光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

きょうは青空の空に咲く

2009-03-28 16:26:05 | 植物・花(春)
  今は、晴れ。
  たしか、朝も晴れ。
  その後も晴れ。でも、気温は上がっていない。
  ときどき、雲が出る。くせもの。
  体が慣れないと、明るくて寒いというのに付いていけない。

  きのうと同じようなところで、同じような花。
  近場しかまわっていないので、必然的に
  そうなるが、日の出ている、少し午前も
  押し迫るころ。
  カメさんのメモリも少なめ。




  このハクモクレンは初登場。少し遠いところから。




  切り出して、拡大する。少し黄色くかぶるものは、レンギョウの花のせい。




  そのレンギョウ。空の青さも一世代前のものだが、ちょっとやはり青すぎ。




  同じく、拡大。大して大きくなっていない。
  それよりレンギョウの花も、咲いてはいるが元気はなさそう。




  ベニコブシ。花の数も少なめ。去年はもう少し多かった。




  少ないといっても、この辺りが一番拡大のしがいのあるところ。
  結果として、同じところの拡大となった。
  これが、ハクモクレンのように咲くと迫力満点だが、そうゆうところは
  なさそう。

まぶしい太陽と雨

2009-03-28 06:54:10 | 散策
  朝のお天気、今は晴天域で、青空。地面は濡れていて、雨が降っていた。きのうの宵の時間はずっと雨である。寒いのと、静かなので、いいような悪いような。読書の、早春。アメダスの6時の気温、1.3℃、冷えている。気圧は1021.2hPa、湿度、93%。寒気の移動はないようである。室温6.5℃、冷ややか。寒すぎるが明るすぎもある。

  寒くても春。ほどほどに明るく、それと雪は、降らないことはないだろうが、積もることはない。ときどきポッと太陽が出るのも憎い。曇りと雨なら、そのままであって欲しいが、太陽が顔を出すので、忙しい。外は冷たく、うちも、さほど暖かくはない。だから、やけに顔がほてったりもする。鼻水が垂れて、惨めな気分にもなる。昔の人はどうして、この寒さに耐えていたのか。今は何でもあるので、寒ければ暖房に頼る。昔のいえはというと、暖かいこたつとストーブはあった。その場所以外は、大体外と同じ温度。
  それに比べると、今はかなり暖かい。が、それなりの苦労がある。

  完全に、晴れ間に入った。虚空の太陽。

  買い物。色々考える。あれもこれも、で、あちこち調べると、これは使えないというのがわかる。値が高すぎるものはむろん買わない。買えない。立派なものだが、なかなかよさそうだが、決定的なものが他にあって、これがだめ、惜しい。
  そんなことを、PCを見てときどきやる。商品知識も必要だが、眼力も鍛えないといけない。もはや、その商品を実物を、目で見ることがなかなか出来ない時代。出来ない環境。その中から、これが使えそうだというものを探す。むつかしいが欲しい。この繰り返しがあって、ある日、突然これを買ってみるか、となる。悪魔が囁く。そうそう、思い詰めていてもなんにもならない。あー、こうして、またお金を使うことになる。

  そのものは来た。早かった。なんだ、これは、使う最初はこうゆう気持ちになる。
  これはPCのソフトであって、しかし使いかたというのもやたらゴジャゴジャしている。それに、やけに重い。箱は軽いが、やけに重く、思うように動かないような、としか書けない。同じようなものがすでにあるが、それも最初はそうだった。で、直感だが失敗したかなー。同じようなものがすでにあって、それよりも高級というのがミソだが、まだまだ使い方もよくわからない。
  見た目はしかし、古いほうがいい。こうゆう風に思えるのは、年齢もあるけれど、期待しすぎもあるようだ。

  あー、太陽が明るく、キジバトは鳴いている。

3月の桜はなさそう

2009-03-27 18:46:35 | 散策
  雪はチラチラと降っている。ごっそりと降るというのは、今のところ比較的、暖かいといわれるこの辺りだから、ない。チラチラも、ほんのチラチラで、こんなもの、という感じの雪。昔は、暖かいところに住んでいて、雪が降るのが楽しみだった。最も子供のときだから、という理由もある。それでも、鈴鹿山脈を越えて乾いた空気となったもののなかに、白い雪が混じると、嬉しかったものだ。まったく、冬の乾いたお天気はただ寒いだけで、それ以外の何者でもなかった。
  そうゆう天気と時代を思い出させてくれる、お天気だが、ぜんぜん歓迎はしていない。この寒さを必要としている、そうゆうところにプレゼントしてあげたい。まったく、どうしたことか、と思う。これではますます景気も、冷え込んでしまう。

  桜というと、この辺りにその木はない。いまどきの話しで、なぜ桜かというのは、これは4月という時期に依存している、と思う。そうゆうものと重なるものがあるから。桜なのであって、それ以外はというと、ぱっと咲くがぱっと散る、いわば花火にも似た感触があって、しかし子供のときも、桜を見に行くということはあった。つまり、住んでいた近くに桜の公園があった。なぜに桜か、は問われなかったのである。
  子供のとき、桜を見て、どう思うか自分でももうわからない。今桜を見ても、きれいだが、それと思い出となると、公園での花見だが、花見となると桜は、もうどうでもよかった、ような。だから、夜に公園の桜を見に行った。そのころ、その公園に灯りはあって、しかしもう夜も遅くまで宴会をされるとその後が大変というので、灯りは8時には消されたはず。それにしても多くの人がいて、ごったがえしていた。その公園とは、上野のお山のことで、もう思い出すこともない。
  食べて飲んで、飲めない人は寒さに耐えて、これはこれで大変だった。今思うと、多少胸が痛むが、みなさん多分忘れているのではないか。

  桜の花が、どうのこうのというのは、よくはわからない。ソメイヨシノが開花した、というのが、皆のスタートになるようだが、どれがソメイヨシノか不明である。これがそうだろう、そうゆうものは見ることは多かったと思う。今も、この辺りから街の真ん中へ出かけるとここにソメイヨシノがというのはわかりそうで、しかし宴会の経験はない。その桜を見たのも、ものすごく昔。
  その桜の花が少し開いている、こうゆうことをラジオで聞いたが、そうゆう花もあっておかしくはない。ただ、それに続くことは今はありそうにない。もしかしたら、珍しく3月に、桜の開花があるかと思ったが、珍しく、3月の終わりに雪が積もった、という方が起こりうる確率は高いようだ。ソメイヨシノの、木の枝にその花ではなく、雪が積もるというのも面白い。ただ現実的かどうか、明日にならないとわからない。
 
  桜の種類もいろいろとありそうで、この辺りにしかし桜はない。ほとんどなく、新しく出来た公園とかに、ぽつぽつとある。この木の特定は出来ないのは当然だが、桜の一種であって、ソメイヨシノかどうか「遺伝子鑑定」でもやるしか結果は出ないような気がする。しかし梅とか、桃とかではなく、やはり桜が一番近い。
  なぜ、桜が少ないか、それより梅とか、柚子とかが多いということ、その他秋の柿も多いことから、推定することは出来るが、もともと桜は「なかなか」なかったというのがもっともらしいものである。
  ただ彼岸桜は、ある。あるが、知っているものは切られてもうない。切られた理由がよくはわからない。それ以外に、今頃一つだけ、桜のような、木の形といい、花の色といい、そうゆうものが一本だけ目に入ることがあるが、この時期に、ソメイヨシノは咲くのはおかしく、これは桜のように見える、何か他の木だと思う。ただ、彼岸桜ではない、とも思う。

  桜、というと、昔の花見につながり、それとTVで見る、桜ということになる。これが結構にいい。特に喧騒に巻き込まれることもなく、あー今も上野のお山の桜は咲いている。それだけで十分で、これはすでにTVでも見た。


  明るい光の、当たる瞬間。





  暗めのツバキだが、これでも目一杯明るいときに撮っている。木の陰の、ツバキ。




  生長甚だしい、フキノトウ。こうゆうのが、あちこちにある。




  黄色いスイセンに、日が当たった。ここまで来て、赤と緑と黄色で、信号かと思う。この黄色いスイセンが呼んだのである。




  超接近。この花の中に、小さな虫の一匹もと思ったがいない。




  雨の後で、いつもの、水玉の輝きがある。まるで、宝石だが水である。




  大玉というか、水玉の大きなもの。表面張力とかが働いているらしい。
  この写真を見て、その力を考えることはなく、なぜこの葉っぱに水玉が出来るかの方が、疑問として残る。
  
  毎度な感じで、何かこれに変わるいいアイデアはないかなー。

いつだったか、忘れるくらいの、春の晴れ間の花

2009-03-27 16:24:35 | 植物・花(春)
  季節は、春だが、実際は冬。
  きょうも寒い一日。
  朝は晴れていたが、時間の問題だった。あっという間に
  雲に日は隠れる。どんよりと、ときに雨。
  幸いか、きのうのような、風はない。
  気温はたぶん上がっていない。
  だから寒いまま。

  神経痛ということにして、あちこちの痛みを耐える。
  手が痛い。これもある。頭も痛い。どうする、って耐えるしかない。


  それで、いったい春の晴れ間がいつあったか、正直言って
  忘れるくらい。晴れ間も続かず、その日に雪が降ったりもする。
  同じ日か、疑問も出る。
  そうゆう日の、晴れの春の花。




  光に輝くレンギョウ。今はどうなっているか。




  ここにもあったか、というベニコブシ。シデコブシの紫色の花を付けるもの。




  この花も、今はどうなっているかな。晴れの空が、やはり似合う。
 



  これはツバキだろうと思うが。今はツバキがあちこちで満開。




  このハクモクレンは、きのう見て来た。曇り空やら、冷たい雨で
  変化はなかった。




  地面に近いところだと、ハナニラ。
  咲き初めの、紫の色が濃いものが好み。匂いもあるような感じもしたが、
  これも時間がたっている。

きょうも、朝は快晴

2009-03-27 06:54:40 | 散策
  朝のお天気、見たところ快晴で、言うことはない。というか、溜め息の出る快晴で、これが続かない。きょうは、目覚ましで起きて、その音がまだ耳に残っている。激しい音する目覚ましで、これはそれが鳴る前に起きたほうが利口。お天気は、今は晴れが相変わらず、雪マークは出ている。寒気が来れば、雪が舞う。ただ、それだけ。
  アメダスの6時の気温、2.5℃。ほどほどなのは雨のせい。雨が降っていた。気が付かなかった。気圧は、1016.8hPa、湿度、91%。室温は、6.5℃。ヒータを付けると、8℃くらいまではすぐに上がる。

  寝ぼけまなこ。眠れるときは嬉しいが、時計とにらめっこする時間は悲しい。余裕がない。起きるのはたぶんさほど問題はない。これは経験から、これ以上寝すぎるといいことはないとわかっている。それ以外のことが、布団から出ることを躊躇させる。それでも、時計とはにらめっこして、しかし裸眼だと、1時間くらいだと勘違いする。後5分かと思っていたら、プラス1時間あって、体に悪い。
  だから、あと3分くらい前に眠りこけた。3分の間にやけに長い映画、夢を見ていて、これは1時間くらいのものにも思える。この夢の不思議はいつもあって、まーロハだし文句もいえないが、内容によっては極楽な感じもする。もっともその反対のほうが圧倒的に多く、しかしそれを文字に記せないのが普通で、よってものを書く人は大いに悔しがる。

  晴れである。まったくの春の透明な空があって、その先には何もない。まばゆい太陽。明るすぎて、また目を手で隠す。
  春だなというのに、縮こまっている。「ちぢこまる」というと、どこかの県を思い出すが、それは関係ないか。打ち込み間違いで、「じ」と「ぢ」は、よく間違う。

  フキの芽、フキノトウが、本物の塔になりつつある。植物に春は間違いなく来ている。すでにチョウも見た。これは2回見たことになるが、それっきりである。虫の一つも出て来ない。もっとも、花の写真、花のファイルの一部に虫はいる。いることが多い。あー虫も、花と一緒に生きている。花も虫といっしょに生きていることがよくわかる。蛾がいる。しかしチョウではなく、蛾だ。同じような生き物だが、区別される。蛾にもすごいのがいる。しかし、あまりすごすぎてもいけない。どっきり感がありすぎる。
  その他虫は大体卵で生まれて、ムシムシになって、それから成虫となるわけで、その生き様の形態といい、色は、多様。なぜこんなことになったのか、それはいいとして、あまりの変化の様子に、やはりある人は虫に魅せられる。人のことは言えない。

  きょうも雪か、晴れかの天気で、何事もなければいいが。

寒気のゆくえと、青空

2009-03-26 18:59:24 | 植物・花(春)
  寒すぎて、縮こまっている時間というのがあって、辺りの木の枝に止まるヒヨドリの姿は私自身よりはすっきりしていて、しかしやはり寒そう。ヒヨドリの頭の毛が、ぱさぱさしている。それが面白いときもあって、哀愁を誘う。かなり寒いはず。モズも、鳥のモズだけど、いつもはけたたましく鳴く姿も、今はなくはないが、少ない。モズとヒヨドリがけんかをしていた。あるいはおっかけっこか。この光景は、なかなか解釈はむつかしい。
  ウグイスは大体、冬場に見かけるときが多いが、しかしその姿はない。小さな鳥が集団で来るが、これはメジロの場合が多く、ウグイスは大体単独。ここでなくて、他でもいいが鳴き声が聞こえないか、気にもなるが、そのたどたどしい鳴き声は聞かない。
  水辺に鳥は多く、水辺の鳥も多い、と思う。で、鳥は水浴びが好きか、と自分で今考えたが、意外と好きかも知れない。今の水の温度は少なくとも、水道水よりも冷たく、恐らく、3、4℃くらい、地面の温度と同じだろうと思う。カラスはあまり好かれない鳥のようで、近寄ると怖い感じもある。落し物の害も甚だしいが、人と同じところに棲んでいる。このカラスも集会を開き、いろいろもめるようで、一時ぱっと空に散る。で、カラスの行水とはよく言った、と思うが、これの本物を見ている。去年もカラスの行水を見た。いかにも寒そうである。でも、そのときはやっぱり特別なのであろう。
  冷たい水の中に入ってゆく、カラスは、滅多に見かけず、それがまた田んぼの水溜りや、またその辺の空き地の水溜りで、やっぱりことしもやっている。寒くはないか、聞くことも出来ないが、人のカラスの行水と違って結構頻繁に、何度も水の中に入る。寒そう、それとやってもあまりきれいにはならないだろう。それにしても、行水の好きな鳥はいる。これと水辺の鳥とは、あまり関係はなかった。

  寒いので、いっきに血の巡りが悪くなる。暖かいというと、25℃でこれでは、血管は開き切って、ちょっと今の時期ではやりにくい。またそれが、4、5℃という気温にまで下がると、逆の現象も起こって、血管は縮こまる。こうゆうものはなるべく避けるのがいいようだが、そうも言っておられない。だから厚着をしてとなるが、それにしても、お天気の変化が激しく、いくら体調の管理に気を付けてくださいと言われても、なすすべもない。私もそうゆうことを書いているし、自分にも体調管理を十分気を付けないとなど、自分に対して言っているが、実際ではどうしているか、というと、特にないのである。この辺りは、つらいところ。

  寒気団、というと気圧はとはまた違うものなのだろう。大体今でも大陸の高気圧の張り出し、イコール、寒気団の到来ということになるようで、3月ももう終りというのに、まだまだ大陸辺りでは、寒気団が生産されているようだ。アー、そこでは熱が奪われている。こうゆうことにもなりそうだが、そのピークはもう遠の昔に過ぎているはずだが。だから、もう北極点でも、太陽を見ることが出来るはずで、しかし、遅延というのがあるのだろう。まだまだその辺りでは、回りよりも気温は低い。いったい北極点の今の気温は、どのくらいなのか。その海抜0mでの値、それから、3000m、5000m、さらには10000mくらいだと、どのくらいの気温が観測されるのか。こうゆうものは、国際線の航空機だと、その外の気温はわかるはずで、零下50℃くらいの値も出るのだろうか。考えられない低い気温がある。

  そうゆうことを思うと、少し冷静に、またこのことに対する興味というか、熱気も冷めてしまうが、大体がプラスの気温である。「がたがた」いうことはないか。それにしても、寒いのは変わりはない。暖かくはないのである。ハクモクレンも、じっとこの寒さに絶えていた。
  寒気はどんどんと移動している。大体西から東へ、北西から、南東の方角へ。だんだんと地上の熱を奪って自身は暖かくなる。そのうちに、太平洋の上空にまで行ってしまう。上は、上だけかも知れない。10000mの上空の空気はそのまま太平洋でも上空のまま、さほど気温も上がらないのかもとも思う。それにしても、
  平地でも雪を降らせる寒気というのは、最後はどうなってしまうのか。太平洋に出て、黒潮の暖かな空気と交じり合って、ほどほどの気温となり、その海の上を漂うのか。なんだかもったいない話しで、そうゆう空気をもう一度こっちに持ってきてくれないか。

  それが現実にある?。低気圧が日本海側に出来るというか、あるとすると、空気は南東の方向から、北西へ流れて、それがやけに暖かい。そういえば、気温が上がったときは、こうゆう気圧の配置があった。低圧部に空気がどんどん流れ込んでくる。そうゆうことなのだろうか。空気は地球を一回転はしなくて、また舞い戻ってくる。

  まー考えるのは自由で、こうゆうことは滅多にない。自分でも少しおかしくなってきた。雪だって降るが、ときに青空もでる。早い話しが、これをいいたかった。

  それで、今頃も寒いのは困ったものだが、晴れれば木々の変化ももちろんある。少しずつだが、春は行きつ戻りつしているようだ。




  大きなカエデで、いったいに樹齢はどのくらいか。大きすぎて、まるで彫像のような感じもある。




  私の背丈よりはかなり高いが、木の枝を見ると新芽がまた少し生長したようである。もう少しで、また変化がある。ようやく、カエデにも春が来た。




  この辺りの、桜の蕾も、感じは違うがこのように見えているのではないか。




  葉が開き始める様子も、気配もある。




  枝の辺りは、赤くぼやけている。これはなんだかよくはわからないが、




  まったくの緑をした、葉っぱがついには見つかって、このものは目を皿にしなくてもほどほどにあちこちで見つかる。なんだかわからないが、威勢のいい植物であることに違いはない。  

3月の空、雨雲付き

2009-03-26 16:19:05 | 散策
  気温が、1℃とか、4℃とか、7℃とか、飛び跳ねていて、
  また晴れるときもあるが、雪も降る。雪はしかし長続きせず
  雨に変わる。幸いか、雷はない。

  今どきの1℃とか4℃、という気温はさすがにきびしいものがあって
  急ぎ足で歩くしか対処の方法がない。
  真冬の格好で、早足で、傘を差したりする。
  子供だって、寒そうだが、やっぱり格好は少しは春。
  こちらはというと、比較にならないくらい着込んでいる。
  それでも寒い。

  雪が降るのは間違いないが、これが積もるかどうか、むつかしいところ。

  3月の、空(そら)、雨の空のファイルもあって、こうゆうのがあるところが
  物好きだと思う。




  こうゆう風な、優しい空もあるが、3月の空は豹変する。




  同じ日ではないが、雨の降る雲の登場。
  このところの、朝が晴れで、すぐに曇って、という場合とそっくりである。




  西の空。すでに雨が降っていた。




  たしか、雷も鳴っていたような、そうゆうことも思い出す。




  灰色の雲の色が、少し薄くなって来る。
  モノクロームの世界かと思っていたが、その他の色も見えてくる。




  これは、最近の、日の出前の時間。




  それで、日が出てくると、このような印象的な、空の風景が
  ファイルに閉じ込められる。

  こうゆう朝があって、その後、風が怪しく吹き出して、突風。 
  真っ黒な雲が出て、雨か雪に、アラレになるって、なんか想像出来ない。

快晴の寒空

2009-03-26 06:49:44 | 散策
  朝のお天気、ほぼ快晴。大きな雲がすでにあって、お天気は安定していない。風は今は弱め。風が突然強くなって来ることを、ここ2、3回経験している。竜巻が来るような印象。きょうのお天気も似たようなものがある?。アメダスの6時の気温、0.5℃、かろうじてプラスの気温。寒いわけである。気圧は1015.0hPa、湿度は、90%。ほどほど。室温、7℃。今の7℃は真冬並み。

  部屋の中も寒い。深夜早朝、雲のある晴れで、穏やかだった。これは睡眠からいっても判断出来る。夜中のほうが安定したお天気があるが、これは偶然。
  今朝は、晴れているから、明るさだけはある。きのうとは大違いで、この明るさが、慌てさせたりもする。いつものとおりでいいはずだが、しかし寒いと体がかじかんで、というか思うように動かず、またピリピリ痛むこともある。寒さの功罪は、今は罪。

  新聞が3日分くらいの厚さで入っていた。でも、バブルのときというかそれに比べると、やはり薄い。その時期の新聞は、広告だけで、それを取り外すと、薄かったようで、今と変わらない。この新聞、まだ見ていないので、なぜこんな厚いのかまだ不明。何かあった?。玄関の戸を開ける。そこから動くことはなかった。きょうはゴミを出す日だから後で十分に寒さを味わうことが出来る。
  日が出た。すると、ふだんは見ないところがやけに明るく照らされる。まぶしい瞬間である。でも、これに見とれている場合ではない。急いで、胃の中へパンを押し込む。味も何もない感じ。さらに、またゴミ袋の蓋をするという難問にぶつかる。
  この解の一つは、紐で結ぶというもので、これはさすがにわかっている。その他、ある瞬間ゴミの山を前に、つまりゴミ置き場の前で、ゴミ袋の閉じ方をしばし観察する。左右を結ぶというのが、多そうで、それにしても有効に袋は使われている。うちのゴミ袋は、同じ大きさのはずだが、ふかふかして、それから、ずいぶんと小さい。

  さて、さっさとゴミを出して、太陽の出ている時間、やれることをやらないといけない。

目薬を、差してから

2009-03-25 19:04:42 | 散策
  お天気は、相変わらずのネコの目天気で、晴れるときもある。先ほどまで、太陽が輝いていた。そんなことは話題にもならないが、雨が降るか、雪が降るか、アレラが降るか、その他、変わることのない、快晴の空があって、いったいどこに、宇宙船は位置しているのか、わからない。また不思議と、雷は鳴らない。今の時代の恐ろしいものの一つは、これは地震だが、これはもういい。まる2年前のきょうに、能登半島沖地震があったが、地震は1年とかいう周期とは関係なく、またこの辺りも、2年たったからといって、ナマズがどうのこうのもなかったようで、明日はわからない。

  5年日記というものも、面倒くさく、これも目的は最初は違った。普通の手帳が売ってなかったというか、手に入らない可能性もあって、ある特殊なところで購入したもので、その後に1年ものの手帳も購入した。しかし、5年日記の始まりが、2007年だから、書かざるを得ない。そこそこ線を引いて、使いやすくし、また5年日記だと、日付が優先されて、それが毎年同じ曜日になるとは限らないから、いちいち、その年度のところに、今日は、何月何日ということを書かないと、いったいきょうが2009年の何月何日なのか、わからなくもなる。同じページに、たとえば3月25日が5年分、あるものは空白が、縦に並ぶ。このものを見るときの恐怖感はない。いったいきょうは何月なのか、何曜日なのか、それがわからなくなる。 
  ちょっとおかしいのではないか、と思われる方もいらっしゃるだろうが、それもあるが、同じ日付が5つも並ぶと、きょうは何年の何月の何日か、一瞬わからなくなる。それを回避するため、何月何日かというのを、先に書いておく。

  5年日記の功罪があるが、いずれにしろたくさんの事を把握するのは得意ではない。この先、まだ2年と半分は残っている。せめて、これくらいの時間は、ちゃんと埋めることが出来るようでありたい。この作業はもちろん、手帳を見ながらやるが、それ以外に、日付を睨むと、忘れていたことも思い出す。また過去の時間というのもそこに少し書かれていて、進歩はなく、退化しかないこと、自分では、そうゆうこともよくわかる。よくではなく、多少かも知れない。
  今、3月のお天気一覧というのも見ることが出来るが、朝の室温に関しては、ことしは乱高下があるのはたしかなようである。
 
  地震か、今も割りとはっきり思い出すことが出来るが、しかし、まる2年前という感じはない。記憶の曖昧さによる、時間の不確定性は激しい。

  地球も安定した棲みかではなくなっているなというのは、これは地震のことはさて置いても感じることは多々。去年のかなり振幅の激しいお天気状態からも、わかるようではあるが、TVでのもっと大きな、地球規模での災害報道を見ると、これは「どきどき」では済まなくて、見ない方がいいようにも思えてくる。笑えない現実がそばにある、と思うだけだ。
  氷河が溶けている。チベットの高峰の氷河、キリマンジャロの万年氷河が、ぐっと少なくなった。もっとわかりやすく、規模の大きいものでは、北極海の氷の減少。さらに、南極海でも凍っていた部分が離れていって氷山になり、これの大きさが島といっていいもので、それがプカプカ海を漂う。聞きたくない話しで、もうわかっている。その先に見えるものは、なんだろうか。

  希望が持てるものというと、宇宙への退避でとなるが、そこまではさすがに私も考えることはない。宇宙での滞在は、ある能力を備えた人のみが可能であって、また最後は地球に戻ってくることを前提としている。
  ISSに乗り移った、宇宙飛行士の若田さんは、いろいろな困難を乗り越えられて、それを現実のものにした。この話しは、非常に勇気付けられるものであって、しかし遠く及ばないものがある。むつかしいところ、またその厳しい現実というのは、何も論じることも出来ないが、これはTVでも流れたが、

  飲み水として、自分の排泄したものの循環についての話しが、一番面白く感じられた。こうゆうところは、そのものを現実に飲み干す方も、地上におられるということ。その他、水というのも、だんだんときれいにされてゆくもので、その考えかたの究極に、排泄物の循環というものがある。しかし、そうゆう装置が地上で出来あがって、いかがですかということもあると思うが、やっぱりそれは結構ですと、私は思う。でも、理屈からいって、自分の体の中から出てきたものだから、そんなに汚いと片付けるのもおかしいといえばおかしい。

  
  今は朝の時間がすでに明るくなっている。




  なかなかこうゆうことも出来ないものだが、朝の光というだけで、緑の葉っぱがやけに美しく光る。
  



  わずかな朝の光の中、赤いツバキが、輝いて見える。かろうじて、写っていた。




  ほとんど、光のことも考えていない。かすかな光で、この像が残っていた。




  アオキの、花の芽は、次第にその数を増やしている。外に日が当たる方向に花がある。




  シャクヤク(芍薬)の、芽が出てきて、少し時間がたった。
  去年は、なぜか花は咲かなかった。




  透過光で、こちらは、最初から、日が滲み出る様子を狙った、赤いツバキ。




  これも、早朝だから出来ることで、そうゆう機会は、なかなかない。
  滅多にないことの、一こま。

3月の、空と雲と

2009-03-25 16:20:00 | 散策
  地球も病気だからか、お天気も病気になった。
  そうゆうことさえも、思わせるお天気の変化で、
  なんとも、鬱陶しい時間を過ごす。

  なんともならんようだけど。
  春はもうやって来たが、今は休業中かな。
  春も、人の社会と同じで、何とか切りをやる。
  だから、春なのに冬に戻ってしまった。

  寒いし、風は吹くし、雨は横からに、当然なるし
  神経もピリピリする。本当に雪が降りそう。

  それで、何回目かの、3月の空。
  3月の太陽だったり、3月の雲だったり、3月の青空だったり。
  でも大体同じ。
  3月の空(そら)。




  大変な3月だけど、空を見ているとなかなかいいのがある。
  一番多いのは、たぶん空のファイル。




  颯爽と、3月の空に、白い雲が走る。




  この空の青さが、またいいと思う。こんなのがいつあったか、今頃見て
  びっくりしている。




  印象派の空もちゃんとあった。探せばもっとあると思う。




  穏やかな、朝の空。この写真、ものすごく傾いている。山が右上がりに
  見えている。




  こんな、やさしげな雲もあった。こうゆう空を見ていると、
  やっぱり春はいい、と思う。これは、本当。