橋本屋吉次郎電子日誌

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桶狭間古戦場公園

2021-03-20 | 愛知県
豊明市にある桶狭間古戦場伝説地を後にして、もうひとつの史蹟である名古屋市緑区の桶狭間古戦場公園に向かいました。



桶狭間古戦場公園
所在地: 名古屋市緑区桶狭間北3丁目
一見、住宅地の中のよくある公園です。


中に入ると多くの案内板が目につきました。







馬つなぎの社松(ねず)
今川義元の馬を繋いだといわれる木がこちらにも残っていました。
しかも、豊明側と同じように枯れています。
なお、触れると熱病に罹るとの伝承があるそうです。


石碑も


案内板もあります。


義元の墓


1933(昭和8)年に建立された墓碑


こちらは建立年不明で、「駿公墓碣」と刻まれています。


今川義元戦死之地の碑
尾張から見れば侵略者ですが、仏様になられたわけですから「公」ぐらいつけてもと思ったりもします。


信長と義元の像
どちらも「公」がつけられています。
こうじゃなくっちゃ。


義元像
海道一の弓取りといわれた義元らしく弓をもっています。
ただ、この場合の弓取りとは武士のことを指しており、弓の名人だったかは疑問です。


信長像
あんまり若そうには見えません。


守護大名であり中世貴族的な雰囲気も持つ義元と下克上によってのし上がり積極的に新しいものを取り入れた信長との交代劇は、まさに近世の曙といっても良いかと思います。


江戸時代中期の儒学者 太田錦城による漢詩
「今、荒れ果てた原野の古墳の前にたたずみ、当時を弔う。
ここで、今川の軍勢は、勝利に酔い、武将たちは驕りたかぶっていたので、どして戦いを全うすることが出来ようか。
折から、怪しい風が吹き出して、一天にわかに掻き曇り、日中であるのに暗くなった。それに乗じて、織田の奇兵が攻め、今川の軍はあたかも天から兵が降ってきたかと驚いて、ついに敗北してしまったのである。」
という意味です。


なんとジオラマAR劇場なるものがありました。
信長、義元双方の足取りをイメージした庭園をまわり、要所に置かれたQRコードをスマホにかざすとその解説映像が見ることができるというものです。
残念ながら、この日に限ってスマホを忘れてきてしまい、試すことはできませんでした。


義元公首洗いの泉
義元の首級をこの泉で洗い清めたと言われています。
1986(昭和61)年の区画整理まで清水が豊富に湧き出ていたそうです。
もともと、このあたりは湧き出る水の勢いで水汲み用の桶がくるくる廻っている様子に興味を誘われた旅人が、桶が廻る間の一服とて「桶廻間(おけはざま)」と呼ぶようになったとの言い伝えがあります。


この付近には他にも合戦のいわれがある史蹟や東海道の古い街並み、有松絞りなどみどころもあり、周辺観光については豊明市側より力を入れているようでした。


史標


桶狭間古戦場公園の西は、高台になっていて「おけはざま山」とよばれていました。
住宅地となった現在でも、見晴らしが良いです。




義元本陣跡の碑は、集合住宅の入り口に置かれていました。

公園に戻ると、整備された方から観光案内所があるからと行くことを勧められました。

350m程離れたところに観光案内所がありました。


桶狭間古戦場観光案内所
所在地: 名古屋市緑区桶狭間巻山2037
電話: 052-755-3593
営業時間: 10:00~16:00
休業日: 無休(年末年始休業)

コメント (2)
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