橋本屋吉次郎電子日誌

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鳴海城

2021-02-23 | お城巡り(その他)
前回、大高城と対峙する鷲津砦丸根砦と徒歩でまわりました。
今回は、鳴海城とこれをとり囲む丹下砦・善照寺砦・中島砦を周遊してみました。

この日、鳴海城近くのコインパーキングが満車であったため、名鉄鳴海駅南のコイン駐車場に駐めました。


鳴海駅北の旧東海道は、昭和の香りが残されており、それを見て楽しんでいるうちに鳴海城跡に到着しました。


天神社(あまつかみしゃ)
所在地: 名古屋市緑区鳴海町城





鳴海城は、天神社から道路を挟んで西にある鳴海城跡公園にかけて存在したといわれています。

天神社境内には史蹟碑や


案内板が設置されています。


こちらの碑に関しては、



文字が見づらくなっており何が書いてあるかわかりませんでした。
(文字かはっきり見えても読めたかどうかはわかりません。)

鳴海城は今川義元の家臣である岡部元信が城主を務めていた城で、今川氏の重要拠点になっていた城で、別名根古屋城(ねごやじょう)ともよばれました。
もともと、この地には成海神社が建っておりましたが、築城の際、400m程北の現在の位置に移動してもらっています。


枯れたご神木はそのあたりの移り変わりを見てきたのでしょうか。


天神社西側
道路を挟んで西にある城跡公園へ向かいます。


城郭風のコミュニティーセンター


金鯱まであります。


鳴海城跡公園



中は、ふつうの公園で遺構は残っていません。





ただ、周辺より高台となっているくらいです。
ひょっとして、堀切があったかもしれませんね。


南側のようす
当時は海に面した城で、満潮時には城のすぐ下まで潮に浸かったと伝えられています。

桶狭間の戦いにおいて今川義元が敗れると、織田信長との交渉の結果、義元の首級と引き換えに岡部元信は城を明け渡します。
その後は佐久間信盛・信栄父子が城主を務めましたが、天正末期には廃城になったそうです。

公園の北にある東福院の門は、鳴海城の城門だったといわれています。


なお、鳴海城建設に伴い移転した成海神社にも足を伸ばしてみました。



現在でも、りっぱな境内でした。


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2 コメント

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Unknown (T2)
2021-02-23 04:55:31
戦国初期の攻防の舞台・・・歩いて回れるエリアに睨み合いの痕跡を探す・・・
いいですね♪よい運動にもなりそうwww

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よい運動 (橋吉)
2021-02-23 08:48:05
>T2さんこんにちは
弓矢しか飛び道具がなかった時代ですから、近距離でのにらみ合いとなります。そうなれば散歩にはちょうど良いのです。適度な高低差もありよい運動になりました。
返信する

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