晩は、最初を逃したが、ベルリンからの生中継を聴いた。初日がベルリンの各紙に酷評されているユダヤ人作曲家のロストジェネ―ションと題した演奏会だ。最大の問題点は後半のツェムリンスキーにあった。再度詳しく聴いてみる必要があるが、最大の問題とされているのは指揮者が嘗てのコーミッシェオパー音楽監督の時の様に鳴らし過ぎるということだった。それによって歌曲歌いのバリトンのゲルハーハーもオペラ風にしか歌えないソプラノのダヴィドセンも叫んでいたとなる。二日目の放送を聴く限りは、なるほどそのオーケストレーションの影響もあって透明性は中々保たれないのだが、細部もセンシティーヴに演奏されていて、声がどれだけの表現が可能かに掛かっていた。

翌日にはアーカイヴから前々任者のアバド指揮のベートーヴェン八番が流されていたが、評判が良いシリーズにしてはお粗末極まりない。どうしてこの編成でこんなに濁った音しか出ないのか。なるほどカラヤンサウンドをぶっ壊して現代的な大管弦楽団として再興したのは評価したいが、1994年11月にはあれしか出来ていなかった。世界の一流から二流へと落ちていた。だからアバド指揮では何回も演奏会に出かけていない。とても正しい判断をしていた。来年はペトレンコ指揮でも復活祭で演奏されるので、参考にと思ったが全く役に立たないので録音を消去した。

生中継の最初の曲シュルホーフの交響曲二番は日曜日に無料でDCHで生中継されるのでそちらを観てからにする。しかし何といっても二曲目のジンガリアの作品と演奏は秀逸だった。ピエモント生まれのブラームスと比較されるこの作曲家は知らなかったが、御多分に漏れず最後は生き延びたイタリアで1944年に逮捕されるときに心臓麻痺で亡くなっている。その曲風はよりロマンティックながら、地方の民謡などに取材していて面白い。なによりも遠くドロミテまで出かけて初期の登攀で有名古典書を出版していることだ。知らなかったので、英語のファクシミリ版を早速発注した。

その曲をペトレンコの示唆を受けて弾いたのはコンツェルトマイスターのアメリカ人のベルグレーで、番組の間にドイツ系ユダヤ人として父親が楽師だったことも語っていてとても興味深かった。その関係から子供の時にもメニューヒンにも聴いて貰ったことがあるらしい。前任のピッツバ―ク交響楽団のことも話していた。ユダヤ音楽が広く受け入れられるようになって嬉しいとも語っていた。

その裏ではメトロポリタン歌劇場からの生放送で「レ―クプログレス」がクートやシュルツの歌で流されたが、想定以上に女性指揮者マルキのそれが良かった。ザルツブルクでカムブレラン指揮でモルティ―エ―時代にこの作品を観たことがあるが、今も変わらず駄目だったので、やはり指揮者の程度が違うという感じがする。なるほど数少ないベルリンのフィルハーモニカーを振る女性だけのことはある。ゴルダ・ショルツも声と役がとってもあっているようで、大きな舞台で立派な歌を歌っていた。マネージメントが上手く売っていくかどうかが左右するのがよく分かる事象である。



参照:
名人E・コミーチの影を慕う 2013-08-09 | アウトドーア・環境
石灰岩の大地の歌 2006-09-03 | テクニック

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