光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

ツバメシジミの産卵かな

2010-06-27 16:17:10 | 虫、その他
  ものすごい熱気、と蒸し暑さである。
  風がほとんどなく、雨は少しだけ降って、あとは
  曇り空。朝から熱気で、くたばりそうで、おとなしくしている。

  細かいことはやめて、午後3時までの最高気温、32.1℃。
  暑いわけで、湿度は少しずつ下がってきて、今は70%。
  もう一度、熱気と湿気がすごい。
  
  こうゆうときに、外に出るというのもおかしなものだが、
  それでも習慣というものもあるし。それから、今日中に
  済ませたほうがいい用もあった。

  それも終わって、いつものプラプラ歩きにも元気ない。
  そうゆうところに、やはりといっていい、シジミチョウがいる。
   
  さほど動きは大きくなく、シロツメクサに止まるようだった。
  止まって、舞ってを繰り返した。最後はどこかへと消えたように
  思えた。帰ってモニタで見ると、ツバメシジミのようで、しかも
  産卵をしているようだった。
  翅の表側の様子もわかって、これは黒っぽい。黒いのはメスのようで
  これも産卵と矛盾はしないようだ。
  何しろよく動いた。




  その一。




  その二。




  その三。尾っぽの先が花のほうへと向かう。




  その四。シロツメクサへ産卵しているようだ。なんだか悪いことを
  している気になるが、気が付くのは後からだった。




  その五。素顔はすっきりとしている。




  その六。再び、シロツメクサの方へと、胴の先っぽは沈んでゆく。




  その七。ツバメシジミの翅の裏の様子も、これではっきりとした。




  その八。翅を開く瞬間も感動的で、最初はみな失敗だった。二回目があ
  って、どうにか写っていた。かなり黒い。曇り空の影響もあるだろう。




  もう一枚。翅の表側。
  
  オスだったらとも思ったりもした。シジミチョウで、きのうのヤマト
  シジミとこのツバメシジミは今はときどき見かける。ただ、ベニシジ
  ミがいない、というか見かけないのが不思議だ。



雨の夜、雨の朝

2010-06-27 06:40:09 | 散策


  白いが、花は黄色いという、キク科の植物。
  気が付くと、時間がたって花は咲いて一部はくたびれていた。
  そこにゆくことがだんだんと少なくなる、ということでも
  ないのだけど。


  朝のお天気は、雨。しばらくして雨だと気が付いた。止んでいるようで、降っ
ていた。朝は雨で、暗い。ずっと雨が降っていたようで、眠ったり起きたりで、
熟睡感はない。1時間前があったが、1時間たって、目覚ましが鳴った。1分くらいの
感じである。まだ眠い。気温は高めかも。

  アメダスの6時の気温、23.1℃。気圧は1011.8hPa、湿度は100%。こうなると、
部屋の中でも雨が降りそう。南南西の風が1mとあり、風はほとんど感じない。木々
の枝葉の揺れもないようである。室温は23.5℃。湿気の影響で、蒸し暑いかも。

  26日は部分月食ということだが、それの情報をきのうの朝珍しく調べていて、
そういえば月は満月に近かったということも思い出した。でも、このお天気だと
月食は見えないだろう。そうゆう気がした。それゆえ夜になってもチラッと外を
見たが、雨が降っているか厚い雲に覆われているようで、月らしいものは見えなか
った。月は、金曜から、土曜の朝にかけて見えていたはずで、これは雲の向こうに
あり、弱弱しい光り。面暗の差でいうと、雲のありなしと部分月食では、恐らく
雲があるかないかのほうが差は激しい。部分月食はなんだかはかない現象で、幻の
ようで、陽炎のような感じもする。

  ようするに慌てなくて済んだ。こうゆう点で、雲がさっと出ると諦めることが
出来て、雲のありがたさを感じる。さっさと眠ることにした。
  すぐに眠って、また比較的早めに目が開いたりする。用を足しにゆくときも
あれば、妙な音で目が覚めるときもある。そのほうがいい、と思う。

  朝が来る。起きる時間だ。でも眠い。日曜だからということにする。



雨アジサイの季節

2010-06-26 19:01:26 | 植物・花(夏)
  雨続き。途中雨は一休みした。そのときは雨は降っていない感じがしたが、傘を差していた。
雨はその後弱いながら降り続けていて、雨の季節で、ようやく梅雨らしさが戻った。この雨で、梅
雨だというを思い出す。この先もずっと梅雨らしいお天気は続くのだろうか。雨の強い弱いがある。
豪雨というところがついそばにあっても、それでも多少の雨で済んでしまう。それこそ洪水とか
浸水とか、川に流れ出たゴミとか流木とか、ないと、その雨の降り方の程度というのも、わからない
ものだ。

  朝から、雨が降ったり、雲の多い天気だったりで、それでも立山連峰は薄っすらと、あるとき
は鮮明に見えていて、今日の山開きを祝っているようでもある。雨の止む時間、薄っすらか
あるときは間近に、黒い岩肌を見せる、剱岳はずいぶんと聳え立って見えていた。これはその麓から
見えている、と思われるところだと、顕著で、橋の場合は少し高いから見下ろす感じもあって
その威容さが実感される。

  そうゆうことを除くと、例えばこの辺りには、蟻がいる。小さい蟻で、これは建物の基礎を食い尽
くすとかいうものではないようだ。その蟻がまた細かい行列を作っていて、その最初はどこか、それ
から最後はどこかというのは、これは暇人でも見極めることは出来ないだろう。でも蟻はそうして
生きている。こうゆうものが目に入るときもある。
  鳥が空を飛ぶが、カラスの合唱というのが、久しぶりに一昨日くらいにあった。これは鳴き声
だけで姿は見えなかった。見えなかったではなく、見なかった。でもカラスの鳴き声の様々なもの
が聞こえた。カラスは、棲むところを失うようで、またもとに戻ってくる。トビなどは、大空を舞っ
ていてそれこそ怖いもの知らずである。どのような生き物も、そうは簡単に空は飛べず、また空を飛
ぶ生き物で、トビを追うものは、カラスも含めて多い。多いというと、一つはカラスで、一つは珍し
く、オナガがいた。オナガがトビを追うことがある。オナガもトビに迷惑をこうむったのだろ
う。トビを追うものは、これはトビで、それが三羽、四羽となってのものだとこれは何がなんだ
かわからない。

  地面を見ていて、そこに今は蛇は余り現われない。それでも暑いときは、道みちときどきにょろ
にょろと出てくるときがある。それがシマヘビで、アオダイショウなら安心だが気色のいいもの
ではない。
  木の間を飛ぶ虫はいる。一つは、ホタルガ。これはお隣さんで見つけた。回覧とかをまわすと
いう古臭いことをやるところでそれゆえまー気兼ねせずお隣さんへと向かうが、ときに珍しいものを
見るときもある。ある種の蛾はここにいる。その名は忘れた。だが、その飛び方といい、翅の模様と
いい同じものだ。こうしていくつかの虫は出てきているが、蛾といってもこれは触らない方がい
い。そう思える蛾が、地面とか、コンクリートの上で、もう動かなくなっている、そうゆうものを
見ることもある。でもそれにしても、虫の数は少なめでそれゆえ、柿の葉っぱは大きいままで、
このままだと秋にたくさんの柿の実が出来そうで、本当にそうなる可能性は、でも低いだろうな。
成ればなったで実が落下するという危険がある。でも、これは話しとしてはずいぶんと先の話し
だ。

  小さいが、大人のカマキリはもういる。いるがしばらくするといなくなる。どこかへ移動
したか、あるいは蜘蛛の巣に絡まったのだろう。こうなると、絶体絶命で生き延びる可能性はほ
とんどない。なかなか、カマキリも大変である。カマキリの卵の数は多いはずで、それからいくら
かの段階を経て小さいが、大人のカマキリの姿になる。この先がまた難関だらけ。カマキリに種
類があることにも気が付くが、よくいるものは小さくても、こちらというか、カメさんのレンズ
に多いに威嚇しさらにいくらでもかかってこいというような格好になる。戦う意思を現わすが
ごとくである。小さくても大人だから。それで、妙に体は少し曲がって小さめのカマキリという
のもいる。図鑑など見ると、違いがわかる。この少し体を曲げるカマキリがアジサイの花にいた。大
きさは、いまどきの他のカマキリと変わらないが、さて少しカメさんを近付けると、どうゆうわけ
か、花の奥へと引っ込んでしまった。カマキリにもいろいろなものがある。

  どう書いても、いろいろ頭の中にあることを書いてもでもどうゆうものが今日にふさわしい
か、というとこれは雨に濡れるアジサイであると思う。雨が降って半分は雨に打たれる、雨に濡
れるアジサイをと思ってみていたし、またカメラを向けた。素直に雨の、小雨だからよかった、
アジサイをここに出すのがいいと思う。雨とアジサイは仲良しである。あとは、花と虫も大体仲が
いい。無理やり、こじつけとも思うが、花にカメムシで、一体となるものもある。こじつけに変わ
りないが。





  ポツポツと、垣からアジサイの花が出てくる。木のようなものが多く、
  そこからアジサイというのは、そうは多くはない。隠すものでもなく、
  ここのアジサイ。でも、これでは雨はわからない。




  雨アジサイ。アジサイの色の見本みたいなアジサイ。葉っぱの水滴。




  こちらのアジサイはやっぱりいいな。雨が降って花びらに雨滴、たっぷ
  りと水滴が付いて、雨のアジサイはこうでないと。




  誉めすぎもなんなので、ちょっと旱のせいで花びらの新鮮さが足らない
  ものもあるかも。




  アジサイ寺にいった気分で。




  雨のアジサイ。




  他で、赤いものも。


  虫というとカメムシが花にいた。この前はたしかヒメジョオンだった。



  黄色い花だ、黄色い何かの花があって、場所的に離れてなくて、カメム
  シはまだいる。




  虫の感じはまだあるが、花と一緒だとも思えなくはない。こじつけだが。




  この花、なんだかこれ以上の変化はないのかと思いきやそうでなくて、
  小さいドーナッツのようなものから、オシベメシベが出てきていて、こ
  の先どうなるのだろうか。



すっきり、ヤマトシジミ

2010-06-26 16:16:12 | 虫、その他
  小雨模様。気温も下がってきて、
  午後3時で、24.9℃と少し上がっているが、今はもうすこし
  涼しい感じがする。

  外歩きの時間、雨が降っているか中休みの状態で
  この先どうなるかわからなかったが、途中から
  小雨が上がった。上がったか降っているか降らないか
  わからない状態になった。
  あまり変化のない時間だが、歩いていて
  シジミチョウの二羽も見たりしていて、そろそろ
  そうゆうチョウに出会うのでは、など思う。

  そう書いているのは、ヤマトシジミに久しぶりに
  会ったからだが、またファイルにおさまったからだが
  これも運がよかったとしかいいようがない。
  なかなか美しい個体といえそうである。
  もう一羽、実はそばにいて、そうゆう状態にもあった。




  最初から二羽いて、クルクル回転して飛んでいて、一旦消えた。
  小さいチョウだから、見失うことも。今回はクルクル回っているところ
  で、それを再び見つけた。これが先に、シロツメクサに止まった。




  翅の表側も、少しだけ。




  少しずつ、回っている。




  いつまた飛ぶか気が気でない時間。何しろ、10cmか15cm上を
  もう一羽フワフワと飛んでいるので。




  モニタを見て、真正面に来るように。ってうまくいっていないが。




  これだけ写ってくれると、なんだか嬉しい。肢もきれいだし、触角も
  鮮明。




  しばらくして、こうゆう感じになった。しかし、これだけ。すぐにまた
  飛び立った。もう時間もなかった。あまりに長居も無用だ。



小雨のお天気

2010-06-26 06:46:00 | 散策


  夏の空、青空で、白い雲が少々。
  その他、人工のものも。これは同じものがときどき写る。
  この青空がしばらくでないというので、今日は青空。



  朝のお天気は、小雨。よく眠れた小雨。雨は今しがた降り始めたばかりで、
その前はずっと曇り。おぼろではない月が、かすかに雲をとおして見えていて、
今は小雨。ぐっすりと、小雨という感じ。ぐっすりというのは、勝った、引き出し
たという後のぐっすり感。

  アメダスの6時の気温、21.9℃。気圧は1015.3hPa。湿度は95%。北からの風
が、1mとある。ほとんど風は感じない。室温は、24℃。Tシャツだと、クシャミが
出て慌ててその上にパジャマを着た。寒がりでなくて、どっか冷えるとクシャミ
が出る。

  TV。必要なときは見る。今日もすでに見て、お天気はやっぱりよくはない。
でも今は小雨。ほどほど。
  TV、今どきのCMは見たくないというものも多い。さらに音が大きくもなるか
ら、少なくとも音くらいは聞きたくない。ボリュームをしぼるということもやる。
直接に消音ということも出来るので、それをやる。静かだ。TVの騒音の程度はかな
り大きい。で、そのTVの音もさらに大きくしないと聞こえないというときもある。
これは不幸だ。で、消音をやると、静かで少し気味が悪い感じもした。なんとも
いいがたい。あればストレスでないという場合もやけに静かだという感じだ。この
ときに、外の鳥の鳴き声でも聞こえるときがあれば、と思うが、ちゃんと鳥の鳴き
声は聞こえていた。ようやく落ち着いた。眠りそうだ。

  朝は食べないと、といつも思う。今日は眠れたし、腹のほうも空いていると
思う。思うけど、食欲はあまりない。特に消化器に痛みもない。食欲はなく、あま
り唾液も出ない。それでも食べ物を前にすると、自然と手が動き、ものは口へと
運ばれる。自動的に咀嚼して飲み込む。やっぱり朝は食べないといけない。食欲は
ないようで、ものは入ってゆく。そうゆうこと。
  忘れていた。甘すぎるキウイフルーツがある。黄色いもの、皮ごと食べられ
そうだが、緑の酸味のきいたものがいい。



忘れたころに思い出すアジサイ

2010-06-25 19:04:06 | 植物・花(夏)
  街のいろいろがある。天気のいろいろもあって、謎めいた感じのものは多い。昔は、例えば街歩き
にしても地図を広げて、あるいは住んでいるところから少し先へ、何も見ずに出かけ歩き続けると、
大通りに出て、ここはどこだろうか、とか思うこともあった。未知の道があって、知っていてもいい
ような賑やかな街角に出る。なかなか面白い探検というか、散歩というか、遊びというか冒険で
もあって、これはいってみると後で考えると、どってことはないただの最初の一歩だったりもす
る。
  歩くかどうか、昔といってもつい去年ではない、おととしくらいは遠回りして買い物にゆき、遠
回りして買い物から帰るということをやった。今はやらない。それゆえか、段々と足腰の状態も
ちょっとした出来事に耐えられなくなる。大雪は、去年から今年はひどかった。これはこたえた。
でもどうにか最悪の結果というのはなくて、考えてみるともう少し手を抜いてもよいところはあ
った。でも、それも出来ないとなると、それこそどうなるかわからない。

  この先は安穏ではなく、不安の大小しか残されていないような、感じが、確証に変わったこの
冬の出来事で、春も春で、大変で夏は夏で大変になりそうだ。そう思う。だから、朝から足首が痛い
とか、思うようにもなる。もっとも、このことは、ごく最近までは本当になかった。雪深いところ
で、足首が折れ曲がりそうになるときは多いが、なんとか乗り切った。
  最近で、この足のどうのこうのは、一つは竹の若いものを切り取るという作業で、右足に力が入
ってというのが一番の原因のようで、こうゆうものも柔らかいものしかやらないが、足元が不安定で、
切り株も残れば倒れる竹か笹かの上に乗って、そこから鍬を振り下ろしているから力の入れ具合に
よってはひっくり返りそうにもなる。まるで、サーカスで、そうゆうところはもうやらないと決め
た。なんだか世も末だと思う、足首の痛みであるが、これももう少し様子をみて、どうにかしない
といけない。これと比べると腱鞘炎というのは、それが手首で多いがそれは直ったりもし、またい
つ痛みが出るかわからない。足か手か、どちらも大事でそれを使って、雪をどけ、またものを切って
いる。

  最初の未知の道というのは誰にでもあるもので、手を引かれる子供の時期を過ぎると、それこそ
子供と未知の、それ以外だともう少し大きくなって、自分から知らない道を歩かないといけない時
期になる。これはかなり必然性がある。本能に近いものが、この向こうはどうなっているか知
りたいという思いを募らせる。
  もういい大人という時期が誰にでも来るが、見掛け倒しで終わったという感じで、これはどうで
もいいが方向音痴ということばは今もあるのか。さて知らないところに出てみるとどうすればいい
かこれは誰でも迷うもので、頭に地図があろうがなかろうが、地図は現実ではないから、行き当たり
ばったりとさほど変わらない。道はまだいい方で、これが大きな駅だとそれこそ迷子になる。さら
に、関東辺りの地下鉄というと、これが昔はなおのこと少なかったが、私も当然ながら迷った。反対
にいって戻ることが出来ないということもある。これは当時最大の難問でもあったけど、池袋駅と
か、新宿駅はいくら案内があっても今は迷うだろう。地下鉄は特に迷う感じでなにしろ外が
見えない。見えるところもあるが。
  関西圏の地下鉄というのも、子供のときにすでにあってこれに迷わない母親がいたから
どうにか目的のところへと往き、帰ることも出来た。この時代というのは今からどのくらい前だろう
か。

  多くの地下鉄が入り乱れるように走っているように思える。自動車道は知らないので、その点は
まったく知らない。地下鉄が一番むつかしいと思えた時代があって、これを歩く未知の道に例えるこ
とが出来たと思う。都会の散歩でも、程ほどの街の散歩でも迷うことはいくらでも出来る。それで、
うちに帰れないということはあったかなかったか。知っているという方を選べばそれは遠くても
間違いはない。結局そうして一つ一つ道を知るということになるが、今となっては外の世界のよう
で、内なる世界である、この鄙の辺りでも新しい道は出来て、でも途中で行き止まりというのは
ある。
  迷い道は小さな住宅地でもあって、これも焦ると抜け出せない。昔の知恵というかそうゆ
うものがまだ残っている。
  関東のあるところ、点に近いところを歩いていて、でも大体私鉄沿線だと無料で散歩マップと
いうのがもらえたときがあった。これはたしかすでにカタカナ語になっていたはずで、ウォーキング
という言葉になっていたかどうか。その地図は大体正確でまた間違いはなかったようだ。こうゆうも
のも今はなく似た情報が欲しければケータイ電話ということになるのだろうけど、昔もあったが、道
が交差するところはすべて直角で現わされるというようなものは一番迷う。金額でいうとそれこ
そガイドブックを買った方が、あるいは国土地理院の地図をという方が安くつくのではないか。


  ずっと同じところを歩いていて、例えばそれがむこう隣三軒目のお宅の花でも一年咲かないと
忘れるもので、そうゆうものを今日は見つけた。見つけたというのもおかしく、すでにノリウツ
ギについては一度出たが、そのそばにそういえばこうゆう色のアジサイがあった。それを思い出したの
は、ノリウツギがあったからで、それからいろいろな木や花の多いところでもあって、それらが
大きくなると、陰に隠れる感じは余計に強かった。これを見つけるのは、未知の道に出くわすの
とは違うが、そうゆうこと、未知なる道に出会うということを思いださせて、さらにはこの先の不安
の大小の数をも計算させてくれた。




  ノリウツギと思える花は、この前はまだ蕾のままだった。それがポツポ
  ツと咲いているようだ。




  アジサイと同じような、白い花びらが出てくる。背が高くてこれが残念。




  淡い。




  花の辺り、拡大。




  アジサイでいうと、装飾花のようなところが咲き始めているようで、す
  べての花がこのようになるのだろうか。これも忘れた。




  目も悪い、というところ。細かいというものでなく、この赤い色が
  目に入らなかった。下向いているときが多いかも。




  草も生えていて、赤い色がなんだかぼやけてしまう。




  あっちへいって、こっちに戻って。




  よくあるガクアジサイかなー。赤い。



青息吐息の花々もある

2010-06-25 16:20:06 | 植物・花(夏)
  今日は比較的涼しいかも知れない。
  曇り空になった。眠たいようなお天気で、
  それで北風である。北風がまた涼しげでもあって、
  でもそれだけではない。
  なおかつ、なにか夏という感じがない。
  理由は不明だ。
  そうか、また雨続きの予報が出ているからかも。

  午後3時までの最高気温はそれでも27℃以上になった。
  でも北風で、涼しげである。


  なかなかタイトルも思い浮かばない。どこかから
  借りてきたようなものも使わないといけない。
  青息吐息は自分のこと。先に書いてしまった。




  直射光が強いとアジサイもしおれる。こうゆう姿はあまり見かけない。




  同じ株から出ている花。これはさほどしおれたという感じはない。




  元気な花もある。でも実際はどうか、聞いてみると、空元気ですよ、
  というかも知れない。




  葉っぱの一部が白いままという花がある。というより、花のような房が
  出てその先の葉っぱの色が白い。不思議な花で、夏用のシャツを着る
  感じかも。


  白いアジサイは、これはどうか。



  気が付かないものだが、大きな白いアジサイがあった。目と鼻の先、と
  いうか、いつもいっている場所の同じところに少し離れてあるのだが、
  わからなかった。




  白い花は弱いのかも。あまりに強烈に光りが当たり過ぎる感じがする。
  人だと、とっくに赤く腫れてとなるところ。




  でも青息吐息かというと、そうでもないような花もある。白い花は
  概して赤い部分がポッと出る。




  花壇の完成したもの。真夏の様相の花々。これも、なんだか暑さに強そ
  うで、でも何か足らない。虫がまずはいない。




  よく見るとさらさらっとしている。匂いのようなものが感じられないか。




  雨が降って、7月も頭のころには、花の数も増えているのではないか。



曇りか晴れか

2010-06-25 06:47:47 | 散策


  ヒャクニチソウ。書いてから、調べている。似ている花は
  やはり、ヒャクニチソウだ。




  色のいろいろ。


  朝のお天気は、雲の多い晴れ。今日は、天気予報は晴れだが、起きたときも
今もどっちだというと、薄い高層の雲だが雲のほうが多い。きのうの光の強さと
まぶしさはない。その点はありがたい。朝は、どうゆう朝がいいか。これはむつか
しく、たまに小雨そぼ降るときもいい。いつもピカピカの晴天だと、少し疲れる。
目にやさしい曇りもたまにはよく、雨が必要なときもある。

  アメダスの6時の気温、19.1℃。気圧は1014.0hPa、湿度は90%。風は、静謐
とあり、これは望ましい。室温は、22℃。日の当たらない、また下の部屋はもう
すこし気温は低く、涼しげ。

  お天気情報をTVで見る。いつもと変わらない。雨のところが多い。ずっと雨の
ところはかなわないだろうな。それに比較して、この辺りは押しなべていいお天気
で、お天気に関してはいうことなしということか。それから、TVはしばらくつけて、
顔を洗ったり、鼻うがいをする。気温が少し下がると、調節次第だが、のどが少し
変になる。水を鼻から吸い込んで、まるでゾウだが、それで口から出るのを待つ。
少しすっきり。TVはまだ静かだが、ようやく歓声に近いものが聞こえた。アナウ
ンサの方もこのときを待っていた。長かった夜が明けました、という感じ。

  それはいい。また眠っているときもいい。ときどきもう目が開くそうゆう時間
だ。起きる。起きる前と起きた後では何がどう違うか。右足の付け根、足首辺りが
痛くなるというのが、このごろある。何か作業をしていて、それがどうゆうもので
あれ右足に重心をかけることは多い。右利きだから。で、これが過ぎるとダメージ
が残る。すぐに直るときがこれまでで、それがあるとき足の付け根の痛みとして
残った。
  なんでもそうだが、人の体で痛くていいとか、なくていいというものは少ない。
体の老化、こうゆうところでも進んでいるのだねー。無理は出来ない。準備運動も
必要。他に体重を減らすことか。

  それにしてもサッカーの試合の動きというのは激しく鋭い。怪我がないのが
不思議だ。そう思う。怪我してもまた出る。
  そうゆう真似は普通の人には出来ない。当たり前だが。



どこにでもある花の魅力

2010-06-24 18:53:55 | 植物・花(夏)
  なんだか暑くなってきた。先ほどまで吹いていた、風が止んだというわけではないが、体の
熱を奪うような勢いのある風はなくなってしまった。真夏の太陽は、まだ西の空にあって、涼しげ
かも知れない、真っ白な領域を作っている。風が弱くなって、高気圧の張り出しがあるのだろう
か。今日も晴れのお天気が続くのだろうか。

  チラチラと、西に東に見える景色を見てお天気占いをやる。今日は珍しく、北アルプス、
立山連峰も見えた。この時間、それはどこから見るかによって違うが、この辺りでは午前中で、すっ
かり雪のなくなった北アルプスがあって、色の黒いアルプスというのもまた、なかなか味のあるも
ので、こうゆう景色は、ある距離を置くところにいると、見る回数、見える回数は少ない。立山連峰
は、剱岳も含めて、ある距離を離れると、なんだか晴れていても見えないときは多い。これは夏で多い
といえそうで、だから夏は直接立山なり、その麓のあるところ、あるいは直截立山に登るのが一番手
っ取り早い、山そのものを見る方法であって、もうすでに登山といっていいと思う。観光バスがある
がまた多くの方はそれを利用されるはずだが、形というか、恰好は夏山登山をするというので
いいような感じがする。

  昔々、私もそのバスに乗ってという立山は、弥陀ヶ原までいった覚えもあるし、実際いったの
だが山という意識はなかった。それから、旅慣れた体というものもあるようだが、突如今日は、バス
で立山へゆく、というのも少し考えもので、神経質な方、車に酔う方は気を付けた方がいいと思
う。私も途中で気色悪くなったが、これはもともと不精な生活というか、大体学生のころは特に休
みのときはそうゆうものだが、車酔いは簡単である。これの苦しみは、船酔いと同じで、またいざ
そうなってことが済むと、なんてことはない。でも自分の神経のあるところだけの敏感さを感じて、
その後にバス旅というものが苦になる。尾を引くのである。山といえば、例えば2000mくらいになる
と気圧の関係とかあって、高山病というものもでると思う。この経験はない。だから立山も弥陀ヶ原は
さほど高くないが、室堂までとなると少し心配にもなる。

  何か考えがあって書いているのでないので、それこそ舵取りは風任せだが、日光というのもそ
うゆう意味で、「いろは坂」であったかこのときは、そうとう苦労した。一回か二回かその恨みみた
いなものを書いたかも知れないが運悪く、バス停に並んでいて一番最後に近いところになってしま
った。それで実際にそのバスが来ると、私だけが「立つ」という状態であった。こうゆうことが
真実として残るものだがなぜそうなったか、これは理由がちゃんとあるがもう書かない。自分が悪い
というのと、ま、気がきかないところもあった。
  たしか中禅寺湖だと思うが、最初の停留場でバスは止まってそこまで乗る気でいたかどうかも
怪しいが、なにしろバスは止まった。止まってくれて、また体の中から出てくるというものも
止まってくれた。何という幸運か。

  どのくらいのところまでバスでいったか、もう少し先かも知れない。こうゆう場合は、逆にゆうと降
りるときは一番で、もしも奥のほうで、後の方で悶々としていると、もっとひどかったということ
にもなるかも、と今頃思う。降りて、しばらくしたら直った。頭の中というのはどうゆう風になって
いるのか知らないが、まー余り面白くないこともよみがえることがある。
  山の見えるか見えないかの話しで、一般的に夏場の方が、北アルプスは雲か霞にかに隠れて
見えないことが多い。冬は冬で、雪が降って見えない。ま、お天気が悪いと、隣の街も見えない
から、そうゆうがたがたすることでもないか。でもこれから旅の予定を組む人も多いだろうから、で
ももう山の麓に入ってしまうと、これは別次元というべきもので、待つものは私の想像を超える。

  今日は当然暑かったので、もう止めようかと一瞬考えた散歩だが、これくらいの温度でそうは
簡単に止めることもないだろうと思った。その通りであって、さほどは暑くはなく、無事というかのど
の乾きも格別なく、往きも帰りも急いだ。このところ何かに出会う感じがあるが、それはなかった。
そうゆうものである、そうは毎度偶然は起こらない。また起こるべく必然も何もない。
  何かが起こるときは、立て続けに起こるときもある。これが蜂に刺されてとなると大変である。
こうゆうこともなく、暑いワイと思いつつ帰って来たというところによさがある。そうでないと
いけないともう。


  毎度の花の様子で、それでも私の目で見えるものも段々と少なくなろうとしているようだ。
それでもけなげに咲く花は野にあって花壇にあって、壁にあって、屋根にもあるかも知れない。
 



  これからの花。咲く花、蕾の花、それからこれから咲くテッポウユリの
  咲かない状態。




  丁重にこうゆう花を撮っていると、たまにそこに虫でもいる場合もある。
  でも、この原色の美しさは夏そのもので、心地よい。




  なかなか描けるものでない花で、夏のスケッチなどにはちょっと荷が
  重いかも。





  アジサイ。珍しいというものはなかなかない。




  ナンテンの花。




  ナンテンの木そのものも私は好きだ。




  房状に白い小さな花を付けるもののほとんどの花が咲き始める。なぜ
  またこの花が出るか。




  蜂のような虫が飛んできて、この小さな花の蜜でも吸いに来たので
  あろう。こうゆうこともある。蜂のようで、蜂かどうか。




  焦点がピタリ合う、そうゆう飛翔はまずはないと思う。




  房状の花も並んでまたこの葉っぱも美しいもので、いってみると同じよ
  うなものが規則的かどうか、並んでいる。すると並ぶことの美しさが出
  るが、不規則かも知れず、この辺りがまた面白い。



月と、さそり座と、いて座など

2010-06-24 16:25:03 | 星空・天体・宇宙
  朝から大体、快晴のままのお天気で、朝は少し
  涼しかったが、外の温度はぐんぐんと上がり、
  真夏並みの暑さになった。
  それでも午後3時までの最高気温は28.9℃。これは
  暑いかさほどでもないか。

  北風が吹いていて、うまく対処すればそうは暑く感じない。
  建物の中だと、風が通るところでは、飛んでゆく熱のほうが
  多いかも知れず、また夜も晴れるとすると冷えるので
  お腹出していると大変なことになる。
  今朝はそうゆう恰好では眠っていなかったが午前中は
  体が重かった。


  星空だって。これがあった。これで、体が重いとなると
  誰にも文句はいえない。
  それにしてもお天気は意地悪である。本当に久しぶりに
  星空らしいものが出ると期待する。がどうだろうか。
  夜は晴れそうで、いくらでも雲は湧いて来るのだ。
  ガックリ、肩を落とす。そうゆうわけにもゆかず、
  恨めしく空を睨むが、結果はどうであったか。


  最初は少しずつ変化がある、宵の西の空の表情。




  お馴染みになった。中央が金星で明るい。斜め左上へ、しし座の
  レグルス、それとそこから離れてゆく、火星がある。
  それ以外の星も少しずつだが写っている。




  土星も入って来た様子。金星、レグルス、火星、土星がほぼ斜めに
  一直線に並ぶ。




  背景の色を変えてみる。ホワイトバランスで調整。時間の違いもあって
  星の見え方も異なる。雲の濃淡もあり、またその移動はかなり早い。
  一瞬晴天域に全体が入るときもある。




  5月頃の、もうすこし澄んだ空とは比較にならないが、ほどほどに
  美しい夜空がそこにあった、と思う。


  後は、少し時間がたっている。月は、南の空から少し西の方へと
  傾いてゆく。このときに、そのところに雲が出て来て、惜しい。




  モヤモヤとした、大きめのしかしあまり濃くはない、そうゆう雲。
  月は露光過多で色が飛ぶのはしょうがないが、雲のせいでなおのこと
  辺りは明るくなった。でも、冷静の振りをしないといけない。
  月のすぐ左隣にさそり座があって、さらに画面の左側にはいて座が
  ある。




  さそり座の様子を切り出してみた。S字型といわれるが、Sの字を斜めに
  寝かした恰好がわかっていただけるか。尻尾の方は上を向く。




  いて座の辺り。

  個人的な楽しみだが、星図など用意してどこまでの星が写っているか、
  また星雲とか星団のかすかな明りはないか調べるのもなかなか面白い。