
この冬初の零下となった。放射冷却である。屋根に霜が着いていた。零下四度となっている。
ベルリナーフィルハーモニカー合衆国ツアー前のズーム会見の記事を読んだ。初めは知らなかったがAPの記事が各地で複製されていたので読めた。昨年の日本公演前にも同じような会見をしていたので、もっとも手っ取り早い広報なのだろう。
英語で行われたのか若干その引用が曖昧であるが、要旨はよく分かった。52歳と語って、二年前にそこで演奏したマーラーへの考えから今回のプログラムであるブルックナーへと繋いでいる。
ユダヤ系とあって、十年二十年前はより興味があって、マーラーのその疎外感や何処にも家がなくて故郷がなくてと語り、きっと変わったのかもしれないと、恐らく自身の家庭事情を思い浮かべている。そこでブルックナーへと傾倒したと。
ソヴィエトでは無縁だったが、第二の故郷オーストリアでの青年時代に出合って、そこの山々、そして料理など知って少しづつ身近になって行ったと語る。要するに自分の住処と感じるようになったということだろう。
具体的には、1942年のフルトヴェングラー指揮の五番交響曲を参考にした様である。このことは此処でも言及した語り口の巧さがそのものであって、改めて比較してい見ると面白いかもしれない。
BRUCKNER: Symphony No. 5 in B flat major / Furtwängler · Berliner Philharmoniker
その他にも、マーラーをブルーノ・ヴァルター指揮、「ばらの騎士」をエーリッヒ・クライバー、クレメンス・クラウス指揮と挙げていて、成程前者の冒頭のテムポ運びはスカラ座で指揮したそのものである。
Richard Strauss - Der Rosenkavalier (Erich Kleiber - 1952)
Richard Strauss - Der Rosenkavalier (Clemens Krauss – 1953, 1936)
管弦楽団との関係において、100人の楽員が寄れば100通りの考えがあって、100通りの望みがあると答えると、楽団長でホルンのドールが楽員各々に更に多くの考えがあると口を挟む。
そしてそこでは信頼して多くを語らないと、そして見ていて、止めずに練習すると語る。ブルックナーはそして発展するのだと語る。それは奏者が全身全霊で演奏できるようになるというルーティン化の成果だろう。
そして過去の録音でその伝統を記録するの容易ではなくて、ステップアンドステップで試みていくしかないと語っている。それが楽団によって引き継がれるものと考えている様だ。やはりベルリンのフィルハーモニーをシューボックス型にしなければいけないという考えに至るだろう。
何はともあれ25回目の合衆国ツアーを二度目のペトレンコ指揮で大成功裏に終えたと言えるだろう。
参照:
Kirill Petrenko Finds Leading the Berlin Philharmonic Means 100 Opinions and 100 Expectations, AP
全身全霊で演奏する 2024-11-30 | マスメディア批評
音楽の楽しみ方の教示 2023-11-16 | 文化一般
ベルリナーフィルハーモニカー合衆国ツアー前のズーム会見の記事を読んだ。初めは知らなかったがAPの記事が各地で複製されていたので読めた。昨年の日本公演前にも同じような会見をしていたので、もっとも手っ取り早い広報なのだろう。
英語で行われたのか若干その引用が曖昧であるが、要旨はよく分かった。52歳と語って、二年前にそこで演奏したマーラーへの考えから今回のプログラムであるブルックナーへと繋いでいる。
ユダヤ系とあって、十年二十年前はより興味があって、マーラーのその疎外感や何処にも家がなくて故郷がなくてと語り、きっと変わったのかもしれないと、恐らく自身の家庭事情を思い浮かべている。そこでブルックナーへと傾倒したと。
ソヴィエトでは無縁だったが、第二の故郷オーストリアでの青年時代に出合って、そこの山々、そして料理など知って少しづつ身近になって行ったと語る。要するに自分の住処と感じるようになったということだろう。
具体的には、1942年のフルトヴェングラー指揮の五番交響曲を参考にした様である。このことは此処でも言及した語り口の巧さがそのものであって、改めて比較してい見ると面白いかもしれない。
BRUCKNER: Symphony No. 5 in B flat major / Furtwängler · Berliner Philharmoniker
その他にも、マーラーをブルーノ・ヴァルター指揮、「ばらの騎士」をエーリッヒ・クライバー、クレメンス・クラウス指揮と挙げていて、成程前者の冒頭のテムポ運びはスカラ座で指揮したそのものである。
Richard Strauss - Der Rosenkavalier (Erich Kleiber - 1952)
Richard Strauss - Der Rosenkavalier (Clemens Krauss – 1953, 1936)
管弦楽団との関係において、100人の楽員が寄れば100通りの考えがあって、100通りの望みがあると答えると、楽団長でホルンのドールが楽員各々に更に多くの考えがあると口を挟む。
そしてそこでは信頼して多くを語らないと、そして見ていて、止めずに練習すると語る。ブルックナーはそして発展するのだと語る。それは奏者が全身全霊で演奏できるようになるというルーティン化の成果だろう。
そして過去の録音でその伝統を記録するの容易ではなくて、ステップアンドステップで試みていくしかないと語っている。それが楽団によって引き継がれるものと考えている様だ。やはりベルリンのフィルハーモニーをシューボックス型にしなければいけないという考えに至るだろう。
何はともあれ25回目の合衆国ツアーを二度目のペトレンコ指揮で大成功裏に終えたと言えるだろう。
参照:
Kirill Petrenko Finds Leading the Berlin Philharmonic Means 100 Opinions and 100 Expectations, AP
全身全霊で演奏する 2024-11-30 | マスメディア批評
音楽の楽しみ方の教示 2023-11-16 | 文化一般
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