橋本屋吉次郎電子日誌

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脇本城

2022-08-28 | お城巡り(続日本100名城)
大館のホテルを完全雨天装備で出発、脇本城までやってきました。
脇本城は、男鹿半島の付け根にある生鼻崎(おいばなざき)の丘陵に築かれた山城です。


アクセスは、すこし分かりにくいです。
国道101号線北に、脇本城碑と菅原神社の一の鳥居が並んでいます。
両者の間の細い坂道を登ればすぐです。
クルマでは心配くらいの細道ですが、距離が短いので大丈夫でしょう。
菅原神社をさらに少し越えると駐車場があります。


駐車場脇に脇本城跡案内所のプレハブ小屋があります。


案内所にはパンフレットと立体模型が置かれています。
続日本100名城スタンプも押すことができます。

幸いなことに雨はまだ降っていなかったので、合羽の上着を脱ぎ、レインハットをかぶって、いざ登城しました。

城は三つの部分で構成されています。
内館,馬乗り場,兜ヶ崎(かぶとがさき)です。


大手道
大手道を進んで行くと、左に兜ヶ崎、右に内館が見えてきます。


【兜ヶ崎】
兜ヶ崎は、生鼻崎丘陵の北東尾根に階段状に複数の曲輪を形成しています。



まだ、8時30分でしたが、除草作業が始まっていました。
夏草に遺構が埋もれてもしかたない季節でしたが、今回訪れた城跡はどこもキレイに草が刈られ整備してありました。
暑い中作業されていた方々には頭が下がります。
おかげさまで、楽しんで城跡をまわることができました。


一番下の広い曲輪


車の向こうに見えるのが、内舘です。


高い曲輪に登ってみます。


南端の曲輪
奥が一段高くなっています。


南側、秋田方面が見渡せます。


北側、能代方面
今にも降りそうな天気ですが、眺めは良いです。


家臣の屋敷が並んでいたと考えられています。


曲輪のまわりは土塁で囲まれていますが、とくに西側の土塁が発達しています。
防御のためだけでなく、防風柵を兼ねていると考えたのですが、どうでしょうか?



内舘に向かいます。



【内舘】


曲輪のまわりには、何重もの空堀があります。


井戸跡


空堀



内館地区は主郭部を構成する曲輪群の中で最も平坦地が大きいのが特徴です。




儀式を行う施設があったと思われる広い曲輪
奥に見える大土塁の向こうに城主の居館があったと推定されています。

馬乗り場は内館の北にありますが、少し離れているので、この日はパスしました。

本城は出土物から15世紀頃にはあったと推定されています。
1577(天正5)年、安東愛季(あんどう ちかすえ/よしすえ)が、大規模な改修を行い、居城としました。
1590(天正18)年の豊臣秀吉による奥州仕置から1602(慶長7)年の佐竹氏による久保田城築城の間に、廃城になったと思われます。




所要時間:30分

帰り際に案内所の職員と話をしたのですが、この近くに金山があったのでという噂があるそうです。
この城は、その採掘と防御のためにつくられたのではないか?
地元とにはこんな説もあるそうです。


コメント (2)
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