Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

こんなことあるのか!

2020-02-20 | 
最後のエルフィー訪問で聴いたのは以下の三曲であった。

ストラヴィンスキー作三楽章の交響曲
ベルント・アロイス・ツィムマーマン作ブラジル風狂想曲「アラゴアーナ」

ラフマニノフ作「交響的舞曲」

今回の新シェフお披露目国内ツアーの初日であり、それに先立って四回もベルリンの本拠地で本番練習をして準備を重ねていた。なによりも話題性が未だに高いハムブルクのエルフィーでの公演ということで注目された。

個人的な興味もあの容赦の無いホールでどれだけの成果を出して来るかにあった。週末にベルリンからの中継では若干音響的に丸まってしまったところも感じられたからである。その点ではストラヴィンスキーはその印象を払拭するには十二分で、一楽章の主題の再提示で、各ヴァイオリン群が律動的にずらす以外はパラレルに進んでいたところが、反行に出るところは目を見張った。今回は通常配置がこのツアーのプログラムの特徴で、第一と第二群がそこで合わせるのを見ているだけでアッと思った。流石にヴァイオリン群の表現力は世界のトップだと思う。そしてどこまでもシャープにそして切れの良い弦は、放送では中々角が落ちてしまって十分な効果が出ていなかったところだ。何でもない所なのだが、如何にもストラヴィンスキーらしい書法で、個々の響きを聴くだけでエルフィーの美点を満喫した。ここは映像の監督をしていたらペトレンコの満足げな顔と両ヴァイオリンを同時に抜きたいところだ。

二楽章の室内楽的な楽器間の緊張関係も素晴らしく、ここでは二つのフル-トが同じように対位されたりする。逆にここはフィルハーモニーでの方が音に艶が感じられたが、生であったら確かに判断できたと思う。ある意味エルフィーの表現の限界も感じられるところだった。当日無料で配布していたプログラムにはこの曲がハリウッド映画「聖処女」の為に作曲されて使われなかったとあった。初めて知ったが、プログラムやレクチャーの質はその聴衆の質を左右するのでとても大切なのだが、残念ながらここのプログラムの程度はかなり低く、マンハイム以下ではないだろうか?道理でこの楽章だけはヤナーチェックのオペラかの様に描写風の音楽となっている。この辺りからそのエルフィーの音響の特徴で、コントラバス群の響き方などがフィルハーモニーよりも足りないことにも気が付き出した。

三楽章はフィルハーモニーでの演奏よりもコンモートの力感が強調されたのも、実際には会場の音響からのサウンドの調整がそのようにしたかもしれないと感じられた。同時に折角右側に並んだヴィオラ陣も弱く、会場の特徴がこのヴィオラ群とのアンサムブルも作っていて、更にエルフィーでは若干弱く感じられた。

比較的そっけなく場面転換へと進み、愈々お待ちかねの「アラゴアーナ」が演奏される。序曲のリズム構造もとても明晰で滑ることが無く、二楽章も良かったが音の核がエルフィーでは欠け、それをしっかり包む音の内容が無い。若干腑抜けになるのだ。これはベルリンのフィルハーモニーとの差であって、決していい音響ではない。しかしこの曲の今回のハイライトはなんといっても三楽章「サウダーデ」のコーダの漂う音空間でこれは全くベルリンでは為せていなかった音楽表現だった。

四楽章「カボクロ」ではリズム的な明白さはフィルハーモニーよりもあった。如何せんエルフィーではソノリティ―に欠け、これはこうした新しい曲ではどうしても不利になる。要するに音楽の表現に向かないのである。フィナーレもトラムペットに響きにしても折角の表現をしていても色褪せる感は否めなかった。フィルハーモニーとエルフィーでは一長一短があるが、少なくとも二十世紀後半の楽曲になるとベルリンの方が優れているのは間違いなさそうである。ギターの聞こえ方も見事だったので、エルフィーの音響の精々成果には違いない。

さて休憩を挿んで一番期待されなかったラフマニノフである。これが取り分けこのホールにはあっていた。コントラバス群も、「アラゴアーナ」で減らされていたものがもどされて5プルト入って、充実した。しかし、ルツェルンの下手で弾いているような音はしない。練習の時から周りに騒音に消されるような塩梅で、如何にこの舞台の音が発散型かというのがよく分かった。しかしここでは通常配置なので右奥へとヴィオラからチェロの後ろに座する。

そして、ヴィオラも良く歌うのだが、二楽章のヴァルスでもリズム的にペトレンコの棒から自由に膨らまない。恐らくラフマニノフはこのベルリンの管弦楽にとっては最難関のレパートリーの一つだと思う。それを観ていて、これが自由に刻めるようになればミュンヘンの座付との指揮者の関係に近くなっているだろうと思った。しかし、ツアー中に更に進化すると期待させる。

なによりも機能的な和声で下支えされた響きが明澄に美しく響くのがこのエルフィーだと思った。それゆえに三楽章のコーダのアレルヤへまたフィナーレへとの音楽はあまりにも素晴らしく、銅鑼の響きと共に後ろから「こんなことがあるのか」と感嘆の声が上がり曲が終わるまで話し続けていた。まさしく最高価格席に往々に座っている聴衆の典型である。しかし、その純粋で単純な気持ちはよく分かった。



参照:
最後のエルフィー訪問 2020-02-19 | 文化一般
稀有に偉大な天才指揮者 2020-02-17 | 文化一般

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