4月25日、何かあったかな。
昭和生まれだが、昭和の時代は、西暦をある年齢から使うようになって、それでも昭和何年の出来事か、と
いう場合、特に計算でつまずくこともなかったと思う。
昭和の20年、私はこの世にいなかったが、この年が西暦で1945年だというのはなぜかしら、いや何故は
わかっているが、忘れることも出来ないし、単純に下二桁の計算で20(25です)足すか引くか。そうゆうことをやって
いたと思う。この昭和の20年のある時間以降、何かが変わった。その前から変わっていたが。
いやその前こそ、危機的な変化があったようで、でもその時期のことについて調べたりということは
やっていない。これは生まれてからいままでずっと。別に大仰にいうことなく、単純に、暗黒の時代が
あったというだけだが。この印象は昔から強い。
それで、足すこと10年で、昭和は30年となって、これにさらに10を加えると、40年になって、西暦だと
1965年になるが、この戦後の20年間というのも、何があったのだろうか、ということを詳しく調べる
ことはなかった。それでも戦前、戦後、大きな変化でもあるけど、「戦後のどさくさ」、ということはよく聞く。
それよりも、もちろん占領がとかれた、あるいは列島の国、日本が一つの独立国に戻ったという特記すべき
出来事がまずはあったのだが、このときどうゆう経緯があったかというのは、昭和史の後半の、あるブックレットで
結構まじめに読んだ気がする。
でもこれがもう、10年いや20年も前の出来事でもある。つまり、あんまりもう頭のほうがうまく働かない時間でも
あってそれゆえしかし読んだということもできる。が、またいまそれを一冊一冊繰り返し読み直せるか、というと
これが出来そうにない。そのブックレット、たしか昭和の57年くらいで終わっていたような気がするから
戦後70年という時間を考えると、それからまたかなりの時間がたっているわけ。
この長いようで短い時間で、一体に何がどのように変化したのか、どうゆう重要な出来事があったのか、それはすぐに
頭の中で再生が出来ない。いまの時代になって、かなり辛い出来事である。
つまりその間の出来事をしっかりとつかんでいるか、それとも何にもわからないか。もともと、それほど時代の出来事とか
政治の変化にも興味もなかったものだから。もちろん、戦後は日本の出来事で、そうでないところで、すぐにまた戦争は
起きている。この程度のことはわかるが、それ以上のことがなかなかなのだな。
ぼんやりとした、暖かいので、頭で考えていて、まー自分で書いていても、なさけないような中身だが。
この思い、一つはもちろん、新聞を最近は、特に小さい文字で書かれているところも見るようにしていることに
原因がある。またPR誌に、去年、今年もあるのかな、『朝日新聞』の、記事取消し問題、謝罪問題、が。
いや取り消すような間違いはない、という話もある記事では見てはいるが。
加えての、他のマスコミ、政治家、評論家の皆さんの異常とも思える、朝日叩き。これに
ついての「再検証」見たいのが出ていたこともある。それくらいに、いまがおかしい。
もう一つあげるといえば、これはもう「集団的自衛権」に尽きると思うのだけど、この集団的自衛権というのも
はっきり言ってよくわからないが、これを具体的な法律にしてとなる作業がすごいスピードで行なわれる。
自衛に関係なく、個別に対して集団。で、中身は大違い。公明党さんが、もう少しでもここがだめというのを
いってくれるなら、独裁政権でもないような気もするが。よく知らないことをあんまり書く事も出来ないが
やっぱり「ザル」らしい。
一応ここまで書いて、今日は止める。どの程度のことが書けるか、考えてやっているわけでなく、さてどうするか
サイコロ転がしているので、これ以上のことは止めた方がいいと思う。が、いずれにしろいい結果に結びつきそうで
ないというのはたしかなんだな。それにしても、と思わざるを得ないが、とんでもないことになる、という気持ちは
変わらない。
何しろ連休である。お休み、しかし皆さんお仕事が忙しい。
今日は晴れてはいるが、どうゆわけか視界がない。先が見えない。どんよりとした晴れである。
水蒸気も少ないのだが、西のほうも東の立山連峰も見えない。
こんな何にも見えないところに棲んでいるというのは、それだけ空気が汚れているということ、ここもね。
で、まずは白い雲である。こんな空はなかなか現われない。白い雲もすがすがしく、また形は異形でもありながら
好ましい。ここに政治的な意味はなく、しかし温暖化の何かが現われているのかな。
きのう24日の夕日、お日様は丸く写った。
その一。白い雲もきれいだが、青空、それにうっすら小さく立山連峰、同じ色。
その二。東の方向である。
その三。南の空に、好ましい雲が現われた。この雲も形を変える。
その四。
その五。透明感がある。
その六。
その七。
その八。現われる雲に、気持ちも高揚。
で、24日の夕日は赤かった。丸い太陽。
その九。
その十。
それにしても、この先どうなるか、かき回されるのはなぜか。新聞とか、TVとかで見ていて、観ていて、
看ていて、同じように踊るのだけは止めたいが。
昭和生まれだが、昭和の時代は、西暦をある年齢から使うようになって、それでも昭和何年の出来事か、と
いう場合、特に計算でつまずくこともなかったと思う。
昭和の20年、私はこの世にいなかったが、この年が西暦で1945年だというのはなぜかしら、いや何故は
わかっているが、忘れることも出来ないし、単純に下二桁の計算で20(25です)足すか引くか。そうゆうことをやって
いたと思う。この昭和の20年のある時間以降、何かが変わった。その前から変わっていたが。
いやその前こそ、危機的な変化があったようで、でもその時期のことについて調べたりということは
やっていない。これは生まれてからいままでずっと。別に大仰にいうことなく、単純に、暗黒の時代が
あったというだけだが。この印象は昔から強い。
それで、足すこと10年で、昭和は30年となって、これにさらに10を加えると、40年になって、西暦だと
1965年になるが、この戦後の20年間というのも、何があったのだろうか、ということを詳しく調べる
ことはなかった。それでも戦前、戦後、大きな変化でもあるけど、「戦後のどさくさ」、ということはよく聞く。
それよりも、もちろん占領がとかれた、あるいは列島の国、日本が一つの独立国に戻ったという特記すべき
出来事がまずはあったのだが、このときどうゆう経緯があったかというのは、昭和史の後半の、あるブックレットで
結構まじめに読んだ気がする。
でもこれがもう、10年いや20年も前の出来事でもある。つまり、あんまりもう頭のほうがうまく働かない時間でも
あってそれゆえしかし読んだということもできる。が、またいまそれを一冊一冊繰り返し読み直せるか、というと
これが出来そうにない。そのブックレット、たしか昭和の57年くらいで終わっていたような気がするから
戦後70年という時間を考えると、それからまたかなりの時間がたっているわけ。
この長いようで短い時間で、一体に何がどのように変化したのか、どうゆう重要な出来事があったのか、それはすぐに
頭の中で再生が出来ない。いまの時代になって、かなり辛い出来事である。
つまりその間の出来事をしっかりとつかんでいるか、それとも何にもわからないか。もともと、それほど時代の出来事とか
政治の変化にも興味もなかったものだから。もちろん、戦後は日本の出来事で、そうでないところで、すぐにまた戦争は
起きている。この程度のことはわかるが、それ以上のことがなかなかなのだな。
ぼんやりとした、暖かいので、頭で考えていて、まー自分で書いていても、なさけないような中身だが。
この思い、一つはもちろん、新聞を最近は、特に小さい文字で書かれているところも見るようにしていることに
原因がある。またPR誌に、去年、今年もあるのかな、『朝日新聞』の、記事取消し問題、謝罪問題、が。
いや取り消すような間違いはない、という話もある記事では見てはいるが。
加えての、他のマスコミ、政治家、評論家の皆さんの異常とも思える、朝日叩き。これに
ついての「再検証」見たいのが出ていたこともある。それくらいに、いまがおかしい。
もう一つあげるといえば、これはもう「集団的自衛権」に尽きると思うのだけど、この集団的自衛権というのも
はっきり言ってよくわからないが、これを具体的な法律にしてとなる作業がすごいスピードで行なわれる。
自衛に関係なく、個別に対して集団。で、中身は大違い。公明党さんが、もう少しでもここがだめというのを
いってくれるなら、独裁政権でもないような気もするが。よく知らないことをあんまり書く事も出来ないが
やっぱり「ザル」らしい。
一応ここまで書いて、今日は止める。どの程度のことが書けるか、考えてやっているわけでなく、さてどうするか
サイコロ転がしているので、これ以上のことは止めた方がいいと思う。が、いずれにしろいい結果に結びつきそうで
ないというのはたしかなんだな。それにしても、と思わざるを得ないが、とんでもないことになる、という気持ちは
変わらない。
何しろ連休である。お休み、しかし皆さんお仕事が忙しい。
今日は晴れてはいるが、どうゆわけか視界がない。先が見えない。どんよりとした晴れである。
水蒸気も少ないのだが、西のほうも東の立山連峰も見えない。
こんな何にも見えないところに棲んでいるというのは、それだけ空気が汚れているということ、ここもね。
で、まずは白い雲である。こんな空はなかなか現われない。白い雲もすがすがしく、また形は異形でもありながら
好ましい。ここに政治的な意味はなく、しかし温暖化の何かが現われているのかな。
きのう24日の夕日、お日様は丸く写った。
その一。白い雲もきれいだが、青空、それにうっすら小さく立山連峰、同じ色。
その二。東の方向である。
その三。南の空に、好ましい雲が現われた。この雲も形を変える。
その四。
その五。透明感がある。
その六。
その七。
その八。現われる雲に、気持ちも高揚。
で、24日の夕日は赤かった。丸い太陽。
その九。
その十。
それにしても、この先どうなるか、かき回されるのはなぜか。新聞とか、TVとかで見ていて、観ていて、
看ていて、同じように踊るのだけは止めたいが。