今週末ベルリンの新シーズンが始まる。ブルックナー交響曲五番が演奏される。それまでにお勉強しておかなければいけない。今更フルトヴェングラーの録音を聴こうとは思わないのだが、やはりカラヤンの録音をどうしようかとも考える。もう一つは嘗てペトレンコ自身がインタヴューで「抹香臭さを徹底排したギュンターヴァント指揮」と言及したそれをどうしようかとも考える。それ以前にまだ交響曲の構成が呑み込めていない部分もある。涼しくなって意欲が出てくるか。
カラヤン云々は、独墺系レパートリーの演奏実践とすればどうしても比較対象にならざるを得ないから、その時代性の認識となる。本人のキャラクターもあってその芸術的な本質が中々誤解されて、ブルックナーなどでその時代の鏡となっていることが理解されにくい。
そのブルックナーの演奏実践に関しても取り分け正統的なものとはされないのだが、それでも戦後の録音だけを鑑みてもとても時代を反映している。1957年の教会でのEMIの録音のフルトヴェングラー時代の響きを思わせる録音と1976年のペンダゴンマークの付いた新フィルハーモニーの響きを意識させるそれとの相違は第八交響曲で明らかだ。
今回車輛の発注に際して、その歴史の具体的な変遷をトータルコンセプトや技術やデザインなどから垣間見ると、まさしく戦後のカラヤン指揮ベルリナーフィルハーモニカーの変遷も良く見えて来た。1944年9月に廃墟化していく首都ベルリンでシュターツカペレを放送のために振った録音というのもあって、今回改めて聴き返して比較する時間はないのだが、この指揮者がブルックナーで示したことはやはり興味深い。
各々の時代の高級乗用車を見ると、そうした音の印象と何ら変わらない。例えば戦争末期にはまだあのナチの高級将校たちが乗っていた明らかに回顧的な幌付きの大きなクラシックカーのような車はまさしく軍事的利用だけでなくナチのイデオロギーをも反映していた。5トンもあるような8気筒のエンジンで230馬力あったようだが、タイヤのゴムの耐久性から最高速は時速170kmから80kmに落とされていたようだ。
実際に上の1944年の録音を聴けば楽器の具合も悪いようで流石の名門楽団も本来の音を出していない。然し、次の1957年の録音は見事で、なるほど現在からすると技術的には問題もあるのだが、ブルックナーの響きとして違和感はあまりない。北独逸の楽団の響きとしてはそれ以上のものは求めることが出来ないであろう。
既に経済は戦後の復帰から経済成長へと進んでいた時期で、1955年頃からデザイン的にも遅れていた車輛が現代化すると同時に量販車も6気筒まで使われたシリンダー当たりの圧縮比も上がり120馬力を目指していた。ラジエターの水冷やブレーキの空冷の強化などが為されて、それなりの世界競争力となっていたのは、例えば昭和30年代には戦後の米国車モデルから変わってそのドイツ車が街角出も見かけるようになって来ていたのにも伺われる。そのデザインによって記憶に残っている人も少なくない筈だ。
その後1960年代は米国で流行った後部の尾が伸びるスタイルのアメリカの影響が世界を席巻して、1970年代へと流れ込むとなるのだろうか。(続く)
Symphony No. 8 in C Minor: IV. Finale. Feierlich, nicht schnell 1957年録音
Bruckner: Symphony No. 8 - Finale - Preußische Staatskapelle/Karajan (1944 STEREO) 1944年録音
参照:
視界を秋へと拓く 2024-08-19 | 暦
刻まれる夏の想い出 2024-08-12 | 暦
カラヤン云々は、独墺系レパートリーの演奏実践とすればどうしても比較対象にならざるを得ないから、その時代性の認識となる。本人のキャラクターもあってその芸術的な本質が中々誤解されて、ブルックナーなどでその時代の鏡となっていることが理解されにくい。
そのブルックナーの演奏実践に関しても取り分け正統的なものとはされないのだが、それでも戦後の録音だけを鑑みてもとても時代を反映している。1957年の教会でのEMIの録音のフルトヴェングラー時代の響きを思わせる録音と1976年のペンダゴンマークの付いた新フィルハーモニーの響きを意識させるそれとの相違は第八交響曲で明らかだ。
今回車輛の発注に際して、その歴史の具体的な変遷をトータルコンセプトや技術やデザインなどから垣間見ると、まさしく戦後のカラヤン指揮ベルリナーフィルハーモニカーの変遷も良く見えて来た。1944年9月に廃墟化していく首都ベルリンでシュターツカペレを放送のために振った録音というのもあって、今回改めて聴き返して比較する時間はないのだが、この指揮者がブルックナーで示したことはやはり興味深い。
各々の時代の高級乗用車を見ると、そうした音の印象と何ら変わらない。例えば戦争末期にはまだあのナチの高級将校たちが乗っていた明らかに回顧的な幌付きの大きなクラシックカーのような車はまさしく軍事的利用だけでなくナチのイデオロギーをも反映していた。5トンもあるような8気筒のエンジンで230馬力あったようだが、タイヤのゴムの耐久性から最高速は時速170kmから80kmに落とされていたようだ。
実際に上の1944年の録音を聴けば楽器の具合も悪いようで流石の名門楽団も本来の音を出していない。然し、次の1957年の録音は見事で、なるほど現在からすると技術的には問題もあるのだが、ブルックナーの響きとして違和感はあまりない。北独逸の楽団の響きとしてはそれ以上のものは求めることが出来ないであろう。
既に経済は戦後の復帰から経済成長へと進んでいた時期で、1955年頃からデザイン的にも遅れていた車輛が現代化すると同時に量販車も6気筒まで使われたシリンダー当たりの圧縮比も上がり120馬力を目指していた。ラジエターの水冷やブレーキの空冷の強化などが為されて、それなりの世界競争力となっていたのは、例えば昭和30年代には戦後の米国車モデルから変わってそのドイツ車が街角出も見かけるようになって来ていたのにも伺われる。そのデザインによって記憶に残っている人も少なくない筈だ。
その後1960年代は米国で流行った後部の尾が伸びるスタイルのアメリカの影響が世界を席巻して、1970年代へと流れ込むとなるのだろうか。(続く)
Symphony No. 8 in C Minor: IV. Finale. Feierlich, nicht schnell 1957年録音
Bruckner: Symphony No. 8 - Finale - Preußische Staatskapelle/Karajan (1944 STEREO) 1944年録音
参照:
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