Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

清濁併せ飲むのか支配人

2022-01-27 | マスメディア批評
とてもよかった。一足先に独仏放送局Arteのサイトに「ジュディッタ」がオンデマンドとなった。TV放送は2月末だがネット向きには劇場のストリーミング公開に合わせて早朝にアップロードされた。先ず不満は音声が125kBsの速度しか出ていないのでオペレッタにはそれでよくても内容のある挿入曲には音質が悪すぎる。もう一つの不満はエンドロールで指揮者エンゲルと字幕が重なってしまっていることで、それと同時に演出グループへのブーイングが入っていない。双方とも劇場のそれに期待したい。この演出のコンセプトからすればそれを伝えないと意味が半減する。やはりArteのプロデューサーの質が低い。

しかしお目当てのシェーンベルク「幸福の手」第二景の場面は圧倒的だった。この演奏の手本となるブーレーズ指揮の録音を比較すれば、その端折り方はいつもの通りなのだが、声楽表現として全く出来ていないことに気が付くだろう。これを聴くとエンゲル指揮の「モーゼとアロン」にペトレンコ指揮よりも期待したくなる。その音色の素晴らしいこと。

そもそもこの「幸福の手」は12人の合唱と男声そしてパントマイムと三人で演じられる音楽劇場作品である。男二人で、作曲家自身の奥さんの浮気の刃傷沙汰のトラウマが描かれている。勿論このオペレッタの話しに其の儘挿入されている。そしてその音楽的つながりの見事なこと。演出家のマルターラーのアイデアなのだろうが、いい指揮者がサポートすることで見事な解決になっている。本来予定の指揮者が病気を理由に直前に下りたという事が素直に信じられない所以である。

音楽的にはここが山だと思うが、こうして繰り返して観ると、悉く挿入曲と場面が効いている。そして少し複雑な内容となっているので何回も繰り返えして合点がいくことも多く、マルターラーのお話しの味わい深さと同じものがこの舞台をも支配している。再演される事になるのだろうが、オペルンフェストシュピーレの夏なのかそれとも嘗てのオットーシェンク演出「こうもり」の代わりに年末年始なのか?

それにしてもやはりミュンヘンの配役はやはり出来ている。主役のミクネヴィシューテの声は、誰かが増強されていると書いていたほどに想定以上の声だった。なぜ上のクラスで歌っていなかったかは技術的な問題であることも明らかなのだが、また相手役のオペレッタ分野で第一人者とされるべーレがこの劇場には一廻り小さいとされるのとは反対だった。

上のシェ―ンベルクのシュメッケンベッヒャーはペトレンコとも共演していたのだがどこでだったかを調べるとブレゲンツで「魔法の角笛」を歌っていた。ホッケンハイム出身だった。もう一人のスラデックを歌ったコールヘップもリムブルクの出身でザルツブルクの復活祭でダーフィットを歌っていたらしい。相手役のスェーデンのアヴェールノも、「死の街」の座って歌うのは苦しそうだったが、いい劇場デビューとなったのではないか。

しかし何よりも薄い拍手と舞台上に点滅する「今日、そして、未来」のスローガンにこの公演の価値がある。メディア化はウニテルが入っているようなのでそうした高尚な制作とはならない。だから余計に劇場では違う形で流して欲しいのだ。ドルニー支配人の腕の見せ所なのだが。



参照:
伝播する分からぬ流行り 2021-12-24 | 文化一般
ミュンヘンに通った甲斐 2022-01-26 | 文化一般

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