Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

音楽の楽しみ方の教示

2023-11-16 | 文化一般
ベルリナーフィルハーモニカー日本公演初日が高松で催された。その反響をSNSで追っていると感慨深い。一つには前回2017年のペトレンコ初訪日のそれと比較するからだ。その時はミュンヘンの音楽監督で、東京のみでオペラ公演以外に演奏会を二回行った。前年既にベルリナーフィルハーモニカーのシェフに選出されていたのにも拘らず、なぜか日本での反響は今一つはっきりしなかった。

色々な背景があると思う。なによりもの相違は、管弦楽団が座付きだったので、特に演奏会ではしゃっきとした演奏とはならない。それは先月の「千人の交響曲」演奏会でも同じなのだが、それはアンサムブルの性格が違うということでしかない。実際にはヴィーナーフィルハーモニカーをペトレンコが振っても殆ど価値はないのだが、ミュンヘンの楽団であると断然価値がある。よって日本での反響は不可思議だった。過去を振り返ればカルロス・クライバーが同じ楽団を振った時にも大熱狂があったからだ。

この間にリリースされて大絶賛の評価となったペトレンコ指揮のマーラー交響曲七番の反響も若干あるかもしれないが、やはりデジタルコンサートホールでの馴染みが大きいのだろう。勿論知名度も当時とは比較にならない。それでも現時点では前任者のサイモン・ラトルの足元にも及ばないであろう。勿論今後とも故カラヤンの知名度には遠く及ばないに違いない。

それゆえに今回のカラヤン以後初めての四国公演の意義がある。やはりライヴ公演で伝わるものは少なくはない。メディア産業との繋がりを立ち切ってのその芸術活動に直接其々の人が触れて貰うことでしか、ネット配信でのベルリンでの予行演習以上の名演には接し得ないからである。僅かにバーデンバーデンやルツェルンなどでの名演が実況中継録画録音されているに過ぎない。

今回の日本公演はソウルでの二夜を挟んで、二つのプログラムとも数回以上の公演となるので、夏のツアーのルツェルン公演などに匹敵する名演が繰り広げられることになる。それをメディアなどを通すことなしに体験するというのはやはりなによりもの評価になる。

一時は日本などでも指揮者チェリビダッケなど録音を避けてきたその演奏会は幻のとかの形容詞がついていたのだが、そういう意味ではペトレンコ指揮ベルリナーフィルハーモニカー公演もそれと大差はない。

そしてその意味からも今回の津々浦々をまわることでの接触はとても優れた企画となる。前回のカラヤン時代の1957年のそれにもそうした文化使節的な意味合いが含有されていたのも間違いない。

そして最終日のアマチュア―演奏家を集めての演奏会で、西洋音楽に親しんでもらうという原点に返っての音楽文化的なレクチャーとなっている。上海では更に実際的なワークショップなどが開かれる予定でコロナ中に中止となったのだが、その一つ先での日本でも学んで貰おうという目的がある。



参照:
二極化によって描かれるもの 2023-11-14 | 文化一般
ベルリンから見た日本公演 2017-09-28 | マスメディア批評

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