高岡城は高岡市街地の中心にあり、高岡大仏から徒歩5分ほどです。
現在は高岡古城公園として市民に愛されています。
本丸の跡です。本丸広場として芝生スペースが設けられ、周囲には彫刻像が置かれていました。
奥にはこの城を築いた瑞龍前田公(前田利長)遺徳碑と
銅像が鎮座しております。
城跡を感じさせるものとしては、放置された石垣と、
復元された井戸ぐらいでしょうか。
本丸の東半分は射水神社となっておりました。
現在の高岡城は広く市民に有効利用されているようで、二の丸跡は市民会館と
護国神社となっており、
三の丸は体育館、明き丸は動物園として使われています。
鍛冶丸跡には高岡市立歴史博物館が置かれていました。
ここで、前田利長公の烏帽子(もちろん復元)をかぶることができます。
ここ博物館は入場無料のうえ、係員が大変親切で、古い石垣の観察スポットも教えていただくことができました。
高岡城の一番の見所は、周囲を巡らす堀だと思います。
お堀巡りの観覧船も出ているようです。
慶長10年(1605年)前田利長は、隠居して富山城にいましたが火災で焼失。
200日の突貫工事で高岡城をつくり移り住んだそうです。
やがて、利長が亡くなり、一国一城令が出されたためわずか6年で廃城になったそうです。
江戸幕府は石垣の取り壊し命令を発しますが、加賀藩は言葉巧みにこれをかわし土塁や水壕を保ち続けたそうです。
復元天守もいいですが、このように市民に利用されている城跡もすばらしいものです。
ところで、先日むにゃあさんから「富山では、越中10万石が加賀百万石に含まれるとは習いません。」とのコメントをいただき、調べてみました。
寛永16年(1639年)、前田利常(利長の弟)が隠居するとき、次男に富山10万石の分封を願い出て許され、富山藩が成立したそうです。