橋本屋吉次郎電子日誌

YAMAHA SR400・マツダ デミオ・ツーリング・城廻りについて・その他

ジェット・スターで北海道へ

2017-09-08 | お城巡り(日本100名城)

いよいよ北海道へ出発する日がやってきました。


余裕を持って搭乗の1時間前にセントレア着
なんでもターミナルビルの工事のため、一部の駐車場が使えなくて混んでいるとか。
この日は夏休み中の日曜日だから少々心配です。
念のため、事前に駐車場の予約をしておきました。
予約金1000円ぼったくられるけどいたしかたありません。

しかし、着いてみるとほとんどすべて「空 」と表示されているじゃないですか。
ただ、予約してあったので、ターミナルビルに一番近いところにとめることができました。


ジェット・スターのカウンター横には自動チェックイン機が設置してありますが、この横を素通りして、保安検査場に直行しました。


搭乗ゲート前までスムーズに来れました。

LCCは機内での飲み物サービスは有料となるので、今のうちに自販機で、買っておきましょう。

その時気づいたのでした。
「財布をクルマの中に忘れた!」
どうしようか。
幸い免許証入れの中にはクレジットカードがあり、旅行は可能です。
しかし、小銭がないと困る事もあるでしょう。
現に自販機の飲み物が買えてません。
しかも、財布は助手席の上に置いてあるので、用心この上ないです。
意を決して、保安検査場を逆に通してもらい、駐車場まで取りに帰りました。
出発前に大汗をかいてしまいましたが、搭乗時間前に戻ることが出来ました。

LCCということで、早めに空港に来たこと、駐車場を近くにとめることができたことが良い方向に働きました。

搭乗口では、スマホのQRコードを読んでもらえばOKです。

飛行機までは、バスで移動します。


階段式のタラップで乗り込みます。


LCCは、座席間が狭いといわれますが、さほど気になりませんでした。
(腹は出ていても、短足だから?)
もっとも、トイレへ行くためには隣の席の人に立ってもらわねばなりませんが・・・

見た目高級そうな座面ですが、薄くて後ろの席の人が脚を組むと背中にあたる感じがします。
また、ポケットはありますが、備え付けのパンフレットに加えてタブレット端末を入れられる程度。


ペットボトルを置くスペースはありません。
もちろん、イヤホンジャックはありませんし、音楽も流れていません。

乗務員の対応は問題なく、離着陸も飛行中もスムースでした。

時間通りに新千歳空港に到着
こちらはボーディング・ブリッジが用意されていました。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

はじめてのLCC

2017-09-06 | お城巡り(日本100名城)

今回は、ジェット・スターというLCCを使って北海道へ行くことにしました。
しかしながら、ワタクシ仕事で飛行機を使う機会もほぼないので、いまでLCCというものを使ったことがありませんでした。

そこで今回、LCCとレガシーキャリアの違いを調べてみました。

1. 航空券の料金
だんぜん、航空券の料金は、LCCのほうがお得です。
ただし、LCC各社は無料で利用できるサービスを減らしていますし、逆にサービスを求めるとその分料金が増えることになります。

2. 運行について
LCC各社は一般航空会社と比較して、予約の変更や払い戻しの手数料が高く、航空券によっては予約の変更ができない、払い戻しに対応していない場合があります。
ただし、一般航空会社であっても、早期予約割引など予約の変更ができない航空券は、変更や払い戻しの条件が厳しくなっているものもあります。
飛行機が欠航になった場合はもちろん料金は返ってきますが、代わりの便の手配は自分でしなければなりません。
また、多くのLCCは、少ない期待でやりくりをしています。
到着した機の乗客を降ろして、すぐ乗せてまた飛び立つという東京駅の新幹線のような体制なので、いったん遅れが生じるとドミノ式に他の便にも影響しかねません。
もっとも今回利用したジェット・スターは定刻通りの出発・到着でした。

3. 機内サービス
一般航空会社は「食事・飲み物」「アメニティ」「映画、音楽などの機内エンターテインメント」が無料で利用できますが、LCC各社では提供していない場合や有料の場合が多いです。
ジェット・スターでは、「食事・飲み物」は有料で、座席にモニターはもちろんイヤホンジャックもありませんでしたが、飲み物は搭乗前に買いましたし、タブレット(機内モードにします)で電子書籍を読んだり、ビデオを見たりして困ることはありませんでした。

4. 座席の広さ
LCC各社の座席は小型機であることと、高密度に席を配置していることから、一般航空会社の飛行機と比べて座席感覚がやや狭いです。
実際使ってみたら、思ったほど窮屈ではありませんでした。
飛行時間が短い国内線ならばこれでも構わないと思いました。

5. 荷物の重量やサイズ
荷物は重量による課金方式を取っていることがほとんどです。
今回利用したジェット・スターの場合(エコノミークラス)、キャリーケースなどの手荷物1個とハンドバッグなどの手回り品1個の計2個、計7kgまでは無料ですが、それ以上は受託手荷物となり別料金が発生します。
JALやANAは、10kgまで機内に持ち込めますので、それと比べて少ないですが、カウンターや搭乗口で特にチェックはありませんでした。

6. チェックインカウンターの場所
一般航空会社のカウンターは、空港ターミナルの中央にあり、カウンターの数も複数あります。LCC各社はターミナルの端にあることが多く、カウンターも少ないため、チェックインの時間が一般航空会社に比べて長くなってしまいがちといわれています。
たしかに今回利用した中部国際空港でも新千歳空港でも一番端にカウンターが置かれていました。
しかし、チェックインは事前にモバイルチェックインを行ったので、空港カウンターでの手続きはありませんでした。

モバイルチェックインはあらかじめジェット・スターのアプリを入れておくと、

出発48時間前から、チェックインできる画面が表示されます。

画面上から指示された操作を行えば、チャックインは終了します。

すると搭乗券をスマホ画面に表示することが出来ます。(あるいは、プリントアウトすることができます。)
機内預け荷物がなければ、当日、チャックインカウンターに寄ることもなく、直接保安検査を受けることが出来ます。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北海道へ

2017-09-04 | お城巡り(日本100名城)

日本百名城スタンプラリーも、残すところ北海道の3城となりました。

ゴールが見えてきて、俄然やる気が湧いてきたのですが・・・
その前には高いハードルが立ちはだかります。

ひとつは北海道へのアクセスです。
バイクorクルマを走って行くのは、体力的にも日数的にも論外です。
フェリーで行けば楽なのですが、名古屋から片道2日、往復で4日もかかります。
航空機で行けば、1時間20分ほどですが、旅費が半端なく上がってしましいます。

もうひとつの問題は、北海道の3城が離れているということです。
根室半島チャシ跡群は道東の端にあり、松前城と五稜郭は道南の端です。


その間は736kmも離れています。
クルマやバイクだと移動だけで1日かかりますし、飛行機を使えば旅費が大きくかさんでしまいます。

つまり、残り3城を制覇するには充分な時間と軍資金が必要なのです。
どうしたものか・・・

悩んでいたところ、ひらめきました。
LCCの利用です。

これをもちいれば、北海道まで2時間弱でいけます。
それでいて航空運賃はレガシー・キャリアの、半分以下で済みます。

熟慮の結果、北海道遠征を2回に分けて行うことにしました。
1回目は、根室半島チャシ群跡
こちらはこれから寒くなると段々厳しくなるので、ぜひとも夏のうちに行きたいです。

そして2回目は、松前城と五稜郭
こちらは気候的にも、空港からの距離的にも余裕があるので、秋ぐらいにも休みが取れたら電撃的に行ってみたいと思っています。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

飫肥城

2017-08-20 | お城巡り(日本100名城)

桜島から、クルマで2時間半ほど、宮崎県の飫肥にやってきました。

広い観光駐車場(無料)が用意されています。

大手門に向かって歩きました。

1978(昭和53)年に復元された大手門

大手門両側の空堀

大手門をくぐって進みます。

御殿を模した歴史資料館

飫肥城歴史資料館
所在地: 宮崎県日南市飫肥10丁目1−2
開館時間: 9:00~17:00
休館日: 12/29~12/31
入館料は、大人 200円(高大生 150円,小中生 100円)ですが、
近くにある有料施設7ヵ所すべてに入館できる全施設フリーチケットも用意されて、こちらは大人 610円(高大生460 円,小中生360 円)となります。
ラッキーなことに訪れた日は無料開放日になっていたようで、すべての施設を無料で見て回ることが出来ました。
なお、日本百名城のスタンプは入口で押すことが出来ます。

戦国時代、飫肥城をめぐって、、島津氏と伊東氏の二大勢力は争いを続けました。
最終的には、伊東氏が羽柴秀吉に仕え九州平定に参加し、九州平定軍の先導役を務め上げた功績により飫肥の地を取り戻し、関ヶ原の戦いにおいては九州では数少ない東軍側として働くなど巧みに立ち回り、廃藩置県で飫肥藩が廃止されるまで一貫して飫肥の地で家名を全うしました。

本丸跡は小学校になっています。

隅櫓があった場所に鐘楼が建っています。



しあわせ杉
4本の杉の木を結んだ四角形の対角線の中心に立つと幸せのパワーがもらえるそうです。


七代目日南市長だそうです。


少し高いところにある松尾丸

高級武士の武家屋敷が再建されています。


記念写真を撮ることも出来ます。


旧本丸へ
飫肥城の本丸は、かつて現在よりも高い位置にありました。
大地震で被災したことを期に、1684(貞享3)年から改修され、現在の小学校のある位置に本丸は移転したそうです。


南側の門の跡


本丸跡


北側の城門は再建されています。


城下町も見て回りました。



豫章館
明治維新後、藩主の伊藤家が移り住んだ屋敷です。

山を借景にして広がって見えます。


伊東祐正家
藩主の分家である、伊東祐正によって居館として築かれました。
現在残っている建物は明治維新後に発生した火災後に建てられた物ですが、江戸時代の武家屋敷の様式を良く残しているそうです。
当初は茅葺きでしたが、現在は改造により瓦葺きになっており、建物の規模も縮小されています。


国際交流センター「小村記念館」
小村寿太郎は、明治の外務大臣で、日英同盟の締結,ポーツマス条約の調印,関税自主権の回復とその偉業は多々あります。


一般の住宅ですが、どことなく武家屋敷の雰囲気が残っています。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鹿児島城

2017-08-17 | お城巡り(日本100名城)

南九州城めぐり二日目、指宿のホテルで朝食を済ませ、鹿児島市までやってきました。

鹿児島城は、1601(慶長6)年に島津忠恒(家久)により築城され、以後廃藩置県まで島津氏の居城でした。
地元では、別名の鶴丸城でよばれることが多いようです。

現在は本丸跡は、鹿児島県歴史資料センター黎明館となっています。

鹿児島県歴史資料センター黎明館
所在地: 鹿児島県鹿児島市城山町7番2号
開館時間: 9:00~18:00(入館は17:30まで)
定休日: 月曜日(祝祭日の場合は翌日),25日(土日、祝祭日の場合は開館),12/31~1/2
入館料(常設展示): 一般 300円,高校・大学生 190円,小・中学生 120円

なお、駐車場は無料でしたが、受付でスタンプを押してもらう必要がありました。
夏休み中の土曜日であることに加えて、「大ゴジラ特撮王国」展なんて企画展が行われていたものですから、けっこう混んでいました。

また、日本百名城のスタンプも受付で押すことが出来ます。


黎明館内に展示されている、鹿児島城の模型
見ての通り、石垣や門はあるが、櫓も天守閣もありません。

これは江戸幕府に対する恭順の意味があったとされる。
また、裏山である城山を籠城のための「後詰めの城」としていたとも、薩摩独特の外城制(どじょうせい)があったためともいわれています。

外城制は、領内各地の城砦に半農半士の武士の集団が駐屯・居住し、有事に領主・地頭の命令で戦闘員となる役割を担っていました。
戦国末期からは、複数の城砦に拠っていた形態から、区域内の中心的城砦の山麓の麓(ふもと)集落と呼ばれるミニ城下町へ集住する形態へ移行しました。

出水外城の模型

篤姫像

発掘調査を行っているようでした。

北側の堀

城山へ登ってみました。

登り初めてすぐ、薩摩義士碑がありました。

薩摩義士とは、
愛知県、岐阜県、三重県にまたがる濃尾平野は木曽川、長良川、揖斐川が合流しており、かつてはたびたび水害をおこしていました。
1753(宝暦3)年、薩摩藩は江戸幕府に木曽川の治水工事を命じられ、約1,000名を濃尾平野に派遣しました。
工事は難航。幕府役人の横暴や疫病の発生によって病死する者、ついには自ら命を絶つ者が続出。
完成までの1年3ケ月の間に84名もの方が犠牲となりました。
また、総奉行を努めた家老・平田靫負は責任をとって自刃。
しかし、そのお陰で水害に遭うこともなく、我々尾張西部に住む者にとっては忘れてはならない大恩人なのです。


遊歩道を進みます。
樹木に覆われてほとんど直射日光を浴びなくて良かったのはこの季節幸いでした。


20分ほどで展望台に到着
正面に桜島が見える・・・・・・・・はずだったのですが、あいにく霞んでよくわかりません。


徒歩で登ってきましたが、駐車場が整備され車でも来られたようです。
ちょっとショック!

城山を降りてきました。


照國神社(てるくにじんじゃ)
祭神は照国大明神、すなわち第11代藩主の島津斉彬。


島津久光像

二の丸跡にある


西郷隆盛像


鹿児島市立美術館


鹿児島市の道路元標
「距鹿児島県庁弐丁弐拾九間」と刻まれています。


鹿児島県立図書館

石垣と堀が同時の名残りを残しています。

道路を挟んだ向かいには、趣深い建物が見られます。
このあたりは、第二次大戦の被害を避けることができたそうです。


本丸が見えてきました。

堀の中は蓮でいっぱいです。


本丸正面


現在、大手門にあたる御楼門の復原が検討されています。

かつて、本丸には旧第七高等学校がおかれていました。
その当時の正門

七高生の像



次の目的地の宮崎県飫肥城に向かうため、フェリー乗り場へやってきました。
高速道路で迂回コースを選んでも、時間的には変わらないので、観光を兼ねて桜島を通る一般道コースを選択しました。

フェリーの所要時間は15分ほどです。

桜島が見えてきました。

事前に桜島でのランチを調べておいたのですが、これといったものを探すことはできませんでした。
(現地へ行って気がついたのですが、そもそも飲食店が少ないです。)

そんなこともあり、あまり期待せず、道の駅「桜島」のレストランへ、
季節限定という「カンパチ丼」をいただきましたが、これがあたりでした。

どんぶりに見える緑色の小さな塊はわさびではなく、アボカドで良いアクセントとなっています。

お腹を満たしたところで再び飫肥に向かって、山道を進めたのでした。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人吉城

2017-08-11 | お城巡り(日本100名城)

人吉は鎌倉時代に相良氏が地頭として人吉荘に赴任して以来、35代670年の長きにわたり治め、江戸時代には人吉藩の藩庁がおかれました。

人吉城は、1198(建久9)年、相良長頼が築城したと伝えられています。
当時は山城でしたが、1589(天正17)年、相良長毎が大改修を開始、1601(慶長6)年に
本丸、二の丸などの詰の城部分や御館部分を竣工、寛永年間(1624~1644)に石垣が完成し、現在の平山城に変わりました。

球磨川の胸川が交わるところに築かれており、両川を堀代わりにしています。


大手門跡


多聞櫓
大手門に続いて胸川沿いに建てられています。


角櫓
城跡の北西角すなわち胸川と球磨川の交差点に置かれていました。

まずは歴史館で予習をします。


人吉城歴史館
所在地: 熊本県人吉市麓町18番4
開館時間: 9:00から17:00(入館時間は16:45まで)
休館日: 第2月曜日(祝日の場合は翌日),12/29~1/3
観覧料: 一般 200円,高校生以下 無料

入口で、日本百名城のスタンプを押すことが出来ます。

こちらでは、中世から明治初期まで相良氏の歴史資料の展示紹介されていますが、それだけではありません。
全国的にも珍しい地下室遺構が見られるのです。

そもそもこの歴史館は、家老であった相良清兵衛の屋敷の跡に建てられています。
その遺構から、地下室が発見され復原・公開されているのです。

係員にお願いして入れてもらいました。
石階段を降りた先には、結構広い空間があります。
また、かなり大きな井戸が設けられています。

相良家に関する古文書等に記録として残っておらず、造られた目的、どのように使われたかは不明ですが、資料館の方によると祭事用に使われたのではないかとのことですが・・・。


後口馬場
道幅10mの立派なものです。

人吉城内には駐車場がいくつか設けられています。
まずは歴史館隣に駐めてここまで見た後、相良神社隣に駐車場に移動してさらに見学を続けました。


御津賀社跡
初代当主の相良長頼は、人吉を治めていた平家の代官矢瀬主馬祐を倒しましたが、、御津賀社は主馬祐の母・お津賀の霊の祟りを沈めるために建てられたといわれています。


後方に三の丸、一段高いところに二の丸、さらに高いところに本丸と段々に構えられています。


三の丸跡


二の丸を囲む石垣
良い感じです。

二の丸の入口である中御門


二ノ丸
かつては、6棟の建物から成る二ノ丸御殿が建っていたそうです。

さらに、石段を登って本丸へ


本丸
護摩堂や御先祖堂,山伏番所など幾つかの建物があったそうです。

球磨川に向かって降りると、御下門が見えてきました。


正面から見た、御下門


目の前に広がる球磨川
天然の堀であると同時に輸送路でもあったのでしょうね。


武者返しを備えた石垣
1862(文久2)年の火災で焼失した後、西洋のはね出し工法という構造を用いて再建されました。
防火目的に加え、石垣を登ってきた敵が居たら上の板状の石材を落とすという防衛目的の要素もあるそうですが、たいへん珍しいつくりで、他には品川台場、五稜郭、龍岡城ぐらいしか見られないそうです。


堀合門
城主の住む御館の北側の入口です。


跳ね出し石垣の裏側

御館跡は相良神社になっています。


南側の出入口にある御館御門橋は、1766(明治3)年に作られたものです。


人吉城に続いて、クルマで5分ほどのところにある青井阿蘇神社に参拝しました。


鳥居前には池があり、大きな蓮の葉でいっぱいでした。
そこにかかる真っ赤な橋が美しいです。


鳥居


楼門[国宝]
楼門を含めこの神社の建物は茅葺屋根の独特の様式です。


拝殿[国宝]


本殿


青井大神宮

ご神木



人吉の町は山の中ですが、なかなか趣がありゆっくり見て回りたいと思いました。
今回は時間が限られているので、このあと鹿児島へ移動しましたが、いつか機会があれば、再訪したいと思います。
そのときには、熊焼酎片手に鰻もいただきたいものです。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

津和野城

2017-04-23 | お城巡り(日本100名城)

朝寝覚めると、萩はすでに雨でした。
 

本日の目的地である津和野城は萩からクルマで1時間ほどですが、山脈を越えた島根県にあるのでひょっとしたら降ってないかもと期待するも・・・なんと本降りでした。

山城ですので、傘だけではもたないと思い、急遽コンビニでレインコートを購入しました。
 

まずは、島根県立津和野高等学校へ向かいます。
かつてここには、藩主亀井家の藩邸がありました。
大部分は、高校の敷地になってしまいましたが、庭園の跡が残されています。
 


物見櫓
藩主が祭礼等の催し物を見物した建物


馬場先櫓
藩邸にあったものだというが江戸時代後期のものらしいです。

さて、いよいよ登城します。
クルマで数分山道を登ったところにリフト乗り場があります。


津和野城跡観光リフト
所在地: 島根県鹿足郡津和野町後田
営業時間: 9:00~16:30
定休日: 12/1~2月末 但し土日祝を除く、臨時休業あり
料金(往復):中学生以上450円,小学生以下400円

道を挟んで駐車場が設けられています。
 

乗り場に隣接したリフト茶屋で日本百名城スタンプを押し、係員と運行開始時刻まで話しをしました。
雨天でしたが、9時ちょうどに運行開始。
リフトも城跡も私しかいません。貸し切りです。


リフト降り場には杖が用意してありましたが、片手は傘、もう一方の手はカメラを持っているため使えません。


熊よけの鈴も持参しました。


このような山道を進みます。
濡れた石や木の根はたいへん滑りやすいくなっているうえ、、一歩踏み外すと谷に滑落する恐れがあるので、小さな歩幅でペンギンのように歩きました。


堀切


まずは出丸の方に行ってみました。


坂道を登ると出丸の石垣が見えてきました。


出丸に到着しました。


天空の城状態です。


次に本丸に向かいます。
部分的に歩道が設けられており、本来は楽なんでしょうが、脚をすべらせるのが怖いためここでもベンギン歩きで進みます。

開けた場所に出てきました。
 

本丸の入り口の下に当たる場所のようです。
 

津和野城の歴史は鎌倉時代までさかのぼります。
1295(永仁3)年、吉見頼行により築城を開始。
以降、津和野城は吉見氏14代の居城となりました。
関ヶ原の戦いにおいて西軍が敗れと吉見氏も津和野を退去して萩に移住し、代わって坂崎直盛が3万石(後に加増され4万3468石)で入城し、石垣を多用した近世城郭へと大改修を行した。
しかし、坂崎氏は改易となり、1617(元和3)年、因幡国鹿野藩より亀井政矩が4万3千石で入城。以後、明治維新まで11代にわたり亀井氏の居城となりました。


さらに山道を登ります。

石垣が見えてきました。
 


東門の跡
大手門として機能していました。


三段櫓跡


西櫓門跡


天守台


天守台から見た馬立・台所
左に見えるのが馬立、馬をつなぎ止める場所です。
奥が台所でした。

天守の上方にある太鼓丸
 
 

さらにその上に三十間台がそびえ立ちます。
 
 
 

津和野城は、天守よりも高い位置に本丸にあたる三十間台が築かれています。

三十間台から見た人質櫓(手前)、三の丸(後方)
 

三の丸に降りてみてようやく他の見学者と会うことができました。
 

南門櫓
 

小雨になり、ガスも晴れてきました。
 

三の丸から見上げた人質櫓
 

リフト乗り場に戻ってきました。
 


けっこうな急坂です。
登山道もありますが、雨天のためリフトを選びました。
(きっと、晴れていても使ったと思うますが・・・)
一周見て回るのに1時間20分かかりました。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

萩城

2017-04-16 | お城巡り(日本100名城)

自転車で萩城に向かいました。


生活用水路にしか見えませんが、これも萩城の堀の跡です。
萩城は三角州の先端に位置していますので、開削して海水を流し込めば、比較的簡単に堀ができ、幾重もの堀に囲まれています。


萩八景遊覧船の乗り場
海に囲まれ、水路が発達している萩を観光船で見て回るのも面白いかと思います。


毛利輝元公像
豊臣政権五大老の一人であり、関ヶ原の戦いでは西軍の総大将として擁立された。
長州藩の藩祖です。


二の丸南門です。


本丸が見えてきました。
萩城の本丸・二の丸は平坦な三角州上にあり、平城であるが、
後方に見える指月(しづき)山頂には詰丸が築かれており山城でもあります。


天守台


城内は自転車で移動できます。
ここでも、レンタサイクルが大活躍

萩城跡指月公園
所在地: 萩市堀内1-1
開園時間: 【4~10月】8:00~18:30,【11~2月】8:30~16:30,【3月】8:30~18:00休園日: 無休
料金(旧厚狭毛利家萩屋敷長屋共通): 大人 210円,小中学生 100円
ここで、日本百名城スタンプを押すことがとができます。

天守台に登ってみました。
 

本丸門付近の様子
 

詰丸のある指月山
 

さあて、ここに登ろうとすると・・・


やる気を失わせるような表示が・・・
たしかに、ほぼほぼ登山になるので、それ相応の靴や服装をしている必要はあると思います。
ちなみに、私は山頂まで18分で到達しました。


重建大祖神廟記の碑
かつて、このあたりに萩城鎮守の社として仰徳神社が置かれ、毛利氏の始祖天穂日命(あめのほひのみこと)と元就・隆元・輝元・初代藩主秀就が祀られていました。
現在では、志都岐山神社の隣に祀られています。

この碑はまだまだ序の口で、山頂へは山道をさらに登っていかなければいけません。
 


ようやく石垣が見えてきました。


詰丸矢倉門跡


あ~あ、せっかくの文化財を理解できない輩達が・・・
悔い改めよ!

鉄則どおり、枡形となっています。
 

山城の部分(詰丸)には、本丸と二の丸の2つの郭がありました。
 

上段が本丸です。
 

本丸の様子
 

中心部に巨石があり、加工の跡が見られた。
おそらく、小さく分解して取り除こうとしたのではないでしょうか。
 

下へも掘り下げていったが、ことのほか地中部分が大きく、あきらめて、貯水池として利用していたと推理しました。
 


山を降り、平城本丸にもどってきました。


花江茶亭
藩主の別邸にあった茶室を明治20年頃移築したもの。
幕末の頃、13代藩主毛利敬親が茶事にことよせて、家臣とともに国事の密議をこらした場所で有名だそうです。


萩城址碑
長州藩最後の藩主であった毛利元徳の長男である元昭氏によって、1919(大正8)年に建てられました。
萩城の来歴が記されています。


志都岐山神社


右側の狛犬の奥にある桜


ここでしか見られない桜「ミドリヨシノ」です。


純白の花と緑色のガクが特徴で、遠目に見ると淡い緑色に見える珍しい桜です。ソメイヨシノに似ていますが、ガクが緑色であることからミドリヨシノと名付けられました。




志都岐山神社の本殿
祭神は、毛利元就・毛利隆元・毛利輝元・毛利敬親・毛利元徳の5柱です。


井戸

よくみると、群馬県令従五位香楫取素彦とあります。
 


東園(とうえん)跡
二の丸にあった回遊式庭園です。


櫓の跡


銃眼土塀
海側からの防御用につくられています。


土塀の外側には浜が広がっています。
かつて、ここにはキャンプ場があり、利用したことがあります。
標高が高くないので、蒸し暑く。
バカ者共が花火をやって騒ぎ、その後怪談話を始める始末。
テント泊なので、聞こえてきてしまい、たいへん寝づらかった思い出があります。


けっきょく、閉鎖されちゃったのですね。


潮入門跡

萩城は海に面した海城でもあるのですね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久々の名古屋城

2017-03-09 | お城巡り(日本100名城)



久しぶりに名古屋城へやってきました。
正門
 

西南隅櫓
 

東南隅櫓
 

表二之門
 

表一之門跡
 

今回訪れた目的の一つは本丸御殿を見学することです。
 

かつて、名古屋城には二条城に匹敵するほどの立派な本丸御殿がありましたが、第二次世界大戦の空襲で失われてしまいました。
しかし、2009(平成21)年より、復元工事が始まり、現在、玄関と表書院、対面所、下御膳所を公開しています。
なお、2017年(平成29)度には、工事完了。2018年(平成30年)度全体公開を予定になっています。

時間を限定して復元工事の様子を見学できます。
見学希望者はヘルメットを着用します。
 

ガラス越しに工事の様子を見ることができました。
 
 

次に、すでに復元・公開されている場所を見学しました。
まずは、玄関
ここは虎の間とも呼ばれた本丸御殿の正式な入り口です。
藩主に謁見する者が控える場でもありました。
一之間の襖絵
 

本丸御殿は空襲により焼失しましたが、襖絵は疎開していて無事でした。
それを丹念に模写したものが公開されています。
その鮮やかさは息をのむものがあります。

表書院
藩主と家臣などの正規の謁見に使用されました。
江戸時代には大広間と呼ばれ、上段之間から一之間・二之間・三之間・納戸之間にいたる広大な建築でした。
表書院三之間
 

表書院二之間
 

表書院上段之間
 

対面所
藩主と身内などの内々の対面・宴席の場として使用されていました。
対面所次之間
 

対面所上段之間
 

下御膳所
長囲炉裏が備えられており、料理の配膳や温め直しの建物と考えられています。
 

なお、上台所はミュージアムショップとなっています。
 


天守閣です。
小天守(左)とつながった連立型です。

 
 

やっぱり名古屋城と言えば金鯱ですね。
 

今、名古屋市では天守閣を木造で再建しようという計画があがっています。
事の起こりは河村市長による提案です。
「尾張名古屋は城でもつ」と言うぐらいですから、目立った反対意見はないようですが・・・
問題は予算です。
そもそも、名古屋城天守閣は姫路城のそれを越える巨大建造物で、天下普請すなわち国家プロジェクトでつくられています。
それを担うほどの財政的余裕は今の名古屋市にはないのです。
「木造再建は反対じゃないけど財政的に余裕ができてから」というのが大方の意見でしょうか。
ところが河村サン、「2020年の東京オリンピックに間に合わせる」なんて無理なことを言って、これを否定されると、


こんな嫌がらせを掲げてしまいました。
もっとも、その数日後、市長は、年越しで名古屋城を公開し、天守閣から初日の出をみようなんて発案されております。

天守閣内部にはエレベーターが用意されています。
 

本日、第二の目的は天守閣二階で行われているスター・ウォーズ展です。
こちらは撮影禁止だったので省略しますが、スター・ウォーズファンの私にはたまらないものでありました。
 

東一之門跡
 


清正石
加藤清正が積み上げたとされています。

 


旧二之丸東門
もともとは二の丸東側にあったのですが、愛知県体育館の建設に伴い移築されました。

二の丸庭園
 

城は巨大になりすぎるとかえって警備上の盲点が出てしまうのではないかと思っていましたが、なかなか手の込んだ堀・石垣で守られています。
 
 

本丸北西にある御深井(おふけ)丸には、本丸御殿の木材加工工場が建っていました。
 

こちらも作業の様子を見ることができます。
 


西北隅櫓
名古屋城を訪れたならば、是非と寄りたいのがここです。
数少ない現存建築物の一つです。
櫓ではありますが、その規模は宇和島城天守を上回ります。1611(慶長16)年に清須城天守または小天守を移築したものと伝えられており、清洲櫓とも呼ばれています。


乃木倉庫
明治初期に建てられた旧日本陸軍の弾薬庫です。
乃木希典が名古屋鎮台に在任中に建てられたので、いつしかこうよばれています。
名古屋城が空襲に遭う直前に、本丸御殿の障壁画などがここに収められました。
そのため焼失を免れ、模写ではありますが今でも鑑賞することができるのです。


梅の花が咲き始めたある春の1日でした。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高知城

2017-02-05 | お城巡り(日本100名城)

愛媛・高知の城廻りの旅3日目です。
高知市内のホテルを出発し、朝9時前に高知城のある高知公園駐車場に駐車しました。
駐車料金は、1時間まで360円、30分延長毎100円です。

あいにく、未明から降り出した雨は、本降りになってしまいました。
 

関ヶ原戦の功績により徳川家康から土佐一国を拝領した山内一豊は、1601(慶長6)年、高知城を築き始めました。

おりからの雨で一豊公も泣いています。
 

いきなり、高知城のベストショットです。
追手門ごしに天守が見えます。
 

板垣退助氏も泣いています。
 


高知城の石垣には多数の石樋(いしどい)が設けられています。
石樋は排水設備のひとつで、城内の水を外に流すためにつくられています。
また、その際に石垣に直接当たらないようにするため(直接石垣にそって流すと地盤がゆるんで崩壊を促進してしまうため)、少し突き出た形状になっています。
雨量の多い高知城ならではの特徴です。
活躍する姿が見えて良かった?

側溝も活躍しています。
 

石垣の様子
 


杖も用意されていますが、さほど上り下りはたいへんではありませんでした。

三の丸鉄門跡
 
 


詰門
階上は登城した武士の詰め所になっています。


三の丸


天守が身近に見えてきました。
しかし、ここからも紆余曲折しなければいけないのは他の城と同じです。


二の丸


二の丸から詰門を通って本丸へ


本丸から見た西多聞櫓


天守と懐徳館(本丸御殿)
現存天守であるだけでなく、御殿をはじめ本丸の建物がすべて残っているのは高知城だけです。
開館時間:9:00~17:00
休館日:12/26~1/1
利用料:18歳以上 420円,18歳未満 無料
入場券売り場で日本百名城スタンプを押印することができます。


本丸御殿正殿上段の間
お殿様が座る場所ですね。
左に見える襖は武者溜といって警護の者が詰めています。いざというときはここから飛び出してくるのです。

なんと、高知城では武者溜の裏側が見られるのです。
裏側まで見られるのは私の知る限りではここだけです。
 

天守最上階からの眺め
北側
 


日の丸が掲げてある広場が二の丸
本丸への通路でもある詰門と多聞櫓も見えます。
手前に見える高欄(手すり)は高知城独特のものです。

三の丸
 


東側
右手前に大手門が見えます。


南側


鉄砲狭間はGun Portsと訳されていますね。


本丸黒鉄門


鐘楼
時を告げるために太鼓櫓がおかれている城はよく見かけますが、鐘楼はめずらしいです。

ここにも石樋があります。

 

武者返しもあります。
 

帰路は山内一豊の妻がお見送りくださいました。
 


高知県立高知城歴史博物館
平成29年3月4日開館予定です。

開館後にまた訪れてみたいです。
ひろめ市場で飲みたいし・・・(昨夜は土曜ということもあり満席でした)

このあと、桂浜の坂本龍馬記念館に向かいました。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする