1579年(天正7年)、明智光秀は丹波国を平定すると、横山城を福智山城と改名、近世城郭へと大修築すると同時に城下町を整備しました。
その後、城主はいろいろ入れ替わりましたが、1699年から明治までは13代にわたり朽木氏が治めました。なお、朽木氏によって「福知山」に改められました。
小高い丘の上に立つ平山城ですので、しばらく坂を登っていいかなければなりませんが、美しい大手道は疲れも感じさせません。
銅門番所
番所の建築物が現存するのは貴重なのですが、パッと見、事務所か倉庫ぐらいにしか見えなく、見落としがち(表示はあるのですが)です。
1985年(昭和60年)復元された天守閣です。
鉄筋コンクリートですが、外観は忠実に再現され大変美しいです。
内部は郷土資料館となっています。
石垣は近江の穴太衆によってつまれた穴太積みと伝えられています。
大きな石の間に小さな石に積み込み排水性をあげています。
矢印の部分の石は転用された石です。
福知山城には宝筮印塔・五輪塔・石仏・石臼・灯篭などが転用石として約二百あまりとして使われています。
転用石は信長(およびその家臣)の城の特徴ですが、これほど大量の使用例は、大和郡山城と福知山城にしかないといわれています。
豊磐の井
本丸にある立派な井戸です。
深さ50mは日本一と表示されていますが、丸亀城には65mの井戸があります。
2009年に復元された釣鐘門です。
登城口に隅櫓のような建物がありますが、
佐藤太清記念美術館です。
福知山市出身の日本画家です。
違和感がありません。
城下町を散策してみました。
お城の北にひときわ目立つ立派なお屋敷がありましたが、門は固く閉ざされていました。何があったのでしょうか。
歴史を感じさせる街並みです。
福知山鉄道館ポッポランドです。1974年(昭和49年)に廃止された北丹鉄道で使用されていた品々が展示されています。
ポッポランドがある新町商店街にはたくさんのお店がありましたが、大方はシャッターが降りて閑散としていました。土曜の13時というのに寂しい風景です。
福知山城
京都府福知山市字内記5番地
開館時間: 09:00 ~17:00(入館は16:30まで)
休館日:火曜(祝日は営業し水曜を休館とする),年末年始(12/28~12/31,1/4~1/6)
入館料:大人310円,こども100円(美術館との共通券:大人460円,こども180円)
福知山鉄道館ポッポランド
京都府福知山市下新町32
開館時間:10:00~17:30
休館日:木曜日
入館料: 無料
福知山城の井戸はたいへん立派な井戸で飲料水の確保が戦において、いかに重要だったかわかります。
このお城の復元は鉄筋コンクリート製とのことですが、無粋な感じはまったくなく、現代の消防法とうまく折り合いをつけているなあと感心します。
10年くらい前に家族と行ったのですが雰囲気がぜんぜん違います!かなり整備が進んで良い感じになっていますねぇ~当時は大手門入り口前の太鼓橋が印象に残っていて家族写真もその橋で撮っています、天守も登りましたが資料館の中の写真がなぜか「若き日の中曽根康弘氏」の物が多く、・・・・?だった事を覚えていますあの人は群馬ですよねぇ?それと「なんとか姫」と「なんとか殿」のゆるキャラがいませんでしたか?「忍玉、乱太郎」の漫画キャラだったと思います、懐かしいです!
私も福知山と聞くとJR福知山線を連想します。ただ、列車事故では無くて子供の頃にこの鉄道のレールに硬貨を置いて、大きな1円、5円、10円玉を作った事です。
このお城はなかなかいい感じに見受けられ、街並みと合せて訪ねてみたく思いました。
固く閉ざされた屋敷の門は、たまにプリススに乗ったおっさんがやって来て、中を覗こうとするからかもしれません。
ろくに見ないで片隅で弁当を食べてそそくさと引き揚げ、あまの橋立へと向かったのでありました。
古い邸宅 私も気になります
何人かの同僚に福知山へ行ってきたというと「脱線事故のところか」と聞かれました。あの事故は尼崎市内ですから福知山とは随分離れています。
井戸は大切で、城攻の際は、まず地下水の流れを変えたり断ち切って、井戸を使用不能にするのが常套手段です。
着実に整備が進められてきたようですが、昨年の釣鐘門の復元を持って一段落したみたいです。太鼓橋はわざとらしく、好きになれませんでした。資料館の中曽根康弘氏は気になりませんでした。ていうか、あったっけ?特別展だったのでしょうか。忍玉、乱太郎の漫画キャラはありました!
福知山線の脱線は尼崎市内と聞きましたが、そんな原因だったとは知りませんでした。
あのお屋敷は敷地が広く和風の屋敷、洋館さらには小さな祠があるのか赤い鳥居も見えました。ただ、門にかけられた鎖があまりに無粋です。一体何があったのでしょうか。
このあたりは土地勘がありません。昼食のため大江山へそばを食べに行く途中「天橋立○km,鳥取○km」という表示を見て、「随分遠くまで来たんだな~」と実感しました。
福知山は城下町でこれを築いた明智光秀は今でも大変人気があると聞いたことがあります。しかし、店舗の中心は城下から国道沿いに移りつつあるようです。