Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

今は昔と感じること

2019-08-06 | 雑感
パン屋が開いた。店内は列が出来ていた。毎日行かない人でも夏休み終わりとなれば、ホームメードの本物が恋しくなるのだろう。特別なパンを焼いている訳ではないが、やはり手焼きは違う。その証拠に雨が降ってくるとぼさぼさとなっていた。職人の腕が直ぐに表れる。経験が表れる。それでいいのだ。

二週間ぶりに沢を往復した。高低差が無いので楽なのだが、それはそれで汗を掻いた。外気温は摂氏17度であったが、雨雲を避けて走った。

職人技と言えばロスアンジェルスからの中継録音を聞いて、どうしてもそれが見つからない。合衆国の管弦楽団の中の所謂ビッグファイヴの中でも最高に支払われている交響楽団であるが、全くそうした職人的な気持ちを感じさせないのがロスアンジェルスフィルハーモニー管弦楽団である。創立年度が新しいだけならばそうした特徴が花咲くのだろうが、受け継がれているものが悪い。ズビン・メータがガン治療後に復帰したコンサートからブラームスツィクルスを始めた。一回目のブラームスの第一協奏曲はルービンシュタインとの共演が有名である。ここではブロンフマンの演奏で、交響曲一番の前に演奏された。そして二回目の前半の第二協奏曲の始めは聞き逃したが、やはり大した演奏では無かった。それでも三楽章が終わって拍手が来る。ロスでの西欧音楽需要などはその程度なのだろう。流石にあれは西欧の普通の音楽会ではない拍手だ。その聴衆の程度がこの西海岸の高給取りの楽団の質を端的に表している。あとの四つの交響楽団でもファミリーコンサート以外ではありえないと思う。後半の交響曲二番はそれらよりも良かった。やはりこの指揮者の十八番なのではないかと思った。

それにしてもあそこで拍手する客も客だが、放送のアナウンスが「指揮者は腕をスイングさせるだけではないぞ、全ての楽器のことも知らないといけないのだ」とか話すものだから、どんな人を相手にしているか分かる。現在の音楽監督デュダメルのお客さんである。聴衆以上の音楽活動なんて存在しないという事だろう。

「ルツェルン音楽祭の10年」第四回目を観る。生では入れなかった。もう少し早く準備しておかないと無理なようだ。期待したユジャ・ワンはまだ出ない。軸はアバドの作った楽団という事で、今回もシャイ―とラトル指揮で各々祝祭楽団とベルリナーフィルハーモニカーでラヴェル聴き比べだった。初めて導入の話しを聞いたがスイス訛りでも流石に国内向きには字幕が入っていない。お蔭さまで、南ドイツに居てスイスでの仕事も多かったのでアレマン方言の一つとして、理解は全く問題が無い。アレマンに慣れていないと違和感だけでなく更に言葉も分かり難いと思う。

なるほどラトル指揮ラヴェルは勿論悪くは無いのだが、しかしその人気指揮者がメシアンの大曲を振るとなるとそれほど売れない。それが何を示しているかと言えばその人気に反してラトルの芸術がどこまで広く知られていたかと言うと大変疑問である。だからこうした番組でその演奏を評価していても、どこまで話し手は音楽が分かっているのかなと感じてしまう。やはりジャーナリズム的に科学的批判が出来ないところでは本当に正しくも評価が出来ないのに違いない。

我々長年のファンからすれば、何をいまさらと言う気もあり、またベルリナーフィルハーモニカーが標準型の楽器配置を採用していたこともあり、ルツェルンのシューボックス型の会場を活かしきれていなかっただろうという印象しか持たない。そしてしかもあんなにつるつるのベートーヴェンを指揮したものだと、今は昔の感が強い。昨年の復活祭のことであった。



参照:
すわ、頂上往復か 2019-07-30 | 生活
次はシェーンベルク 2018-03-28 | 文化一般
コメント