お天気は、晴れているが空は白く、青い色はない。
雲があるとしか考えられないが、よおく見るとかすかに青いところもある。
青い色を意識しないと、見つからない。
風はそんな強くはないが、外に出るといえの中よりも暖かく、たしかに天気予報通りで、暖かい。
富山地方気象台のアメダス、気温は午後1時で、19.9℃。
これで強い日差しがあれば、部屋の中の温度も上がるが、いまは18℃くらいである。
朝はさほどぼんやりとしてはいないが、何しろ慌てないといけないときもあるので、でもお昼過ぎると
まだコタツの中で、TVにも関心なく、新聞見ていて、相変わらず。最近の全国紙は
どうなっているのか、ときどき思う。新聞を変えるのは簡単だが、値段も同じだし。でも、ぼんやりなので
このままかな。
TVは、Eテレをつけているときが多い。もっとも、もったいないと思うときもあるので、切ってしまうことも多々。
それで多少は興味のあることはまだあるので、それについて少し調べたりする。でもこれも少しで
昔のように本をひっくり返して、というようなことはない。
特に今日など、実感としてはなかなか感じられないが、身体は身体でそれなりの調節もしているのだろう。
神経もピリピリしている時間は少なく、でも眠くもないので、なんだかドンヨリで、空と同じだな。
ちょうどいい気温となると、これだけ人の意識と言うのはドンヨリ感が、増すのだろうか。
朝、まだ少し足元が冷たい。で、電気ヒータをつけたら、さすがにアチアチ状態で、これこそ足が火事になりそうで
あわててスイッチを切った。
「TV」の編成もスタイルも新年度で変わっているので、ただ番組の放送時間を変えるだけで、これだけ影響があるのか
驚きだが、それなりにTVに依存しているのもわかる。
内容も様変わりの部分があるが、何しろいまの政治がここまで、マスコミについてあれこれ注文を出すというのも
たしかに新聞にも書かれているが、おかしいのかも知れない。一つ考えられるのは、それがあまりに当たっているので
正鵠を射るので、これはまずいという場合だろう。
これは西だ東だに関係なく、どうゆう国の体制であれ、やばいところがどんどんと出れば、まずいと思うのも
政治家もただの人間だということを簡潔に示している。放送の影響はそれだけ大きい。
どうでもいいこととか、そんなことはないとなると、現実問題としてだが、言わせておけばいいくらいの余裕は
上に立つ人としては持っていてもおかしくはないが、いまは結局政治家自身、自分で自分の首を絞めている
ところもあるので、その反動もあるのかも知れない。
自由に物事を考えられなくする、それもまた政治で、ある時代が作られる。国、国家という枠がなくなるというのは
考えにくいが、いまは適度な緊張関係を持っていないと、国どうし成り立たない。その程度の問題か。
もっとも、この締め付けなりが極度となると、ある人は、俗にいう「過激」な、という行動に走る。
これは政治にも当てはまる。
それにしても、この列島の国のマスコミも、政治の中に取り込まれて息苦しささえ、感じられる。
反対に、法を遵守しないといけない、法によって権力の乱用を認められない、そうゆう立場の人が好き勝手な
ことをしすぎている。これでは、さすがに法治国家というにも恥ずかしい状態である。
やはり、考え方が違うとか、あるいは同じようだがこうゆう考えもあるという、違いを持つグループというものが
あってしかるべきであろう。対等に意見を述べ合って、いい物にしてゆく。だがいまはそれがない。結果、
ズバリだと思うが政治は「堕落」し、また自己崩壊もしてゆくのだろう。これはすでに他の国で見ることができる
のではないか。
雨が降っていて、まだ多少寒さが残っていた火曜日、それゆえか雨の当たらないところからだが、雨に濡れるカエデ。
これがなかなか大変で、撮った後はそれを見ている時間もなかったが、どうにかここに出せるように。
むかしはもっと処理は早かったが、よる年波もあって、何をするにしても時間ばかりかかる。
その一。いえの玄関から道に向かう一番先の、道に一番近いところのカエデ。何年くらい生きて
いるのだろうか。もう一本はついにだめになった。
その二。
その三。カメラは、ニコンのD300。レンズはセットで付いていた、55-200mm。
その四。
その五。
その六。雨も写っている。だんだんと弱くなった。
その七。
その八。大きい画像なのだが、ある程度の大きさがないと、なかなか感じは出ない。
どうもぼんやりとした感じのままである。
椅子の位置も替えているのだが座り心地が悪いのだなー、もう合わないのか。
雲があるとしか考えられないが、よおく見るとかすかに青いところもある。
青い色を意識しないと、見つからない。
風はそんな強くはないが、外に出るといえの中よりも暖かく、たしかに天気予報通りで、暖かい。
富山地方気象台のアメダス、気温は午後1時で、19.9℃。
これで強い日差しがあれば、部屋の中の温度も上がるが、いまは18℃くらいである。
朝はさほどぼんやりとしてはいないが、何しろ慌てないといけないときもあるので、でもお昼過ぎると
まだコタツの中で、TVにも関心なく、新聞見ていて、相変わらず。最近の全国紙は
どうなっているのか、ときどき思う。新聞を変えるのは簡単だが、値段も同じだし。でも、ぼんやりなので
このままかな。
TVは、Eテレをつけているときが多い。もっとも、もったいないと思うときもあるので、切ってしまうことも多々。
それで多少は興味のあることはまだあるので、それについて少し調べたりする。でもこれも少しで
昔のように本をひっくり返して、というようなことはない。
特に今日など、実感としてはなかなか感じられないが、身体は身体でそれなりの調節もしているのだろう。
神経もピリピリしている時間は少なく、でも眠くもないので、なんだかドンヨリで、空と同じだな。
ちょうどいい気温となると、これだけ人の意識と言うのはドンヨリ感が、増すのだろうか。
朝、まだ少し足元が冷たい。で、電気ヒータをつけたら、さすがにアチアチ状態で、これこそ足が火事になりそうで
あわててスイッチを切った。
「TV」の編成もスタイルも新年度で変わっているので、ただ番組の放送時間を変えるだけで、これだけ影響があるのか
驚きだが、それなりにTVに依存しているのもわかる。
内容も様変わりの部分があるが、何しろいまの政治がここまで、マスコミについてあれこれ注文を出すというのも
たしかに新聞にも書かれているが、おかしいのかも知れない。一つ考えられるのは、それがあまりに当たっているので
正鵠を射るので、これはまずいという場合だろう。
これは西だ東だに関係なく、どうゆう国の体制であれ、やばいところがどんどんと出れば、まずいと思うのも
政治家もただの人間だということを簡潔に示している。放送の影響はそれだけ大きい。
どうでもいいこととか、そんなことはないとなると、現実問題としてだが、言わせておけばいいくらいの余裕は
上に立つ人としては持っていてもおかしくはないが、いまは結局政治家自身、自分で自分の首を絞めている
ところもあるので、その反動もあるのかも知れない。
自由に物事を考えられなくする、それもまた政治で、ある時代が作られる。国、国家という枠がなくなるというのは
考えにくいが、いまは適度な緊張関係を持っていないと、国どうし成り立たない。その程度の問題か。
もっとも、この締め付けなりが極度となると、ある人は、俗にいう「過激」な、という行動に走る。
これは政治にも当てはまる。
それにしても、この列島の国のマスコミも、政治の中に取り込まれて息苦しささえ、感じられる。
反対に、法を遵守しないといけない、法によって権力の乱用を認められない、そうゆう立場の人が好き勝手な
ことをしすぎている。これでは、さすがに法治国家というにも恥ずかしい状態である。
やはり、考え方が違うとか、あるいは同じようだがこうゆう考えもあるという、違いを持つグループというものが
あってしかるべきであろう。対等に意見を述べ合って、いい物にしてゆく。だがいまはそれがない。結果、
ズバリだと思うが政治は「堕落」し、また自己崩壊もしてゆくのだろう。これはすでに他の国で見ることができる
のではないか。
雨が降っていて、まだ多少寒さが残っていた火曜日、それゆえか雨の当たらないところからだが、雨に濡れるカエデ。
これがなかなか大変で、撮った後はそれを見ている時間もなかったが、どうにかここに出せるように。
むかしはもっと処理は早かったが、よる年波もあって、何をするにしても時間ばかりかかる。
その一。いえの玄関から道に向かう一番先の、道に一番近いところのカエデ。何年くらい生きて
いるのだろうか。もう一本はついにだめになった。
その二。
その三。カメラは、ニコンのD300。レンズはセットで付いていた、55-200mm。
その四。
その五。
その六。雨も写っている。だんだんと弱くなった。
その七。
その八。大きい画像なのだが、ある程度の大きさがないと、なかなか感じは出ない。
どうもぼんやりとした感じのままである。
椅子の位置も替えているのだが座り心地が悪いのだなー、もう合わないのか。