橋本屋吉次郎電子日誌

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鳥取城(前半)

2011-11-16 | お城巡り(日本100名城)

鳥取城は近世の整備された城郭跡と中世の山城の跡をともにみることのできる
貴重な存在です。

まずは近世の城から
1600(慶長5)年、関ヶ原の戦功により池田長吉が入封すると、さっそく城の大
修築を行いました。
麓から丸の内・三の丸・二の丸・天球丸と階段状に曲輪が配置されています。

丸の内
米蔵や武器蔵・馬場が置かれていました。
大手登城路は、大手橋とその向こうの中ノ御門から始まります。



大手橋の下では発掘調査をしていました。


右手側は鳥取西高校のグラウンドとなっています。


左手は久松公園になっており、脇に駐輪して中をのぞいてみました。

すると突然、白亜の洋館が目に飛び込んできました。

1907(明治40)年、当時の皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)の山陰行啓時の宿
泊施設として建てられた、旧鳥取藩主池田仲博侯爵の別邸「仁風閣」です。

内部は資料が展示されており、見学することができました。

また、この日はここで結婚式披露宴が行われていました。

三の丸
侍屋敷が置かれていました。


太鼓御門
時を告げる太鼓が置かれた櫓門がありました。
 


走櫓
三の丸ただ一つの櫓。
現在は鳥取西高校の体育館が置かれています。

三の丸の大部分は鳥取西高校になっておりました。


二の丸
三の丸から二の丸への登城路は工事通行止めのため、裏門から向かうことにし
ました。

このあたりの石垣の重なりが美しいです。

この近くに石の良い産地があるのだろうかとおもっていると、
城内に石切場がありました。


中仕切門
鳥取城に遺る唯一の建築物です。
明治維新直前に建てられたらしいですが、1975(昭和50)年一度強風で倒壊し
ましたが、復元されたそうです。

裏門跡


右膳の丸跡
1849(嘉永2)年に拡張された部分です。


二の丸跡


御三階櫓
隅櫓ではあるが天守閣に匹敵する大規模なもので鳥取城を象徴する建物でした。


菱櫓
土台も建物も菱形だったためこの名がついています。


天球丸


御風呂屋御門


大菱櫓


天球丸から二の丸を見下ろしました。


天球丸井戸跡



鳥取城から少し離れたところにあった箕浦家武家門


入ってみると県立図書館でした。


おまけ
鳥取県はカレーの消費量が全国一だそうです。
そんなケンミン自慢のカレーを味わってみました。


ベニ屋
鳥取県鳥取市末広温泉町151

カレー専門店&喫茶店といった風情


チキンカツカレー
黒くマイルドなカレーで金沢カレーに似た感じです。


鳥取城は想像以上に立派でしたが、
鳥取藩が因幡国・伯耆国の二国を領有した大藩であること、徳川家の姻戚にあ
たることを考えれば納得できます。

しかし、まだ鳥取城の半分を紹介したに過ぎません。
中世の山城部分は後半へ続きます

コメント (16)
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